愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

神様の正統な権威を奪おうとしたサタンの謀略が日本の歴史には秘められている!

先回記事重要部分より


庭野氏はこの後、国内外で宗教家として活躍し、宗教協力による平和活動の功績で「宗教界のノーベル賞」といわれるテンプルトン賞を、日本人でただ一人受賞しています。ちなみにテンプルトン賞の第1回受賞者はマザーテレサです。本来は日本における洗礼ヨハネと成るべき人物でしたが、法華経を信じ広めることで持つことが出来た開祖としての自分の権威を、再臨主に捧げることが出来なかったのです。統一原理と出会いながら・・・。


久保木修巳氏は、この洗礼ヨハネの失敗を背負って、統一教会に入信し、再臨主に付き従ったという事です。


先回記事末部より


イエス様の十字架以降に、何故にお釈迦様を救世主と表現せざるを得なくなったのかは次回の記事で・・・。これまでの神様の摂理史には説明されてこなかった詳細な事象と、その奥に秘められていた本質的核心が浮かび上がって来るでしょう。


  *****


先回記事の引用文の中に、法華経は西暦五〇年以降に記されましたとありました。当時のインドには、すでにキリストの一二弟子の一人トマスが、伝道に入っていました。法華経は、トマスのキリスト教思想の仏教的焼き直しとまで説明していました。


  **原理講論より引用開始**


後編:第四章 摂理的同時性から見た復帰摂理時代と復帰摂理延長時代 > 第六節 メシヤ降臨準備時代とメシヤ再降臨準備時代

初臨のときには、神がその選民のために、メシヤが降臨される四三〇年前に、預言者マラキを遣わされて、メシヤが降臨されることを預言なさるとともに、一方においては、ユダヤ教を刷新して、メシヤを迎え得る選民としての準備をするようにされたのであった。また、異邦人たちに対しては、これとほとんど同時代に、インドの釈迦牟尼(前五六五~四八五)によって印度教を発展せしめ、仏道の新しい土台を開拓するように道を運ばれたし、ギリシャでは、ソクラテス(前四七〇~三九九)の手でギリシャ文化時代を開拓せしめ、また、東洋においては、孔子(前五五二~四七九)によって儒教をもって人倫道徳を立てるようにされるなど、各々、その地方とその民族に適応する文化と宗教を立てられ、将来来られるメシヤを迎えるために必要な、心霊的準備をするように摂理されたのである。それゆえに、イエスはこのように準備された基台の上に来られ、キリスト教を中心としてユダヤ教(Hebraism)を整理し、ギリシャ文化(Hellenism)、および、仏教(Buddhism)と儒教(Confucianism)などの宗教を包摂することによって、その宗教と文化の全域を、一つのキリスト教文化圏内に統合しようとされたのである。


  **引用終了**


お釈迦様による仏教は、メシヤを迎える為に必要な心霊的準備として摂理的に興ったものの一つです。それらの宗教や思想の中でも、一人の人間の内面性を突き詰めていくものでした。


この法華経を、日本で最初に教義とした人物こそ聖徳太子です。聖徳太子は『法華義疏』『勝鬘経義疏』『維摩経義疏』の三経義疏を611年から615年にかけて著わしましたが、それぞれ『法華経』『勝鬘経』『維摩経』の三経の注釈書です。


「メシヤを迎える為の基台」を彷彿とさせる十七条憲法は、聖徳太子によって604年に作られましたが、聖徳太子は「メシヤを迎える為の基台」としての和を実現するために、『法華経』『勝鬘経』『維摩経』の三経を選んだのです。


十七条憲法の中で最も強く謳われたのは、最初に掲げられた「和をもって尊しとなす」と言う項目でした。和をもたらすために重要なことは、神様の願いにかなう母性の伝統を作ることでありました。生命を誕生させることは神様の領域であり、サタンには決してできないことです。人間の生命が生まれたその瞬間から、サタンはその人間を奪おうと働きかけてきます。自分のことよりも他者を思う人間になるのか、自分の欲望を先立てる人間になるのか・・・。もはや母の胎内にいる段階から、サタンは母を取り巻く恨み多い環境を作り出し、憎しみを母にも子にも注入しようとしてくるのです。


だからこそ、世の中に「和」をもたらす女性への真の教えを広めることが重要な意味をもち、後代に受け継がれることが必要になるのです。聖徳太子は、推古天皇に仏教の本質を理解してもらおうと試みます。推古十四年(604年)、女性である推古天皇に勝鬘経を講義するのです。勝鬘経の主人公は、インド北部にあった大国コーサラの国王の娘で、隣国の王妃となった勝鬘(シリーマーラー)夫人です。彼女が釈尊の面前で大乗の教えを開陳すると、釈尊は賞賛の言辞を挟み、その通りだと是認されるという筋書きになっています。それは彼女が、大乗仏教のすぐれた実践者であることの証しそのものでした。つまり勝鬘経とは、仏の心を目覚めさせた女としての心得をさとしながら、すべての人間が仏になる可能性を認めている経文なのです。なぜ女の心得なのか。


それは人間に仏心・・・、正しく言えば神性と言う事になりますが、霊性が高められていくためには、母の胎内に宿されたときから注がれ続ける母性愛が重要なのです。その心の土台がなければ、どんなに厳しい修行を行おうとも、仏心及び神性を帯びて発揮される犠牲的愛を実践することは難しいのです。


つまり神様は、女性の母性愛を仏教の教えにより啓発させ、天の使命を受けるにふさわしい器を持つ男たちを、この日本に誕生させようとしたのです。サタンは男の権力欲に直接働きかけて分裂させ、恨みと憎しみの渦巻く世の中に貶めようとします。神様は人間の心の根っこから、サタンが働く要素を取り除こうとするのです。推古天皇が聖徳太子の期待通りに教えを受け止め、天皇家の伝統とするか、すべての女性の教えとして広めようとしていたならば、サタンの勢力は大きく後退するはずでした。サタンの攻勢が続いていた日本の歴史に、神様は聖徳太子を通じて母国としての心情的基盤を作り、神様が攻勢に出る基点を立てようとしたのです。


この神様が日本に期待した、母性に支えられた天皇の権威を、血統によって奪おうとする者が現れるのです。紛れもなく、それはサタンの手足となって動く者どもです。


真のお父様は聖和される前年の2011年1月の朝の訓読会で、「日本の歴史を紐解きなさい」と語られました。お父様はその時期に、何故にこのような象徴的なみ言を語られたのでしょうか。


神様の正統な権威を奪おうとしたサタンの謀略が、日本の歴史には秘められているからです。 


立正佼成会の会長・庭野日敬氏は、自らが築いた権威を再臨主に捧げることができませんでした。日本の背負う歴史的蕩減は、権威を笠に着て権力を握ろうとすることです。庭野日敬氏の開祖としての権威は、法華経によるものです。法華経は「メシヤを迎える為の基台」として、摂理史上に現れたものです。


この歴史的蕩減を背負って、庭野日敬会長の秘書であった久保木修巳氏は、再臨主に付き従ったという事です。


日本の歴史に秘められているサタンの謀略を、次回記事で暴こうと思います



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