愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

シム少年の他愛もない話から、ミクロコスモスのたいへん遠回りな説明!

シム少年は、中学三年の初夏に見た青空のここちよさを、おやじに成り果てた今も忘れていない。


48年前のその日、彼はトビウオのように可憐に宙を待った。しかし、お尻の部分に軽く触れたバーとともに、柔らかなマットに落ち沈んでいく。そのせつな、彼の視界に広がった吸い込まれそうな青空の深み・・・。下方に向かう力とは逆に、無限に上昇していくような感覚さえ与えた真っ青な空間・・・。


彼は中学校に入るとバスケットボール部に入部した。やせっぽちで身長も高くない彼は、体力も気力も強いほうではなく、存在感の薄い少年だった。ただひとつのとりえといえば、我慢強いことぐらい。その我慢強さも気力が強いわけではなくて、たぶんに目立ちたくない性格が影響していたようだ。体力づくりのための腹筋や腕立て伏せ、あるいは持久走などの場合に、人より遅れたり、早く根を上げて目立ってしまいたくなかった。だから、他の部員には普通の運動でも、それに付いて行こうとする彼にとっては必死な運動となった。幸いにもと言ったらよいのか、そこそこの実績しかないチームだったので、彼にも何とかついていける練習量だった。そんなふうに頑張る、必死で愚直な姿を誰かが見ていたのか、彼は後ほど、神様しか贈れないようなあの「青空」というプレゼントをもらうことになる。


中学三年の春、それまでの練習の成果を競うべく、中学総合体育大会の地区大会にのぞんだ。しかし、彼のチームは決勝で破れ、県大会には進めなかった。それで中学の部活動は早々と終了し、彼は張り合いを失ってしまっていた。そんな時である、学校あげての陸上競技記録会がおこなわれたのは・・・。


陸上競技部のないこの中学校では、この記録会で優秀な成績を出した者が、学校の代表として地区大会に挑戦することになる。彼は走るのが苦手なので、走り高跳びに出ることにした。


記録会当日、サッカーや野球、テニスなどで活躍する運動能力の高い選手たちは、走力を競う競技に参加したようだ。走り高跳びに参加してきたのは、背のあまり高くない161センチの彼と同じか、それ以下の生徒が集まってきた。なんとそこで、彼は1メートル45センチというレベルの低さで一位になってしまった。当然、記録は低いが学校の代表として、地区大会に参加することになった。
                   
「ぼくに恥をかかせようという、誰かの陰謀かな。」


そんな風につぶやいて自分を慰めようとしたが、彼に目をかけるものなどいないのだから、陰謀説はあたらない。


当日、さすがに他校はつわものぞろいである。1メートル75~80センチ前後の選手たちが、鍛え上げられた体をもって、競技場に次々と姿を現した。彼は1メートル61センチ、背も低いしやせっぽち、ちょっと大きめのユニフォームの脇から、ガリガリのあばら骨がのぞいていた。


競技が始まると、彼は目立った。ほかの選手は躍動感のある助走から、スムーズにジャンプする。ほとんどの選手がベリーロール、なかには、はやり始めた背面跳びで跳ぶ選手もいる。彼はぎこちない助走から、愚直に一途な正面跳び。それでも、選手が多数いるうちは、まだよかった。バーの高さが上がり、一人減り、二人減りしていく・・・。なんと、シム少年は失敗せずに残っていった。すると、スポーツ選手としてはあまりにもひ弱な体つきと、へたくそな跳び方がますます目立ち始める。


彼が飛ぶと、どこからか女生徒の笑い声が聞こえてくる。彼はめずらしく、クッと唇をかんだ。地区大会に出ると決まってからこの日まで、彼は彼なりに練習をつんできた。しかし、跳び方を教えてくれるコーチもなく、ただただ、毎日同じことを繰り返すのみだった。そんな練習でも、記録は1メートル53センチまで上がったが、それ以上はいくら繰り返しても上がらなかった。ところがその日は、その高さをかるがるとこえた。


