愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

天使長ルーシェルにも天使にも、ある意味で責任分担があるという事実と真のお父様のみ言!

11月20日記事「金考南の嘘八百を隠れ蓑に、復帰摂理をズタズタに切り裂いた再堕落ルーシェルの所業!」に次の質問をいただいていました。


◎華道さん
万物格であり、責任分担のない天使の話なので とても 難しいです。
シムソンさんが言われているルーシェルの再堕落というのは ある人間が再堕落したということでしたら それは誰で ルーシェルの血族とは誰のことでしょうか。
シムソンさんが 全ての食口が 夜の神様であられるお父様の心情を悟れなかったと言われている事と関係があると思います。


翌11月21日記事「堕天使ルーシェルはおろか金考南にも幹部たちにも実にあっさりと騙された我々祝福家庭なのです!」には次の質問をいただきました。


◎慈雲さん
>つまり、ルーシェルは真のご父母様によって重生しなければならないのです。
人間ではなく、天使も真の父母による重生が必要なのですか?

◎華道さん
人間が ルーシェルによって堕落させられたというのも 比喩的 表現なのでしょうか?
もう少しで 本を受けとる事ができますが
堕落は人間が責任分担を果たせなかった事なので ルーシェルがというのは 罪の責任を転嫁する事なので 質問させていただきました。


これらの三つの質問に、同じ説明の流れの中で答えて行きたいと思います。


ただ前提として答えておきますが、ルーシェルの血族とは、サタンの血統とも言うことができ、堕落した人類始祖から産み増えた人類すべてという事になります。


神様は、人間が愛の人格を完成するための責任分担を与えましたが、天使には他の万物と違い、神様から託されている役割があります。どんな役割かと言えば、真のお父様は食口との質疑応答で、「天使にも責任分担がある」と語られてさえいます。


  **引用開始**


教会員:ルーシェルの責任分担は何なのか、天使長ルーシェルが堕落できるのか、失敗を犯しうるものなのか知りたいです。

文鮮明先生:
堕落したのだから失敗したのではないですか。失敗できたから堕落したのでしょう。

教会員:
全知全能でいらっしゃる神様が天使を創造されるときに、どうして失敗できるものを創造されたのかということが(疑問なのですが)。

文鮮明先生:
ですから、法というものがあるではないですか。あなたたちもそうではないですか。全知全能の神様がつくられた人も同じではないですか。法を守らなければ、いくら聖人の息子でも、いくら聖人だとしても、法に背けば、それはすべて法の制裁下に入っていくのです。法に背けばすべてのものが破壊されます。神様自身も法を守るのです。絶対的な神様も法を守るというのです。
 あなたたちは原理のみ言を学んでいないのですか。神様が絶対的なので、原理も絶対的です。ですから、その原理原則を守らなければならないのです。天使長もそうです。神様がつくった法度に従って生きなければなりません。その限界内で生きなければならないのです。限界外に出ていく、それはいけないのです。


教会員:
それでは責任分担は? 責任分担という人間に善悪の実を取って食べることも取って食べないこともできる選択権が与えられたのではないですか。

文鮮明先生:
その責任分担というものは、愛のためにつくったのです。神様を中心として愛の関係を結ぶことができるたった一つの存在は人です。人しかいません。なぜ特定の人間にだけ責任分担を与えたのかということです。
もちろん、天使世界にも責任分担があるでしょう。しかし、私たちの原理で言う間接主管圏と直接主管圏、二つの世界を経ていくことができる、このような立場に立っているのは人間だけです。
(『文鮮明先生御言選集』182-101 1988.10.16)


  **引用終了**


また、原理講論には天使の役割について、次のように記述されています。


神は被造世界の創造と、その経綸のために、先に天使を使いとして創造された(ヘブル一・14)。天使はアブラハムに神の重大な祝福のみ言を伝えたのであり(創一八・10)、キリストの受胎に関する消息を伝えたり(マタイ一・20、ルカ一・31)、獄中で鎖につながれていたペテロを解いて、城外に導いたのである(使徒一二・7~10)。
 このほかにも、神のみ旨のために天使が活動している例は、聖書の中に、無数に探しだすことができる。それゆえに、黙示録二二章9節では、天使が自分自身を「僕」と言い、またヘブル書一章14節においては、天使を「仕える霊」と記録しているのである。
 そしてまた、天使は神に頌栄をささげる存在として創造されていたという証拠も、聖書の中に数多く見いだすことができる(黙五・11、黙七・11)。
(『原理講論』p106)


このように原理講論では天使の役割を「神様の使い」としての役割があり、また、神様に頌栄をささげる存在としての役割を担っていると説明されています。


神様の使いとは、神様のみ言を神様に代わって伝える役割です。それは、人間が三大祝福を完成できるように、神様の代わりとなって教育する立場とも言えます。


今日の記事での答えはここまでにします。真のお父様が語っているように、天使も神様から担わされた役割に失敗して堕落したのです。この辺が理解できるようになると、神様が回心したと言って帰って来たルーシェルに投げかけた、『お前の現実があまりにも哀れでならない…』という表現の意味が心にしみてくるようになるのです。


『ルーシェルよ、おまえは誰に敬拝し、誰に許しを請うというのか。私に敬拝する前に、まず、おまえの血族を振りかえってみるがよい。過ぎし日のおまえが何を誤ったのかを、彼らに知らせるがよい。それから私に敬拝するのだ。おまえの血族たちを限りない精誠をもって世話してほしい。そして、彼らといっしょに私の所に来るのだ。お前の現実があまりにも哀れでならない…』


ルーシェルは自分の失敗を、自分だけで取り戻すことはできないのです。真のお父様が真の愛の限りを注いで教育しても、まったく理解できていなかった私たち祝福家庭を見ても、その苦労を思い計れるのではないでしょうか。


堕落人間に蕩減復帰の意味を理解させなければなりませんが、あくまでも、その堕落人間の責任分担において気付けるように導かなければならないのです。それが、どれほど困難でしょうか。


ルーシェルが自らの血族、つまり堕落人間を連れて来て神様の前に立たせることがどれほど困難な事でしょうか。その道を経ずしては、元の位置に帰れない堕落天使長ルーシェルなのです。


次回の記事で、もっと噛み砕いていきたいと思います。



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