愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

真のお父様が晩年にボケたとか事業や摂理に失敗したと思っている方に告白します!

先回記事末部より


真のお父様が本当に語りたかったことは、「夜の神様、昼の神様」を理解した後に語られるものでした。だからその意味で、私たちは夜の神様とお父様の事を、神様の摂理を歩みながらも、何にも理解していなかったということです。1945年からの7年で、キリスト教がお父様を再臨主として受け入れていれば、聖霊に導かれた基盤の上で、「夜の神様、昼の神様」のみ言は、お父様の第一声として語られたはずです。


真のお父様を慕う私たちは、聖霊について理解し、聖霊によって夜の神様と真のお父様が、常に私と共に居て下さるということを心から理解しなければなりません。「他の人間は昼の神様の管理を受けるのだ」この意味を真に理解することによって、私たちは初めて神様と共にあり、お父様とともにある人生を送ることが出来るのです。


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「夜の神様、昼の神様」のみ言は、夜の神様とお父様の本当の存在様相と、その本質的関係性を明らかにしようとしたものです。さらに「真のお父様は夜の神様の管理を受け、他の人間は昼の神様の管理を受けるのだ」というみ言は、夜の神様と真のお父様の関係性を心情的支柱として、真のお母様をはじめとする息子娘たちがどのように繋がっているのかを説明しているものなのです。


聖霊は被造世界を創造し存在させるために、神様本体(夜の神様)から発動されている心情エネルギーです。心情の衝動力と一体となって、神様本体を存在させていた原力が分立され、創造原理のプログラムに則って正分合作用によって、あらゆる個性真理体を創造し存在させる心情エネルギーです。一つ一つの個性真理体を造り上げ、存在させるための働きを中心として呼べば、それが聖霊なのです。


今まで私たちは、その聖霊の働きが、メシヤを生誕させたり、メシヤを信ずるものに証しの力を及ぼす時に、その女性神としての働きのみを聖霊と呼んできたのではないでしょうか。しかし、「昼の神様の管理を受ける」というみ言を正しく理解するためには、霊界を含めた被造世界のすべての存在と活動を可能にしているのは、聖霊の働きによるものだということを知ることから始めなければならないのです。


もちろん、私の心臓が鼓動し、息をすることが出来るのも聖霊の働きによるものです。私が物や風景を見たり、音を聴いたり出来るのも聖霊の働きであり、喜怒哀楽を感じることが出来るのもそうなのです。そして私たちは、真の御父母様を親とする息子娘として、愛の人格を完成させなければなりません。さらに家庭を完成させ、四大心情圏を体恤しなければなりません。そうして、私たち自身も昼の神様が顕現した実体と成らなければならないのです。


アダムとエバが堕落することなく完成すれば、そこに真の家庭の四大心情圏は成就され、昼の神様の実体と成りました。それこそ、聖霊の働きがそこに結実するということです。聖霊の働きが結実するということは、夜の神様である神様本体と、聖霊によって完全なる相対基準を結び、意志と心情が直結するようになるということです。すると、時空を超越しておられる神様は、その愛ゆえに、私の心の中に存在して下さっていると感じることが出来るのです。私の生心に、神様の心情の動機と同じ衝動力を得て、神様の意志と心情に合わせて動じ静ずるようになるということです。つまり、私の生心に夜の神様が入ったと感じられるけれども、それは昼の神様なのだということになり、聖霊の働きによるものだということなのです。その状態は、神様本体が、私の生心に入られたと同様と言えますが、昼の神様に込められた愛ゆえなのだと理解することが、夜の神様の尊さを自覚できる基点となるものです。


その状態を、お父様は「昼の神様の管理を受ける」と表現されたのです。


しかし、私たちは堕落してしまいました。堕落した私たちにとって、聖霊との関係はどのようになったのでしょうか。私たちは邪心を備え、堕落性の虜となり、神様との相対基準を失ってしまいました。夜の神様とは断絶してしまったのです。しかし、聖霊は私を生かしている生命そのものであり、堕落した私たちをも主体として立てて、完全対象となって働いています。夜の神様とは断絶しても、聖霊は離れることは出来ないのです。堕落した私たちは、聖霊を自覚する心も失われ、まったく感覚することが出来ていなだけなのです。


