愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

あなたも受け取っているはずの神様と真のお父様の啓示とは、どのような状況でどのように来るのか!

笑わせたいお父さんのブログに、次のような一文が載せられました。


  **引用開始**


ナ、ナ、ナント! 七男様より エライ人
               いつの間にやら 隠密摂理


       ~サンクもびっくり! エライこっちゃ!~


  **引用終了**


隠密摂理と言っているので、私ことシムソンのことを言っているのでしょう。


ただのメッセンジャーは偉い人でも何でもありません。伝える為の道具となり切れる人です。


真のお父様が私に教えてくれた極秘戦略は、人類の中でただ一人、真の再臨主の御姿に出会った亨進様を、代身者・後継者・相続者として立て、四大心情圏三大王権を成就させるための戦略です。つまり、極秘戦略を実際に遂行したのは、お父様と亨進様です。私が書き上げたのは、真のお父様と亨進様を証しするための著作となるのです。亨進様が自分で証しするべきではなく、私たちが悟って証しするべきものなのです。


ですから、著作の内容すべてを、真のお父様と亨進様に捧げるのです。


今回の記事では、イエス・キリスト物語を、お父様からの啓示によって書き上げた方の、証の礼拝から文字に書き起こしたものを掲載します。神様とお父様からの啓示が、どのような状況で伝えられてくるのかが分かっていただけると思います。


礼拝動画「神様と真のお父様に直接育てられ導かれてサンクチュアリへ」からの抜粋です。


  **引用開始**


  (前半部分略)


ある日、お父様が夢に現れてくださってですね。「元気にやっているか?」って来るんですよ。「元気です。お父様も元気ですか?」「まあ、それなりに。」というわけですね。


お父様はその時にねえ、最後に会いに来たんですね、私に・・・。でっ、久しぶりにお父様を見たんですよ、お父様の夢を・・・。


久しぶりに会いに来てくださったなあと思って、朝起きて、ロビーでテレビを付けてニュースで、「文鮮明師、死去!」というニュースが出たわけですよ。なんで、もう信じられないですね。なんというニュースだ。これはどっきりなのかな、とかですね、もう信じられないですよ。何度見ても、「文鮮明師死去!」それで葬儀の場が映し出されているわけですよ。その時に、お父様、最後に会いに来て下さったんだと・・・。何の恩返しもしていないのに、さよならしちゃったなと思って、悲しくてね、でっ、何かしら出来ることはないかな、と思っていたところだったんですけど、それからですかね・・・、啓示を受けだしたのは・・・。


で、お父様と神様の願いが、あのイエス様の生涯を小説にしたい、というのが物語・・、本にしたいという内容が来るんですよ。


いや、困ったなと、本書くって、そういう場に出たことが無いし、書けるわけないじゃないかと思っていたんですよね。すると、神様のほうは、指導霊のようなものを付けるというんですよ。付けるから書けるはずだと、来るんですよね。いやあ、誰付けるのかなと・・・。最初はたいしたことない者らしいんですけど、だんだん技術が上がると、それに見合ったのを付けてくるらしいんですよね。


最初は練習から始まりましたね。書いてみて、へたくそだなあと思いながらですね、書けるのかなあと思って、取り合えず啓示を受けて、その内容を書き留めたり、映像で見たのを書き留めたり、断片的に書き留めて行ったんですけども、本格的に書き始めたのが2015年からですよね。そっからもう強烈に書きなさいって来るんですよ。今、始めなさいって感じで・・・。でっ、書いていくようにしました。で、書いて行って、去年(2017年)の何月だろうなあ、12月頃までには書き上げ終わったんですよね。書き上げ終わったけど疲れちゃって私も・・・。


もう、イエス様の話は涙なしでは書けないんですよね。日中書いているわけですよ。啓示が降りて書いていますよね。この場面を一生懸命書いているわけですよ。泣きながら書いているんですよ。もう、目をはらして書いているんですよ。書いている時に、お客さんが来るわけですよ。目を腫らしながら「いらっしゃいませ。」というとお客様困るわけですよね。まずい所に来ちゃったかなみたいな。ほんとに困りましたね。そういう時はね。そういう時は、もう店閉めちゃってですね、書いていましたね。


書いて書いて・・・、やっと仕上げたと・・・、ちょっと休ませてほしいと・・・。もう疲れるんですよね。すごく疲れます。ただ、イエス様の内容は感動するので、癒される面も有りますけどね。なので、ちょっと休んでいたらですね・・・、もう書き上げたから、もういいんじゃないかと思っていたんですね。書いたから良いと思っていたら、まず、それで終わりじゃないんですね。


今度はそれを出版に持っていく願いがあるんですね。天としては・・・。世の中に出そうとする願いがある。だけども私はそれを察することが出来なくて、一応書いた。書きなさいと言われたから書いた。書いて終わりにしてと言ったんですよね。


次の年に契約が三つあったんだけども、それがねえ、ひとつひとつ破談になって行くんです。契約がねえ、流れて行くんですね。なにかしらおかしいと、そうしている内に喫茶店に行ったらですね、喫茶店で出会った人が「私、イエス・キリストに出会ったのよね」みたいな話をするんですよ。「ほんとですか」みたいなですね。イエス・キリストの夢を見たって、おんなじじゃんみたいなね。なるわけですよね。あれ、おっかしいなあ、なんかもう一つ願いがあるなあと、なんだろう。


