愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

日本史の深奥に秘められていた神様とサタンとの激闘の狭間に立つ蕩減復帰の使命者たち!

先回記事末部より


日本書紀を読み解くと、仏教伝来から始まる神様とサタンとの激しい霊的抗争の狭間で、厩戸皇子は神様を感動させる精誠を立てたことが分かります。その精誠により、サタンに操られる藤原不比等が、藤原家にとって有利なように編纂した記述の中に、神様は天の秘策を隠すことができたのです。


だからこそ、日本書紀はその後の歴史を動かす啓示の書となりました。聖書に記録された人類始祖に関する記述が、蕩減となり歴史を動かし、同時性を展開させていくように、聖徳太子と息子・山背大兄王の辿った路程が、徳川家康を動かし、キリスト教徒・西郷隆盛を動かすようになるのです。つまり、徳川家康も西郷隆盛も聖徳太子の残した蕩減復帰の道を完了し、メシヤを迎える為の基台を造成するための生涯を歩んでいたという事なのです。


神様は何故に日本民族に対して、「メシヤを迎える為の基台」と読み取れるような歴史的記録となる啓示を与えることが出来たのでしょうか。それは厩戸皇子の先祖に、その秘密が隠されています。「日本の情は忠孝の源」と言える日本民族の心情の源泉があるのです。


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世界の摂理的主要国の歴史ももちろんのことですが、日本の歴史はイエス様の十字架以降、イエス様の愛を相続し、母国としてのメシヤの為の基台を必死で作ろうとしてきた歴史の顕れとなっています。


日本書紀は最終編纂者である藤原不比等により、藤原鎌足や自らの政治的行為を正当化するために、実際の史実とは違う記述がなされました。しかし、神様が厩戸皇子(聖徳太子)を通して働きかけた善の霊的条件があるので、藤原不比等とその背後にあるサタンの意図を超えて、神様による啓示の書となったのです。


この日本書紀によれば、厩戸皇子の血統の起点となっている記述があります。


五世紀に実在した第21代雄略天皇は、即位できる立場にはなかったのですが、有力な皇位継承者を次々と殺して、強引に王権を奪い取りました。天皇となってからは自らの独善によって政局を動かし、罪もない人々を殺してしまうこともあったというのです。


雄略天皇が崩御されると、雄略天皇の皇子の清寧天皇が後を継ぎました。ところが清寧天皇には子供が無く、後継者に悩むことになります。そのような折に、雄略天皇が皇位継承者を次々と血祭りに上げた際に、父を殺されながらもかろうじて生き延び、身を隠していた兄弟二人を、朝廷の臣下が思いがけない出会いから見出すのです。


清寧天皇はこの二人を、自分の後継となる皇子としました。清寧天皇が崩御されると、皇太子となっていた億計皇子と弟の弘計皇子は、互いに天皇の位を譲り合い、一向に皇位に着こうとしませんでした。兄の億計皇子は、「弟の弘計皇子が名乗ろうと言い出さなければこのようなことはなかった。皇位は弟が継ぐべきだ」と語り、弘計皇子が顕宗天皇となりました。顕宗天皇が在位三年で崩御されると、兄の億計皇子が皇位に就き、仁賢天皇となったのです。仁賢天皇の治世下では、天下は仁に帰し、民はその業に安んじていると記録されています。


仁賢天皇が崩御されると、その皇子が第二十五代武烈天皇となりました。この武烈天皇は雄略天皇をも上回る暴挙を繰り返し、民衆が飢えているときにも酒池肉林を繰り広げ、人を苦しめることに快楽を求めた暴君であったと記録されています。


これらの「日本書紀」の記述から浮かび上がった内容を、すべて事実のものと受け止めることはできませんが、ここに暗示された霊的真実は正しく見出さねばならないと思うのです。とくに兄の仁賢天皇と弟・顕宗天皇の逸話はカインとアベルがひとつになったと読み取れます。