お父様は再臨主として何が偉大かと言えば、人類始祖の堕落の原因を突き止めた事であり、それを償うための蕩減復帰原理を見出したことです。その蕩減復帰原理とは、どんな存在が備えているものかと言えば、それこそ聖霊が備えている法則性による愛の御業です。聖霊は、夜の神様によって創造原理がプログラミングされた心情エネルギーです。


ここで、創造原理がプログラムされた聖霊を感じ取っていただくために、亨進様の著作から、関連の有る記述を引用します。亨進様が、世界会長に就任された2008年4月に発刊された、「はげ頭と苺」の中にある記述です。


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私は、これらのことや物理学の他の多くの原理についても熟考するようになり、自分自身の「霊的蘇生」という領域において必要であった霊感(インスピレーション)を多く得るようになりました。


この研究によって、理解の全く新しい段階が開けてきました。もしも量子物理学が正しければ、宇宙エネルギーというものは存在するということになります。というのは、すべての物質は分子からできており、その分子は電子、陽子、中性子その他の亜原子的存在によって構成されており、そしてそれらは量子によって構成されているからです。今まで、常に耳にしてきた「万有原力」というもの、それはどこにでも遍在していて、すべての存在に形態を与え、しかもそれ自体が形態を与える「存在」であるという、これがまさに正しい概念であったという実証を、初めて認識できる形でかつ明白に見ることができました。これには非常に驚きましたが、しかしまだ抵抗しようとする心もありました。


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この文章の中で、亨進様は聖霊の正体に触れています。次の一文です。


今まで、常に耳にしてきた「万有原力」というもの、それはどこにでも遍在していて、すべての存在に形態を与え、しかもそれ自体が形態を与える「存在」であるという、これがまさに正しい概念であったという実証を、初めて認識できる形でかつ明白に見ることができました。


とくに「それ自体が形態を与える『存在』」という言葉で表現された万有原力に付与されたプログラムの機能です。天宙を形成するすべての形象的個性真理体及び、象徴的個性真理体を、エネルギーとしての原力自体が構築していくプログラムです。


神様が愛する対象を創造するために「光あれ!」という叫びとともに、夜の神様本体から放射された心情エネルギーこそ聖霊です。万有原力とは聖霊の活動を支えるエネルギーのことであり、そのエネルギーは、聖霊としての存在に組み込まれた創造原理のプログラムに応じて、各々相対基準を結び授受作用し四位基台を形成していくことになります。


堕落して夜の神様と断絶した私たちの償い、つまり蕩減復帰は、原理に従って摂理されるようになります。


緒 論(三)復帰摂理歴史と「私」
このように復帰摂理は、創造目的を再び成就するための再創造の摂理であるから、どこまでも原理によって摂理されなければならない。それゆえに、これを復帰原理というのである。我々はここにおいて、復帰摂理がどのようにして成就されるかということについて調べてみることにしよう。


人類始祖が堕落し、夜の神様は断絶せざるを得なくなりますが、夜の神様はその愛と心情によって、聖霊に組み込まれた原理に従って展開される蕩減復帰原理を発動させました。聖霊は主体として立てた堕落人間の対象として立ちながら、心霊状況に応じて、復帰のためのあらゆる環境と手段を整えてくれるのです。その環境に立つ人物が、それに気付けるか、あるいは、気付けずとも我知らずに蕩減条件を立て、段階的に復帰していくかは、その人物の責任分担なのです。


ということで、完成していない私たちに対しては、聖霊が対象に立ちながらも、愛においては主体として立っているかのように管理してくれているのです。これが間接主管圏というものなのでしょう。


つまり、真のお父様以外の、真のお母様と全ての息子娘は、昼の神様に管理されることによって直接主管圏に入るということです。


それで、「真のお父様は夜の神様の管理を受ける」ということは、どのような事なのかということが問題になってきます。それが理解できて、はじめて「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」とは、どのような心情世界なのかということが見えてくるのです。



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