愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

真のお父様が日本に下さった揮毫『日本之情 忠孝之源』は歴史のどこに根拠があるのか?

真のお父様は「夜の神様、昼の神様」のみ言を本格的に語られるようになられたのは、亨進様が2008年4月18日に世界会長に就任され、国進様と共に真のお父様を中心として一体となって摂理を進められるようになってからです。つまり、カインとアベルの一体化が、真のお父様の下で具体的に進められるようになってからです。


それまで、真のお父様は統一教会・家庭連合のアベルカインは間違っていると語られ続けてこられました。


「今まで、日本の統一教会は、本然の立場に一致する統一教会ではありませんでした。すべて間違っています。カイン・アベルの問題を反対に考えているというのです。正反対です。ですから、発展できないのです。発展したとしても困るというのです。」
「先生は、天の側の世界的中心です。先生がこのような生活をしているのに、日本の人たちは、『アベルは絶対的だ』と言っています。そのような権利はありません。自然に従っていくようになるのが原理観です。自分が気に入らないからといって追い出すのは、天に従っていく道ではありません。」
(「神様と摂理と日本」より1992年11月14日のみ言)


「なぜ、統一教会が発展しなかったか?それはお前達がアベルカイン観を間違えたからだ。私はアベルだ。私は父母の代身だ。私に侍れ、という原理観があるか。」2005年漢南洞にて(20人から30名の最高幹部の前で・・・)


アベルカインを勝利できていないという事は、「メシヤを迎える為の基台」が造成されず、真のお父様はメシヤとしての本質的核心のみ言を語れないという事になります。真のお父様がみ言において、本質中の本質、核心の中の核心を語れなかったという事は、聞く側の、学ぶ側の、私たちに問題があったという事です。アベルカインを勝利できないままであったという事は、サタンとの相対基準を断ち切れず、そのような相手に語ったならば、み言がサタンに奪われるのです。そのみ言を利用して、サタンが悪事を働くようになるという事です。


ですから、歴史的フィナーレと表現される「夜の神様、昼の神様」のみ言は、本来、原理を学ぶと同時に、最も最初に語られるべきみ言であったということです。


「夜の神様、昼の神様」のみ言が、神様と私たちの関係を理解する為に、最も重要なみ言であったにもかかわらず語れないで来たと同じように、摂理上重要な母国日本についても語れない内容があったのです。


1968年2月22日、430双の祝福式が韓国で挙行され、当時の久保木修己会長夫妻が既成祝福を受けました。祝福を受け、日本に帰国する二日前に、お父様は久保木会長に揮毫を下さいました。それは『日本之情 忠孝之源』という揮毫でした。


真のお父様が雑教国家と表現し続けて来た日本に対して、「日本の情は忠孝の源」という揮毫を下さっていたのです。


その揮毫の意味する如くに、日本はイエス様の十字架以降の歴史において、どこの国よりも神様が相対する国とするために愛し育んできてくださいました。2003年8月から2004年6月までの間に、神様は私に、その事について日本をどのように愛し育んだのかを教えてくれました。その神様の愛に、日本民族がどのように育てられ、また、サタンの試練を与えられたのかを、事細かに教えてくれたのです。


その事が神様の愛の結実として現れていた歴史的事実の象徴として、聖徳太子が制定したと言われる「十七条憲法」が残されています。私たちが理解しているのは「和をもって尊しとなす」という一項目だけであり、ほとんどの人において、十七条憲法の意味するところを知らないままでいるのではないでしょうか。


十七条の全体を通してみると、この憲法は「メシヤを迎える為の基台」を造成するために発布されたと言って良いほどの意味と意義を備えるものなのです。


第一条
一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことに従わなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。
第十四条
十四にいう。官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。嫉妬の憂いははてしない。それゆえに、自分より英知がすぐれている人がいるとよろこばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。それでは500年たっても賢者にあうことはできず、
1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。


何故に和が尊いかと言えば、千年に1人の聖人を待望する為なのです。また、これだけでは説明しきれない、神様が導いてきた日本の歴史の奥義があるのです。


真のお父様は、そのような事を全て知りながら、あえて雑教国家と表現するしかなかったのです。


夜の神様と真のお父様は、地上界霊界で勝利圏を得られ、隠さなければならなかった真実と本質的核心を地上界に明らかにすることが出来るようになりました。


「十七条憲法」は聖徳太子が制定したと言われ、日本書紀に記録されています。日本書紀は720年に完成し、最終編纂者となったのは藤原不比等でした。中大兄皇子とともに蘇我氏を滅ぼし、権力を奪った藤原鎌足の嫡男こそ藤原不比等です。不比等は藤原鎌足の正当性を強調するために、蘇我氏を悪人として描写し、蘇我氏により死に追いやられた山背大兄王の父・厩戸皇子をことさら聖人として描いたと言われています。


そこで、「十七条憲法」も聖徳太子によるものではなく、日本書紀の執筆者によって制作されたものではないかとも言われているのです。たとえそれが真実であったとしても、十七条憲法の内容は、厩戸皇子の神仏に捧げた心情が天を動かし、執筆者や編集者に働いて書かせたものだ言えるのです。


日本書紀を読み解くと、仏教伝来から始まる神様とサタンとの激しい霊的抗争の狭間で、厩戸皇子は神様を感動させる精誠を立てたことが分かります。その精誠により、サタンに操られる藤原不比等が、藤原家にとって有利なように編纂した記述の中に、神様は天の秘策を隠すことができたのです。


だからこそ、日本書紀はその後の歴史を動かす啓示の書となりました。聖書に記録された人類始祖に関する記述が、蕩減となり歴史を動かし、同時性を展開させていくように、聖徳太子と息子・山背大兄王の辿った路程が、徳川家康を動かし、キリスト教徒・西郷隆盛を動かすようになるのです。つまり、徳川家康も西郷隆盛も聖徳太子の残した蕩減復帰の道を完了し、メシヤを迎える為の基台を造成するための生涯を歩んでいたという事なのです。


2011年1月の朝の訓読会で、お父様は「日本の歴史を紐解きなさい」と語られた後に、徳川家康と西郷隆盛の名前をあげました。この二人の人物には、摂理的に大きな使命があったのです。


神様は何故に日本民族に対して、「メシヤを迎える為の基台」と読み取れるような歴史的記録となる啓示を与えることが出来たのでしょうか。それは厩戸皇子の先祖に、その秘密が隠されています。「日本の情は忠孝の源」と言える日本民族の心情の源泉があるのです。



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