愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

幹部は真のお父様に侍ると思い込み自分なりの信仰観・原理観を創り上げ自分を信じる者となった!

先回記事末部より


驚くことに、ユニコーン(一角獣)は江戸城無血開城を意味するものでは無く、天皇家の象徴でした。


皇室の紋章は十六八重表菊の菊花紋章ですが、もっと古くには、もう一つの紋章があったのです。


イギリス国王の紋章もユニコーンとライオンであり、ロスチャイルド家の紋章もユニコーンとライオンが描かれています。


イギリスと日本は、神様の摂理上では、母国としての役割を担う国です。


ロスチャイルド家は言うなれば、社会を人間家畜工場にして、人間を家畜として産みかえるサタン側の母胎です。


この深い繫がりを説明する日も、必ず来なければなりません。


  *****


私が先回の記事で伝えたいことは、記事の題名にした「日本とユニコーン(一角獣)とユダヤとイギリスとロスチャイルド家!」に出てくる国々やロスチャイルド家の摂理的な関係ではありませんでした。


最も理解して欲しい事は、これらの摂理的な関係性を神様は全てご存じであり、それを2004年の段階で私に知らせようとして、雲の形象で一角獣を描き写真に撮らせていたという事です。まだその時は、霊界や食口の心情圏が、その関係性について明らかにできる条件を備えていなかったがゆえに、どんなに調べても私は理解できなかったという事です。


でも今や、亨進様に聖霊が臨み、真のお父様の生心に夜の神様が臨在しておられることが明らかにされ、聖霊役事が常時行われるようになりました。


真のお父様がラスベガス摂理でトランプ大統領を見いだされたがゆえに、彼は神様の絶大な協助を受けられるようになり、共産主義よりももっと深刻なグローバリストというサタン軍の手先どもと戦う使命を与えられました。


その闘いが始まることを、神様は2004年の段階ですでに伝えて来ていたのです。


夜の神様からの、恐るべき啓示です。当時は、雲の形象で啓示を受けたなどと語ったなら、どんな親密な兄弟姉妹もあざ笑いました。馬鹿にされました。


今だって、理解できない方には全く信じられないでしょう。


祝福伝道日本一だという霊能者に、私の協助霊を見てもらったところ、日蓮を慕って生涯にわたり、「南無妙法蓮華経」と、行く先々その土地土地に札に書き記し残していくだけの生涯を送った名も無い者だというのです。私の協助霊が、何故に日蓮を慕う人物なのか、これまで一切分からないままだったのです。


それが、神様からの啓示を受けて書いてきた、「夜の神様と真のお父様が勝利された極秘戦略の全貌」を書き上げたことによって、理解できるようになりました。


日蓮が布教を勧めた「法華経」は、聖書の仏教的焼き直しであり、すなわち、「メシヤを迎える為の基台」を造るための経典だったのです。


私の協助霊は、社会からの落ちこぼれであり、信仰からも落ちこぼれとみなされた人物でした。ひどいことに日蓮その方が、信仰する事さえままならない人物と見限った若者だったのです。


その若者とは、鎌倉時代の百姓の倅でした。体が弱く、農業の仕事もままならず、かといって頭も弱かったのです。ところが心があまりにも純粋で清すぎて、人々のためになることをしたいと思いながら、自分からは何もできないでいたのです。悩み果てながら彷徨っていると、通りの向こうから僧侶の力強い説法が響いてきます。


1253年から1254年ごろのこと、辻説法で力強く「南無妙法蓮華経」と唱え、人生のいろいろな悩みや執着はそのまま悟りだと思い、法華経を信じる事を説いていました。その僧侶は立教開宗してまもない日蓮だったのです。


百姓の倅は感動のあまり、弟子にしてくれと訴え出ました。断られても、断られても食い下がったのです。体も弱く、頭の回転も鈍いし、とても、厳しい修行には耐えられないと日蓮は判断しました。普通に暮らしたほうが、この者のためなのだとおもったのです。しかし、倅は諦めませんでした。その清らかな心根が、ついに若き日蓮を動かしましたが、弟子にはせずに、行をすることを与えたのです。「おまえの行く先々で『南無妙法蓮華経』と書き記しなさい。それをおまえの行とせよ。」と・・・。