バーの高さは1メートル58センチに上がり、8人にしぼられていた。60センチに上がったときには、さらに4人にしぼられた。ここで、これまでじっと競技を見つめていた選手が登場してくる。180センチを超える身長と、筋肉の繊維が繊細に浮き立つ長い足を持つ少年だ。彼は県大会でも有望視されるよりすぐりの選手だ。バーが1メートル62センチ、さらに65センチにあがる・・・。


そこには競技開始当初、誰も予想しなかった光景があった。シム少年と「よりすぐり」の一騎打ちになっていたのだ。シム少年が先に65センチのバーに向かう。すると、競技場にいるすべての人々が、場に似合わない貧弱な体の少年に注目し、どよめいた。はじめのうちは笑っていた他校の生徒たちから、応援の声が上がりはじめる。すると、シム少年には一切期待していなかった彼の学校の生徒たちからも、シム少年の名を呼ぶ声援がいっせいにあがった。


彼は自分自身の人生においても、端役を演じようとしてきた。ところが今、確かに主役になっていた。注目された経験のない彼は、どぎまぎしながらも、太ももをぽんぽんとたたいて、バーと向き合った。すでに、身長よりも高い。跳躍を重ねるごとに、他の選手のまねをしながら、彼の助走もさまになってきていた。1・2・3の最後の助走の歩幅から、地面を思いっきり蹴る。彼の体は重力から解き放たれたように宙に舞った。跳躍の頂点で、彼はバーを越えた手ごたえを感じる。そのままマットに沈む。空が青く競技場を包み込んでいた。青い光に遅れて、拍手が彼を包み込んできた。


「よりすぐり」は軽々と跳び、次に跳ぶシム少年の前には1メートル68センチのバー。


再び競技場は、シム少年への声援で湧き上がった。この高さ三回目の挑戦。ひとつ、肩で大きく息を吸って、その息を吐いた。声援が静まる。拍手がリズムを刻み始める。助走の一歩一歩に手ごたえを感じながら、最後の一歩とともに両手を中空に投げ放つ。足が地面を離れる。宙に浮かぶ感触を楽しむ間もなく、彼の尻にバーが触れる。


        (終わった。)


ほっとした思いを抱きかかえた体を、柔らかいマットが受け止めてくれた。シム少年の視界には晴れやかな青空が広がる。マットの上で、彼は充足感に包まれた。さらに惜しみない拍手が、彼を優しく包んだ。


―――このときのシム少年には、心の不思議などわかるはずもない。


「よりすぐり」はその後、大会新記録の1メートル75センチを跳び、余力を残して競技を終えた。


シム少年の成り果てた姿である初老のおやじは、神様を信じるようになり、真の父母様と出会い、二代王様の下で歩むようになっていた。それで少しずつわかってきたと思い始めている。シム少年はそれ以後、1メートル55センチ以上を飛べなかった。おやじは、おおぜいの人たちにいただいた、愛とか思いやりの不思議な力のことに思いが至るようになっていた。その思いの力こそ、心情の力であり、愛の力である。


他愛のない話かもしれない。でも、私にとっては貴重な体験であったが、神様のみ旨を歩むようになって、さらに強く感じるようになった。神様を信じていなかったあの時から、もう神様は私を視界に捉えていてくれた。


四大心情圏の純粋な兄弟姉妹の心情の力、愛の力が、夜の神様と一体となった真のお父様の衝動力を核として、地上の二代王様の意志と心情を通して束ねられる時、それがミクロコスモスを形成するのだと思う。


その四大心情圏三大王権のミクロコスモスから発動される心情エネルギーと、相対する一人一人となるならば、無限の愛の力に背中を押されて進むことが出来る。無限の心情の力に乗って、飛翔することが出来る。


如何にして、天宙天地人真の御父母様を中心としたミクロコスモスを築き上げるか。そして、いかに真の御父母様の愛と心情の相対として立てるか。



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