愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

真のお父様に対する無知を次々と露呈する師観氏のサタン的凄腕ブログ!

師観氏は11月3日のブログ記事『「原理講論(再臨論)」修正の提言』において、吉田宏氏の論文を引用して、原理講論を次のように修正したほうが良いという事を暗に主張しています。


「一読の価値がある」と表現していますが、以前からの記事からして、師観氏も同様の考えでいることは間違いないでしょう。


サタンは自分の口で言うよりも、他人に語らせるのです。師観氏はブログ記事において、ほとんどこの手法を使っています。他人の語ったことを利用して、自分は責任を回避しながら、読み手にサタン的要素を注入していくのです。引用された吉田氏の論文の後半の部分を、ここに掲載します。


  *****


上記原理講論(546ページ~547ページ、588ページ~589ページ)の短い記述の中に、「殺戮」「虐殺」「抹殺」といった言葉が9箇所、「極悪」「残虐無道」「極悪非道」といった言葉が3箇所記載されています。


これらの言葉の羅列は、(たとえそのような事実があったとしても)読むものに不快感を与え、宗教書としては不適切な表現であると言わざるを得す、下記の通り修正の提案をするものです。


(1)先ず第一に、「虐殺」という言葉を「殺害」という表記に変更することを提案いたします。


(2)「極悪」「残虐無道」「極悪非道」という言葉を削除乃至は表記を変更することを提案いたします。


例えば、次のように削除・修正することを求めるものです。


1. 547ページ8行目~9行目「このように大戦末期に至りながら、彼らが強行した韓国のキリスト教の抹殺政策は実に極悪なものであった」を削除する。


2. 588ページ13行目「王妃を虐殺するなど、残虐無道な行為をほしいままにし」を「王妃を殺害するなどの行為を行い」に修正する。


3. 589ページ3行目「日本はこのような圧政を帝国が滅亡する日まで続けたのであった」を削除する。


4. 589ページ6行目「八・一五解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は、実に極悪非道なものであった」を「八・一五解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教への弾圧は、過酷なものがあった」に修正する。


5. 589ページ10行目「エジプトやローマ帝国で受けたそれに劣らない迫害を受けたのである」を「エジプトやローマ帝国で受けたような迫害を受けたのである」に修正する。


4、以上の通りでありますが、この修正提案の趣旨は、第一に日本の復帰、特に愛国者や有識者の復帰を考えた場合、上記再臨論等の表現には大きな躓きの要素になる箇所があるという点に有ります。


歴史認識は、単に被害者の論理や主張乃至は加害者の論理や主張というように単純に割り切れない複雑さがあり、被害者側の心情はよく理解できるとしても、一方からのみの主張や記述には慎重さが求められると思うのであります。


第二に、上記修正提案のように表現を変更したとしても、そこに加害者側の主張は無く、専ら被害者側が被害を受けた事実が記述されているのであり、上記修正案は摂理的記述上も許容の範囲にあるのではないかと思料するものであります。


第三に、民族主義の問題であります。UCが今後日本の中で勢力を持ってくればくるほど、国家、民族との壁に直面せざるを得ないということであります。


この時に問題になるのが民族主義との戦いであり、この点を鑑みたとき、現在の再臨論等の表現はあまりにも刺激的に過ぎるのではないかということであり、これ故にUCが反日団体であるとのレッテルを貼られるのではないかということを大変憂慮するものであります。


第二次世界大戦で日本がサタン側に立ったということは摂理的真理であるとしても、上記民族主義の壁を越えるに際し、日本UCの負担を少しでも軽減する措置をとっていただきたいと切に念願するものであります。


  *****


「虐殺」「極悪」「残虐無道」「極悪非道」という表現を訂正するか削除するようにと書いていますが、そのような言葉を使わざるを得なくなった天の事情・心情、あるいは世界摂理の本質に対する考察がまったくありません。


真のお父様は語りたくても語れない立場にあった事など、思い計ることも出来ていないのです。何故語れないかと言えば、教えをいただく側の私たちに条件が無く、蕩減を背負ったままでいたからです。


日本民族は、イエス様の十字架以降の歴史において、最も愛され育まれた民族です。その当時から、再臨主の聖誕のための基盤を築くべく、母国としての教育を受けてきた民族なのです。


