愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

誰も知らなかった夜の神様と真のお父様の戦略を知る為の、まず一つの要因!

先回記事末部より


「夜の神様、昼の神様」のみ言は、創世記第1章の解釈であり、1945年から始まる再臨主の第1次公式路程において、キリスト教がお父様を再臨主として受け入れていれば、最初に語られたみ言でした。ところが、洗礼ヨハネの使命を持つ者たちが背反して、キリスト教が再臨主と決別しました。そのキリスト教に代わり、お父様は統一教会を立てましたが、聖霊を失ったところからの出発だったのです。失った聖霊を取り戻すための摂理の出発点が、1993年に始まった日本女性特別修練会でした。聖霊を取り戻すための摂理の詳細は、いずれ明確にしなければなりません。


統一教会は聖霊を失ったところから出発していると書いていますが、聖霊を失うことにより、お父様を信じる者たちが代わりに背負ってしまったものがあるのです。聖霊を取り戻していない者は、それを確実に背負っています。それを背負ったままでは、「私は夜の神様から管理を受け」のみ言を理解することは難しいのです。


ですから、「私は夜の神様から管理を受け」の本質的解釈に臨む前に、真のお父様を信じてきた者たちがいまだに背負っているものについて、次回の記事より説明していきます。


  *****


統一教会は聖霊を失ったところから出発していると、先回記事を締めくくりました。聖霊を失うとはどのような意味なのでしょうか。


この現実世界・・・、被造世界は・・・、夜の神様から発動されている動きの神様・摂理の神様としての昼の神様の、無限の心情エネルギーで創造され、形成され、存在し生存するようになっています。被造世界の創造は、真の父母の完成を目指し、四大心情圏の天一国創建を目指して為されます。その目的を中心として心情エネルギーを呼ぶ時、それは昼の神様ですが、働きを中心としてみる時、その夜の神様の心情エネルギーは聖霊と呼ばれます。


ですから、人間は聖霊を失うということは無いのです。聖霊は一人一人の人間を主体に立て、対象的相対として立ち、生かし成長させようとして働いています。それは、夜の神様の真の愛ゆえです。人間がたとえ堕落したとしても、聖霊が離れたならば存在すること自体が出来ないのです。堕落した人間をも生かし、本来の姿に戻すために、蕩減復帰できる環境を周りに作り出し、自己の責任分担で気付いたり、善の条件を立てられるように導いているのです。


ですから、聖霊を失うとは、堕落した人間が、聖霊との相対基準を作りえずに、聖霊や神様に対する感性を失った状態となっていることを意味します。


まず、聖霊を何故に失ったのかということを知るためには、何故に聖霊が堕落人間に対して働けるようになったのかを知らなければなりません。つまり、堕落人間さえも生存させ、罪を蕩減させ、復帰させようとしている神様の存在、聖霊の存在に対して、相対基準を何時から作れるようになったのかを知らなければならないということです。


それは、新約聖書に明確に記されています。使徒行伝第1章です。


1:1テオピロよ、わたしは先に第一巻を著わして、イエスが行い、また教えはじめてから、 1:2お選びになった使徒たちに、聖霊によって命じたのち、天に上げられた日までのことを、ことごとくしるした。 1:3イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。 1:4そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。 1:5すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。
1:6さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。 1:7彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。 1:8ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。 1:9こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。 1:10イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて 1:11言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。


イエス様は十字架に架けられた後に、三日後に弟子たちに現れ、「近いうちに聖霊が降る」ことを告げ、自らは天に昇っていくことを話されます。イエス様は40日間復活され、昇天されてから10日後、使徒とイエスの母や兄弟たち、イエスに従った女たちが集まって祈っていると、激しい風のような音が聞こえ、天から炎のような舌が一人ひとりの上に分かれて降ったのです。集まって祈っていた120人の信徒たちは聖霊に満たされ、さまざまな国の言葉で語り始めたのでした。


2:1五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、 2:2突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。 2:3また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。 2:4すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。


このような聖霊降臨、いわゆるペンテコステが起きた要因はどこにあるかと言えば、使徒行伝の記述者の前の著作になるルカによる福音書の第24章に記されています。


24:1週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った。 24:2ところが、石が墓からころがしてあるので、 24:3中にはいってみると、主イエスのからだが見当らなかった。 24:4そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣を着たふたりの者が、彼らに現れた。 24:5女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、このふたりの者が言った、「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。 24:6そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。 24:7すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして3日目によみがえる、と仰せられたではないか」。 24:8そこで女たちはその言葉を思い出し、 24:9墓から帰って、これらいっさいのことを、11弟子や、その他みんなの人に報告した。 24:10この女たちというのは、マグダラのマリヤ、ヨハンナ、およびヤコブの母マリヤであった。彼女たちと一緒にいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。 24:11ところが、使徒たちには、それが愚かな話のように思われて、それを信じなかった。〔 24:12ペテロは立って墓へ走って行き、かがんで中を見ると、亜麻布だけがそこにあったので、事の次第を不思議に思いながら帰って行った。〕


十字架に架けられたイエス様の遺体を清めるために、3人の女性が香料を携え墓に向かいました。3人ばかりではなく、他の女たちもいました。ここに、重要な意味があり、本質的には聖霊降臨の核心があると言って過言ではないのです。解釈は次回の記事で・・・。



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