真のお父様と違う方向を向いている幹部達は、全員、このブログを読まなければなりません!
先回記事末部より
原理講論で表現されている神様は、夜の神様と昼の神様に分かれていない神様です。ですから次の原理講論の一節には、注釈が必要です。
「生心というのは、神が臨在される霊人体の中心部分をいうのである。」
この原理講論の一節により、人間は愛の人格を完成させれば、すべての人間の生心に神様が臨在して下さると理解していたでしょうか。夜の神様ならば臨在されると表現することが出来るでしょう。でも、昼の神様ならどうでしょうか。それは次回の記事で明らかにしましょう。
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2月7日の記事「真のお父様が今伝えたい事は、どんどん深く本質に入るので早く読み始めてください!」において、昼の神様を次のように説明していました。
**引用開始**
「神はその光を見て、良しとされた。」
構想が完成すれば、その構想を実現するために創造に着手しなければなりません。
「神はその光とやみとを分けられた。」
神様本体にあった自存するための原力が、心情の衝動力と一体となって、被造世界を創造するための活動を始めます。神様本体を中心として、活動する神の霊は分立され、神様の愛の対象としての個性真理体を創造し存在させるための、正分合作用の活動を始めるのです。この活動する神の霊こそが、昼の神様なのです。
**引用終了**
昼の神様は、神様本体である夜の神様の、意志と心情に従って活動する神様の霊です。神様本体を存在させている原理から、愛する対象を現出させる創造原理が構築され、その法則性に則った上で、夜の神様の愛と心情によって働く神様の霊です。ですから、本体ではない昼の神様が、生心に臨在する存在だとは言えません。
この事について、お父様から直接に「夜の神様、昼の神様」を学ばれた亨進様は、お父様が次のように説明されたと紹介しています。
「1月に行われた天地人真の御父母様支持大会の最後の日に、お父様(文先生)はご自身と私達の違いに対して問いかけながら「私は夜の神様の管理を受け、お前達は昼の神様の管理を受けるのだ」と説明されました。」(亨進様のみ言2012.1.29天福宮)
「真のお父様は夜の神様の管理を受け、他の人間は昼の神様の管理を受ける」と、お父様自身が語られているのです。臨在という言葉に替えて、管理を受けるという言葉を用いて、絶妙な表現になっています。このみ言の意味するところを知ってこそ、天聖経の真の神様「第1章神様の本体」を本当の意味で理解できるようになる鍵なのです。
ですから、「夜の神様、昼の神様」のみ言で、お父様が伝えようとした本質が理解されていないとすれば、「神様の本体」がどのように存在しているかも理解されていないということになります。神様の本体の存在様相を理解できていないということは、神様に対する信仰も始まっていなかったし、神様の心情も理解されていなかったということです。
「夜の神様、昼の神様」のみ言は、創世記第1章の解釈であり、1945年から始まる再臨主の第1次公式路程において、キリスト教がお父様を再臨主として受け入れていれば、最初に語られたみ言でした。ところが、洗礼ヨハネの使命を持つ者たちが背反して、キリスト教が再臨主と決別しました。そのキリスト教に代わり、お父様は統一教会を立てましたが、聖霊を失ったところからの出発だったのです。失った聖霊を取り戻すための摂理の出発点が、1993年に始まった日本女性特別修練会でした。聖霊を取り戻すための摂理の詳細は、いずれ明確にしなければなりません。
「夜の神様、昼の神様」のみ言を理解するためにも、天聖経の「神様の本体」のみ言の本質をつかまなければなりません。
真のお父様と違う方向を向いてきた幹部と言われる方々は、全員、このブログを読まなければなりません。霊界がサタン軍と悪霊で満ちてしまわないように・・・。
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