私は2004年2月末から6月中旬にかけた約100日間、イエス様の十字架以降の歴史において、神様がどのようにして日本民族を愛し育てたのかを教えていただきました。


なぜ100日間にわたって、神様が私に啓示をくれるようになったかと言うと、その理由は1980年代後半の万物復帰による献金がはなはだしかったころまでさかのぼります。アベルは真のお父様の代身と位置づけ、アベルに対する絶対服従のみ強調されたアベルカイン観でした。真のお父様の教えとは、真逆のアベルカイン観です。このままでは、統一教会が滅びる時が来ると思いました。どうしたら、その危機を乗り越えることが出来るのかと考えた時に、日本の歴史を研究しなければならないという気持ちになったのです。


日本史には世界史と同様の、歴史的同時性が現れてきます。歴史的同時性が現れる理由は、蕩減復帰原理ゆえに、蕩減を清算するまで堕落性を脱ぐための環境圏が繰り返し現れるからです。神様が日本民族に堕落性を脱がせようとする環境圏を与え続けたのは、再臨主が聖誕される前に母国イギリスの位置を日本が受け継ぐ為です。


『ローマ教皇庁のある半島文明を中心として統一天下を成し遂げなければならなかったのに、そのローマ教皇庁が責任を果たせなかったので、イギリスに移っていったのです。これが回ってくる時には、必ず島国である日本を通じて入ってくるのです。日本は、イギリスの文化圏を受け継いだのです。ですから、これ(日本の繁栄期)は、1868年から1988年までの120年間です。サウル王、ダビデ王、ソロモン王の120年期間と同じように、明治、大正、昭和までがちょうど120年です。』(天聖経・環太平洋摂理1990.2.15)


真のお父様は1945年からの摂理において、キリスト教から再臨主として迎えられるはずでしたが、洗礼ヨハネとしての使命者たちが受け入れずに第3次アダムを再臨主として迎えることに失敗しました。そこでキリスト教徒たちが2000年に渡って拡大して来た「世界的メシヤ迎える為の基台」を失いました。つまりそれは「アベルカインによる世界的な蕩減条件」を失ったという事です。


「世界的メシヤを迎える為の基台」を失った状況において、その後の蕩減復帰摂理においては、メシヤに従おうとする者には、日本食口には日本民族の、韓国食口には韓民族の越えられなかった蕩減が背負わされてしまっていたという事です。その日本食口と韓国食口に対して、真のお父様がアベルカインが間違っていると訴え続けて来たということは、アベルカインによる蕩減復帰が為されずに、「メシヤを迎える為の基台」が立たないままであったという事です。


「なぜ、統一教会が発展しなかったか?それはお前達がアベルカイン観を間違えたからだ。私はアベルだ。私は父母の代身だ。私に侍れ、という原理観があるか。」2005年漢南洞にて(20人から30名の最高幹部の前で・・・)


つまり、私たちは文鮮明師を真のお父様と呼び、真の父母として侍っていましたが、実は我々の不足ゆえに、メシヤの位置からアベルの位置に降りて指導せざるを得なかったという事です。


ですから、歴史上はじめて本当の意味での亨進様と国進様によるアベルカインが勝利した2012年4月を前後して、真のお父様は初めて再臨主としてのみ言を語れるようになったのです。アベルの位置にある亨進様を世界会長とした2008年から、「夜の神様、昼の神様」のみ言を本格的に語り始められました。その難解なみ言の本質的な意味を、亨進様は2012年1月に公的に語られ、真のお父様の再臨主としての真の位相・様相を明らかにしたのです。


「夜の神様、昼の神様」の真の意味するところが明かされ、再臨主として、第4次アダムとして立てるようになった真のお父様は、その後、明治維新時における世界摂理の中の日本の立場も明確にできたはずでした。そこのところが明確になったならば、おのずと「虐殺」「極悪」「残虐無道」「極悪非道」というような表現を用いなくても真実は伝わるようになったのです。


真のお父様が本当に語りたかったことは、ほとんど語れないまま聖和されたのです。そのことを理解せずに、真のお父様と残されたみ言を評価する事は出来ないのです。



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