愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

すでに理解していると誤解している四大心情圏の原点にある神様の誕生日!

先回記事末部より


亨進様と国進様が、本然のカインアベルとして一体となった実体基台の上に、お父様は、生心に夜の神様が臨在されたメシヤとして、再臨主として、さらに、成すべきことを全て成就した真の父母として立つことが出来るようになりました。


このことにより、天一国世界を形成するすべての四位基台の中心に、夜の神様が臨在されたお父様が位置することになるのです。夜の神様が真のお父様の生心に臨在され、その肉身の五感を通して、亨進様・信俊様を直接的に触れ合い愛し合う事を通して、四大心情圏を地上界に実体験することが出来たのです。真のお父様の肉身を通して、亨進様御家庭と国進様御家庭とともにあり、夜の神様は地上界において愛し合う実体験を味わったのです。


このようにして、夜の神様が実感し体恤された四大心情圏こそ、天一国の核となるものです。その四大心情圏としての心情の動機を、私たちは生きる為の根本にあるものとして相続しなければならないのです。


  *****


真のお父様は、1993年10月から始められた16万人日本女性特別幹部修練会において、初めて四大心情圏について語られました。他の修練会と大きく違うのは、真のお父様が修練所に寝泊まりして、同じ屋根の下に暮らしながら、自ら直接に愛を注ぎ語られ教えられたという事です。


1993年12月31日に、真のお父様自らが四大心情圏について語っているみ言より抜粋引用します。


  **引用開始**


四大心情圏は、(人間始祖が)堕落した以降の問題ではなく、堕落以前の神様の心情圏を完成するための標本です。テキストです。「万民は、こういうような公式的基準によって天国に入る」という、その標準的な公式です。そういうようなことです。神様は無形実体なのです。形は見えないのだけれど、実体を持っているのです。無形実体の神様は、性相と形状をもっており、愛を中心として一つになっていたのです。


いくら愛を中心として、その体内で一つになったとしても、心臓の中で鼓動がたくさん動いていても、感じないのと同じです。一つになった場合には、相対的に感じることが難しいので結局、相対的な存在をつくることによって、衝撃を受けるのです。すごく爆発的衝撃を受けるのです。だから、相対と向かい合うことによって、作用が始まり、それがどんどんどんどん深くなって、愛という力が生まれるのです。


それでアダムとエバは、結局、神様の見えない姿そのものを全体的に表示して、実体化しようとするのが創造の目的なのです。実体化したその目的は何かというと、愛の相対のために、愛を完成するためです。その内的な愛が、外的な相対を中心として一つになることによって、衝撃を受け、衝撃を受けることによって、それは高い喜びを感じるのです。


結局、神様の見えない実体がアダムとエバによって展開されるのです。そうすると、神様の無形実体内で、神様自体も一遍に大きくなったのではないのです。だんだんだんだんと大きくなってきたというのです。一遍に大きくなったということになれば、それは大変なことになるのです。すべてのものは、小さいものからだんだんと大きくなるのです。

だから、神様自体がずーっと成長してきた内容を中心に、それをさらに展開しようとするのです。それは子女として、子女の形で、子女の心情、それから兄弟(姉妹)の心情、夫婦の心情、父母の心情という四大心情を中心として展開するのです。神様自体がそういう過程を通過してきたのだから、それを表面的に実体として展開していくのです。それは子女の立場で始まるのです。子女がどんどん大きくなって兄弟(姉妹)になり、兄弟(姉妹)が大きくなって夫婦になり、夫婦関係でもってある期間を通過しながら、父母になるのです。その内容のすべては、神様がずーっと成長してこられた内容を実体的に表示したものであり、だから神様自体が、どのようにして大きくなってきたかということを、アダムとエバを通して実体的に体恤するのです。


  **引用終了**


四大心情圏についてのみ言において、最も理解するべきところは次の部分です。


「結局、神様の見えない実体がアダムとエバによって展開されるのです。そうすると、神様の無形実体内で、神様自体も一遍に大きくなったのではないのです。だんだんだんだんと大きくなってきたというのです。一遍に大きくなったということになれば、それは大変なことになるのです。すべてのものは、小さいものからだんだんと大きくなるのです。」


「神様自体がずーっと成長してきた内容を中心に、それをさらに展開しようとするのです。」

神様も小さいものから、だんだんと大きくなったと語られています。それでは、何が大きくなる発端となったのかという事です。神様を大きくした原点にあるものを、神様は人間にも備えさせてあげたいと思うのは当然な事であり、自然な事でしょう。


その原点にあるものとは、神様の誕生日の出来事であり、神様はその誕生の前から存在していたのですから、神様も重生したという事になります。私たち堕落人間にとっての重生とは違い、愛の前に純粋な、無から永遠への誕生と言えます。



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