その後、日蓮は精力的に活動を進め、1260年に『立正安国論』を著しました。この書は、地震・洪水・飢饉・疫病などの災害が起こる原因は、民衆や幕府の間違った信仰にあるとして、仏教経典を根拠に、正法たる「法華経」を立てなければ国内では内乱が起こり、外国からは侵略を受けると説いたのです。


過激な教えはさまざまな反感を買うようになりました。他宗派の僧侶ら数千人に焼き討ちにあったり、負傷させられたり、弟子には殺されるものも出ました。また、幕府を批判した罪として伊豆と佐渡へ、二度の流罪を経験したのです。


その二度目の佐渡島流罪(1271~1274年)を、あの百姓の倅が伝え聞いて、日蓮に会わなければと佐渡島までやって来たのです。


「ああっ、おまえはあの辻説法の時に、弟子にしてくれと願い出た者だな。」


「はい、行く先々で「南無妙法蓮華経」と書き記すことを行としていただいた者です。」


「おまえ、それを続けているのか。」


「はい、そのために行脚を続けています。」


「あれからもう二十年だぞ。」


日蓮がこの倅に行として与えた時には、すぐに止めてくれるだろうと思ったのでした。日蓮には熱狂的な信者も多いのですが、反感を持って命を奪おうとする者も数多かったのです。人知れず二十年の間、法華経と日蓮を信じぬき行脚を続けている姿に、日蓮は代え難い希望をもらったのでした。


日蓮は1274年4月に赦免され、幕府評定所に呼び出され平頼綱より蒙古襲来の予見を尋ねられると、「今年を過ぎることはないだろう」と答えました。それを防ぐためにも「法華経」を立てよとさとしましたが、幕府は受け入れることはなかったのです。


日蓮は寄進された身延山に久遠寺を開山します。


その十月に日蓮の予見通りに、蒙古は襲来するのです。


1282年10月13日、日蓮はこの世での生を閉じて、昇天されました。60年の日蓮の生涯で、せがれと会ったのは二度だけでありました。


それが、私の協助霊として行に生きた倅が、霊能者の協助霊として日蓮が、740年の時を経て再開したのでした。そして、日蓮は倅に言葉をかけました。


「おまえが行脚し、『南無妙法蓮華経』と書き記して回った地には、日蓮を教祖とする宗教宗派の教会や寺院が立ち、信仰が深く根を張り、豊かに花咲き実を結んでいるぞ。」


日蓮の霊は、神様の摂理を十分には理解できずに、このようにして霊能者の口を通して伝えてきたと、私は受け止めています。


神様が生涯を行に生きた倅に声をかけるなら、次のように伝えたでしょう。


「おまえが行脚し『南無妙法蓮華経』と書き記して回った地には、再臨主を迎える為の基台が見事に立ち、再臨主を信じるものが多く現れているぞ。」


なぜなら、「法華経」は聖徳太子が制定した「十七条憲法」と同様に、神様が日本に与えた「メシヤを迎える為の基台」であるからです。「法華経」の経典の意義と、基台としての条件を、日蓮は「南無妙法蓮華経」の題目の中に我知らずに込めたのです。


日本民族が歴史的に積み重ねてきた「メシヤを迎える為の基台」があったということです。それは日蓮が立てたのではありません。最澄や空海や、教祖と言われる方々が立てたものでは有りません。彼ら教祖は、自分独自の解釈を信じました。しかし、「法華経」や「南無妙法蓮華経」を意味も分からずに、ただひたすらに信じてとなえた民衆たちが「メシヤを迎える心情の基台」を積んできたのです。その功績に預かり、再臨主を待ち忍んでいる事も無かった私たちが、再臨主と出会えたのです。


そして、この様相そのものが、日本統一教会のかかえる民族的蕩減となったのです。つまり、統一教会の幹部たちは、真のお父様を信じていると思い込みながら、自分なりの信仰観・原理観を創り上げて、自分を信じる者となっていたのです。そして日本の下層の民衆を象徴する立場であたのが、位置もなくひたすらに最前線を歩んだ兄弟姉妹たちです。この兄弟姉妹が、真のお父様への「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」で積み上げた心情基台があったがゆえに、亨進様と信俊様が進む三大王権の道が開かれたのです。



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