愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

「天の父母様」という呼び方が、どれほど神様を侮辱しているかを、まず知ってください!

先回記事み言引用部分


今まで神様を父なる方として、母のいない父として歴史を通してきたことを人間は知らなければならない。母のいない父なる神様であった・・・・・・それゆえに天の父と母の成立がなされてこそ、子女の家庭組織成就が始まることができる。(原理原本 第3編 第4章)―家庭連合の「サンクチュアリ教会について」より―


原理である夫に対する夫人たちは、美で現わさなければならない。天のお母様の代身分体として、第2の善を愛一体で完成して、基本の善との一つの道を探し立てればこそ、理想の善を造成するようになるのです。夫婦は、天の父と天の母を代身する者たちなので、極めて貴い対象の位に立っている。だから、各自は天の父母を代身して、お互いを貴く敬わなければなりません。(『原理原本』wpk 172)―サンクチュアリNEWSより―


先回記事末部より


そして次のみ言です。


「私(お父様)は夜の神様の管理を受け、あなたたちは昼の神様の管理を受ける。」

ここにこそ、夜の神様と真のお父様と、そして昼の神様と真の母の関係性を紐解く重要な鍵があるのです。それが理解できてこそ、初めて原理原本で記述された「子女の家庭組織成就」が始まるのです。つまり天一国主人によって築かれる本然の家庭となり、氏族メシヤが展開するようになるのです。


夜の神様は神様本体であり、昼の神様は本体から見れば霊的な手足です。真の母を実体として完成させるのは昼の神様の働きですが、昼の神様は本体そのものではありません。つまり、真の母には原形がありません。神様本体の構想理想によって、地上で完成し、はじめて存在体、生命体となるのです。ですから、真の母は、天においては実体が無いのです。


  *****


家庭連合が天のお父様である神様を、天の父母様と呼ぶことを正当な呼び方としていることを真のお父様自身が語っているとして原理原本の記述を利用しています。それが先回記事で取り上げた次の部分です。


今まで神様を父なる方として、母のいない父として歴史を通してきたことを人間は知らなければならない。母のいない父なる神様であった・・・・・・それゆえに天の父と母の成立がなされてこそ、子女の家庭組織成就が始まることができる。原理原本 第3編 第4章)―家庭連合の「サンクチュアリ教会について」より―


ここに「母のいない父なる神であった」とありますから、もともとから神様は父であり、本来の様相は父であるという事を決定付けています。つまり、愛する対象の無いたった一人の神様は、父として存在していたのです。その愛の光の無いたった一人の存在としての神様を、真のお父様は次のように表現していました。


夜の中にいた神様の歴史が創造以前の歴史であることを分からなければならない。その夜の歴史の中にいた神様の歴史、創造の前の歴史・・・、神様も大きくて出たという事実が分からなければならない。暗闇の中輝いた。7色光を合わせれば黒になる。その創造以前世界の神様が分からなければならない。元々の根本が分からなければならない。(2010年4日1日 ワシントンシェラトンホテル訓読会)


光を照り返す対象がある被造世界では、7色光は白色であり透明とも言えます。それぞれの物質は、その光が反射した光の波長の違いによって、千変万化の色彩で自然界に浮かび上がるのです。そうであるならば、「七色光を合わせて黒」になる世界には、光を反射させる対象が何もないということになります。完全無なのです。それもただの無ではありません。プラスとマイナスが一体となったゼロであり、本陽性と本陰性が完全中和した「無」です。本性相と本形状が完全一体となり、全ての知・情・意の要素が和合した『無の境地』なのです。


どんなに愛と心情が自体内の正分合作用で授受作用し、四位基台を造成していても、愛する対象が無ければ「無の境地」であり、夜の暗闇の状態なのです。


その状態の神様が、創造後の全ての存在体・個性真理体の根本なのです。


その無の状態の神様、夜の暗闇の状態の神様こそが、神様本体であり、夜の神様です。


その夜の神様が、愛する対象を創造するのです。神様は自分と全く同じ様相で、愛する対象を造ることが出来るけれど、全く同じであれば一日ももたずに気が変になってしまうと、真のお父様は天聖経に記しています。