でも、契約しなければならないし、でも、その契約も流れるわけですよ。流れた後に十年ぐらい会っていない人が、私の事務所に訪ねてくるんですよね。訪ねて来て何を言ったかというと、うちの息子がねえ、キリスト教にはいっちゃったのよ、みたいな。「キリスト教ですか!またキリスト教、またイエス・キリストですか!」なんかねえ、あれ、おかしいな、と思って。なんか言いたがっている。なんか、まだあるんだなあと・・・。で、その日から祈り始めたんですけど・・・。真のお父様、願いは何ですかと。イエス・キリストの物語を書いて、その他にあるんですか、と・・・。でもねえ、まだその時は答えてくれないんですよね。


悩んで悩んで、三つ目の契約も流れて、これはもう、絶対イエス・キリストに関する事だということで、私がこのイエス・キリストの物語を完璧にするという事ですね、と・・・。すると「そうだ」というんです。でも、私、そんなことしたら生活できませんと・・・、もう限界ですと・・・、どうか、もう少し時間が欲しい、と・・・。でも「時間は無い」と「もう、今年中にやらなければいけない。」と


ですから今年(2018年)の6月、「今年中にやりなさい。」うわー、たいへんなことになってしまったと、もう生活できないかもしれないと・・・。もう祈れなくなってしまって、もう不信仰者ですから、もう祈れなくなって・・・、聖書であなたの願いは何か、教えて下さいと言って、もう一回聖書で開いてみたんです。


開いたらですねえ、「それだからあなたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の思いのことで思い煩うな。」うわあ、やっぱりそうだと・・・、絶対そう来ると思っていた。そういう感じで来てしまいました。


でもまあ、分かりましたと、やりますと、そういうことで、もう事務所は閉めっぱなしです。もう、本の完成に向けて、ひたすら書いて校正して、書いて何度も読み返していくと、ここが違うって来るんですね。ここが違う、少し違うんだと来るんですよ。どう違うのかと聞くと、すぐ来ないんですよ。時間がかかるんですよ、やっぱりね。いやあ、分かんない。気分転換に風呂行こうって言って、温泉に入っていると、温泉で来るんですよね。うわ、ここで来たか、みたいな感じで・・・。ここのタイミングはまずいなと思って、でも忘れちゃうとわるいなと、びしょびしょになってタオルで拭いて、筆記も持っているんで書き留めて、事務所に帰ってまた書いて・・・。で、ちょっと休憩しますと、トイレに行くと、トイレで来るんです。これはまずいです。書く物もないしね。もう、必死で覚えて、すぐ出て、すぐ書いて・・・。


細かい所の描写とかも直されて、こうなんだ、こうなんだ、こういう思いなんだ。ここは表現があっていない、というのが来ましてね。ここは書けません。イエス様の十字架は書けません。ここは書かなきゃだめだって言って、神様も泣いてね、来るんですね。そこの場面とか思うと、泣けてきちゃうんですけども、んー、つらい所ですけれども、でもそこにイエス様の愛が集約されているんですね。ここは誰も書けなかったところだと、ここは書かなきゃだめだと、お父様も必死で訴えてくるんですね。


そうやって、書き上げました。で、やっとやり終わった。自分が見てもね、完璧だと、もう、これ以上の小説が世の中にないんじゃないかと、思い上がりもあるんですけれども、自分ではもう素晴らしいと思う。これは世の中に出してもいいだろうと、でもよく考えたらね、これをクリスチャンが見たら、すごいバッシングが来るなと思った。こんなこと言ったら殺されるんじゃないかという内容ですよ。イエス様の父親がザカリアなんて言ったら「おまえなんていうことを言うんだ」ということになるだろうな、と・・。でもねえ、感動するんですよね。イエス様の愛で何とかなるんじゃないかという感じは、私は思っていました。


で、これを一般の印刷所に持っていこうか。それとも、家庭連合の光言社に持っていこうかと悩んでいたんですね。悩んでいたところに、お父様がサンクチュアリに持っていけと・・・。サンクチュアリってなんだってね?なんかへんな名前だしなあと思いながら、インターネットで調べて、あーこれがサンクチュアリ・・・、家庭連合が大変な事になっている。「これを江利川さんに直接渡せ!」と言われて、恐る恐る仙台に行って、どんな感じになるのかドキドキしながら行きましたね。


行ったら聖霊の役事があって、聖霊の役事まで受けちゃったしと思って、天が思いもしない方向へ私をね運び出したと思ってですねいるわけですよ。ただ渡すだけで来たのに、聖霊の役事まで受けちゃうんだろうっていう。江利川会長にイエス・キリスト物語を書き上げたんですと、渡して、渡したら江利川会長が読んで、お父様から言われていた内容と一致するということを分かってもらえた。だから、江利川さんに渡さなかったら駄目だったんだろうと、江利川さんに渡すことで、これが啓示で書かれたと証明されたんだろうなというふうに後で思いました。


(以下略)


  **引用終了**


真のお父様は、今、すべてを明らかにされようとしているのです。



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