愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

日本統一教会の根幹にあった日本民族の蕩減復帰!

先々回記事末部より


歴史の表舞台で活躍した聖徳太子を「光の太子」とすれば、裏舞台で秘められた力を発揮した能除太子を「影の太子」と言うことができます。影の太子・蜂子皇子による出羽三山神社の開祖の年は、光の太子・聖徳太子が摂政に任じられた年と同じ紀元五九三年です。


本来はならば、天皇に近かったのは崇峻天皇の息子・蜂子皇子です。霊力の高い蜂子皇子が天皇となり、知的企画力にたけた聖徳太子(厩戸皇子)が教理的にサポートし、和の国を造り上げるのが理想ではあったのです。しかし、蘇我馬子が崇俊天皇を暗殺した時点で崩れ去り、国造りの道のりは紆余曲折の闘いを展開するようになりました。聖徳太子は日本において、和の象徴であり光の象徴です。そして、蜂子皇子は恨みの象徴であり影の象徴で、アベルカインの蕩減復帰摂理を霊的に担うようになるのです。


私は2003年8月に、影の太子・蜂子皇子開祖の出羽三山の月山で、神様からの啓示を受けました。神様が創造の御業に着手する前の、夜の神様として立った一人でいることの悲しみの心情が注がれてきたのです。


それ以降、神様は私に、日本史に秘められた本質中の本質の歴史観を教えてくれました。アベルカインの蕩減復帰摂理によって、雑教国家に一本人を立てようとして来た、日本の歴史に秘められた神とサタンの闘いの過程を教えてくれたのです。


  *****


日本の国家としての黎明期に、聖徳太子は登場し、律令国家の建国のために努力しました。仏教の教理を表に出していましたが、その裏で聖徳太子の思想を支えていたのはキリスト教ネストリオス派の景教です。聖徳太子の側近として仕えていた秦河勝は、景教の信仰を持っていたと言われていました。


ですから、聖徳太子が制定したと伝えられる十七条憲法は、原理を理解した観点から見れば「メシヤを迎える為の基台」を彷彿とさせるものなのです。クリック→(7月28日記事参照)

しかし、聖徳太子は律令国家建国の途上で亡くなり、完成させたのは天敵とも言える藤原鎌足の嫡男・不比等でした。藤原不比等の造った律令国家は、聖徳太子が願った律令国家とは、似て非なるものであったのです。不比等は形だけ天皇を立て、影で権力を握る政治を執り行い、権力を欲しいままにして行きます。仏教も絢爛な寺院を造り、権力を誇示するためのものとなっていきます。


720年頃には、藤原不比等による律令国家は、ほぼ完成にいたりました。不比等の築いた律令においては、権力の集中は〝天皇〟にではなく「太政官」にありました。〝天皇〟は「太政官」の上にある象徴的存在に過ぎなくなったのです。天皇となる以外の皇子たちには、政治的、経済的な力を与えず、もっぱら文学に耽らざるを得ないようになっていました。それは明らかに、皇子たち、親王たちの政治力を「太政官」を支配する藤原氏の権力の下に置こうとする意図によって作られた「令」の規定だったのです。


781年に天皇となった桓武天皇は、その権力を藤原氏から天皇に戻そうとしました。律令国家再編のために仏教改新を願い、その信任を受けて活躍した仏僧が最澄です。最澄は聖徳太子を仏教の師として、太子の志を成し遂げることを誓い、法華経を広めようとします。法華経の教えは、お釈迦様の本来の教えとはかけ離れています。


最澄が興した天台宗では、法華経を"第一の"経典とし、天台宗から出た日蓮による日蓮宗では、法華経をシャカの"唯一の"真の教えとしました。こうした宗派では、法華経は絶対的な権威を持った経典なのです。


聖徳太子は「メシヤの迎える為の基台」の意義を彷彿とさせる十七条憲法を制定しましたが、聖徳太子を師と仰ぎ、聖徳太子の願いを成就させると誓った最澄は法華経を第一の経典としました。


実は、法華経も「メシヤを迎える為の基台」を造成するための仏教版であり、聖書の仏教版と言えるものなのです。


法華経についての説明は次回に回しますが、日本統一教会の初代会長は久保木修巳氏でした。久保木会長は立正佼成会の庭野日敬会長(当時)の秘書をしておられた方でした。立正佼成会は日蓮系の法華経を教理とし、庭野日敬氏により開かれた新宗教でした。


イエス様の十字架以降に、神様の日本民族に対する心情育成は、光の太子である聖徳太子の十七条憲法に現れ、その思想を受け継いだ最澄の法華経に引き継がれ、日蓮の法華経として拡散されました。一方、影の太子と言われる蜂子皇子開山の出羽三山には空海の密教が入りました。空海の密教には、景教(キリスト教ネストリオス派)の思想が取り入れられていました。日本の歴史に秘められていた二つの「メシヤを迎える為の基台」が、日本民族の心情育成の根幹を成すものとなっていたのです。


ですから、日本統一教会の初代会長となった久保木修巳氏は、日本の歴史的蕩減復帰を託されて会長となった方であったのです。その蕩減復帰が為されないままであったので、統一教会・家庭連合は分裂せざるを得ない道を歩むようになったという事です。


日本民族が果たさなければならない蕩減復帰とは、どのような道になるのかを教えるために、神様は私を出羽三山の月山の頂上に導き、そこで啓示を下さったのです。神様はたった一人でおられた時の悲しみを注いでくださり、それから10カ月の歳月をかけて、日本の歴史に表れた神様とサタンの抗争史を教えてくれたのです。


興味のある方は、私が公開しているサイトに訪ねてみて下さい。あまりにも文章の量が多いので、読むのをあきらめてしまう方もいるでしょう。(原理を知らない方向けに公開しているサイトです。)


母性のエキス―奇跡の日本史・その秘密―
http://reiseinihonnsi.web.fc2.com/


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