神様が愛することができる相対は、私たち人間しかいません。被造物の中で、神様自身が、また別の神様を造ることはできないのです。どうしてですか。全知全能なる神様なので、神様と同じ、もう一つの神様を造るだろうと、それも可能だと思いますが、神様がそのように造ればどうなりますか。同じ神様がご飯を食べるとき、一緒にご飯を食べ、手入れをするときは一緒に手入れをして、立つときは一緒に立って、ついて回りながらです。


神様が座れば一緒に座り、このように億千万年一緒に行動するならば生きていけますか。考えてみなさい。どんなに気が遠くなるでしょうか。1日もたたずに、目が回ってひっくり返ってしまいます。また、話はどうしますか。話をすれば何日話すと思いますか。三日間ですか。「あれ、あの、同じではないですか!死にそうだ」というでしょう。 (天聖経 第1巻 真の神様 第1章 神様の本体 4) 神様は父であられる)


ですから、神様は愛する対象を、自ら自体から完全に独立した存在として創造する必要があったのです。そこで、永遠普遍に遍在する存在ではなく、それぞれの個性を持つ真理体として創造するようになったのです。つまりどこにでも存在する様相ではなく、単独の存在体を持つ個性真理体として創造したのです。その形象的個性真理体として、神様の似姿として創られた存在の人間ですが、この人間の生心に神様本体そのものが臨在するとしたら、どのような状況が展開するでしょうか。


相手の肉体と霊体を通して、神様は自分自身を愛することになるのです。


相手が思ったことが、相手の生心に臨在している神様自身の感覚を通して、即座に伝わってくるのです。それこそ、先に引用掲載したみ言に表現されたごとく、「1日もたたずに、目が回ってひっくり返ってしまいます。」という状況になってしまうということです。


私一人が生心に臨在された神様と一体と成るとすれば、まだ神様も耐えられるでしょうが、人類すべてとなると、無限無数の意志や心情が襲い掛かるようにめくりめくってしまうのです。


ですから、臨在は臨在でも・・・、生心に臨在すると言っても、神様本体が入るわけでは無いのです。そこで、この臨在について、真のお父様が表現されたみ言が、次のみ言となるわけです。


「私(お父様)は夜の神様の管理を受け、あなたたち(真の母と人類)は昼の神様の管理を受ける。」


このことの詳しい説明は次に回しますが、真のお母様の生心にも神様本体が臨在するわけでは無いのです。もし神様本体が臨在されたとするならば、真の母の霊体と肉体を通して、神様は自分を愛することになるのです。このような意味で、私は神さまを「天の父母様」とするならば、アダムとエバが愛し合う行為は、自慰行為になると表現したのです。


天一国主人となった男女が、互いの生心に神様本体が臨在され、愛を実感し合うために性行為に及ぶならば、男女の肉体と霊体を通して、神様本体が交わっているという事になるのです。このような状況はあまりにも愚かであり、神様を辱めることになってしまいます。ですから、神様の息子娘たちが、神様本体を「天の父母様」と呼ぶたびに、自らの父を侮辱していることに繋がっているという事を私は訴えるのです。


一日も早く、やめるべきであり、「天のお父様」に戻すべきです。


神様はもとから父であり、真の母は神様の妻であり、神様になる事は出来ないのです。神様の妻が、「私は神さまである」と主張するならば、真の愛は破綻してしまうのです。


「私(お父様)は夜の神様の管理を受け、あなたたち(真の母と人類)は昼の神様の管理を受ける。」


このお父様のみ言の真意を理解したならば、神様の妻という位置がどれほど尊いものであるかが分かります。その上に、私たち一人一人が、神様と通じ合うための、最も重要な鍵を握るみ言であることを、これから知っていくべきなのです。それでこそはじめて、「天の父と母の成立がなされてこそ」というみ言の真意が理解できるようになるのです。



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