また、弟・顕宗天皇が即位していた時、彼は父の仇である雄略天皇に恨みを晴らしたいと思い立ちます。雄略天皇の墓を暴こうとして、兄の億計皇子に任せることになるのですが、億計皇子は雄略天皇の陵墓に向かい、その側の土を僅かに掘っただけで帰って来ました。顕宗天皇はその事を知ると「どうしてか?全て破壊して来て欲しかった」と問い詰めました。それに対して、億計皇子は「そんな事をして何になりますか。まがりなりにも雄略天皇は天下を治めた方。その墓を暴くなどしても、天皇の徳が失われるだけです」と答え、顕宗天皇はそれで納得されたのです。


兄の仁賢天皇は恨みを許しの愛で克服した人物であり、天皇になってからもその精神で治世したことを思わせます。


仁賢天皇が実感として体得した許しの愛を土台としながら、神はこの日本民族の繊細な情緒を見込んで、神聖なる母性の愛を育む国造りを、具体的に進めようとされたのでしょう。


仁賢天皇の後継である武列天皇は残虐非道な独裁者として描かれていますが、武烈天皇は天皇家の後継が絶えたことに、つじつまを合わせるための架空の人物とも言われています。とすれば、許しの愛を体現した仁賢天皇の一人子である愛娘から、なんとか天皇家の血筋を存続させようと、血眼になって婿養子を探したことになります。


そこで第15代応神天皇から五世を経た孫と伝えられる男大迹(おおど)尊が見出され、仁賢天皇の長女である手白香皇女(たしらかのひめみこ)を皇后として継体天皇となるのです。


あまりにも血縁が遠いので、まったく別の朝廷が立てられたと見る歴史家もいるほどなのです。しかし、神様の摂理からすれば、許しの愛を実感として治世に顕した仁賢天皇の、母性の血縁からまったく新しい出発をしたということです。その継体天皇の、というよりは手白香皇女の皇太子が即位し欽明天皇となります。この欽明天皇から用明天皇、そして聖徳太子へと三代にわたって、日本民族の女性に向けて母性愛の教えを浸透させるための神様の摂理的な力が及び始めるのです。


ですから、仁賢天皇の母性の血縁からまったく新しい出発をしたことから、欽明天皇の血筋は、蕩減復帰のために立つアベルの血統として、神様からの使命を託されたということになります。私はここにこそ、真のお父様が「日本の情は忠孝の源」と証しして下さった原点があると見ているのです。ですから、サタンからすれば、この一族の血統と心情を絶やそうとして攻撃してくるようになるのです。


天皇の血統は、神様とサタンとの蕩減復帰上の抗争の狭間にあったということです。


すでに記述した、第21代雄略天皇の行った権力を得る為の暴挙を見れば、サタンの働きが日本を主管しようとして激しく及んでいたことが分かります。聖徳太子を摂政として用いるようになった権力者・蘇我馬子も、自分に反感を持った崇峻天皇を暗殺してしまうという暴挙を行った人物です。蘇我馬子・蝦夷・入鹿と続く三代に渡る蘇我氏の権力も、藤原鎌足と中大兄皇子による蘇我入鹿暗殺により、天皇の影で権力を握る藤原氏により奪われていくことになります。


日本の政権をめぐる歴史的な激しい権力争いの渦中から、真のお父様が「日本の情は忠孝の源」と証しして下さったアベルの心情を蕩減復帰するための闘いが、日本史の事象の中に秘められているのです。


だからこそ、私たち日本の兄弟姉妹は、一人一人に願われた蕩減復帰を成し遂げて、真のお父様が語られた意味での、一本人としての日本人とならなければなりません。天聖経の「真の考の生活」に、『聖人、聖子は忠孝の完成者』という題目で掲載されているみ言があります。私たちの内にある「忠孝の源」から「忠孝の完成者」となり、聖人・聖子から天一国主人へと辿る道を進んでいかなければなりません。



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