愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

韓国語原理講論は聖霊と昼の神様を分けているが日本語訳ではごった煮状態!初めから狂っていた!

先回記事末部より


私の肉体も霊体も、夜の神様から発動された心情エネルギーである聖霊によって存在し、生命活動も心情活動も聖霊の働きによって行われます。聖霊と私は別な存在では無いのです。私を存在させ、成長させ、活動させている聖霊は、夜の神様と被造物を繋ぐ神経系と言えるほどに、夜の神様と私を密接に繋いでくれています。私が堕落性を持って生まれた人間であっても、それでも私の対象として働き、私の意志や感情のままに動いてくれます。しかし、聖霊は夜の神様と密接に繋がっているので、私を堕落の底から救い出すための、蕩減復帰の環境圏を創り上げてくれるのです。


だからこそ、夜の神様を中心とする時に、あなたと私は夜の神様から生まれた兄弟姉妹として繋がるのです。互いに、夜の神様から生まれたという体験を積まなければならないのです。


  *****


4回前の記事で引用した中村仁史氏管理のHP「統一原理マスタークラブ」から、もっと詳しく「聖霊」に関する内容が書かれている記事を取り上げます。


  **引用開始**


『原理講論』の「聖霊」には二つの意味がある‐聖霊と聖神の違い


公開日 : 2019年5月4日 / 更新日 : 2019年6月16日 原語で『原理講論』を読むプロジェクト この記事は約8分で読めます。


【今回深掘りする原理のみ言】
救いを望んでいる堕落人間においては解決すべき問題が多い。その中でも重要なものは、神を中心とするイエスと聖霊との関係、イエスと聖霊と堕落人間との関係、重生と三位一体など、キリスト論に関する諸問題である。(『原理講論』p251)


日本語の『原理講論』には「聖霊」という言葉が47ヵ所に記述されています。
韓国語の『原理講論』で同じ箇所を見てみると、「성령」(ソンニョン:聖霊)と「성신」(ソンシン:聖神)の二つの言葉で表記されています。
今回は、この「聖霊」と「聖神」の意味の違いや、なぜ韓国語の『原理講論』ではそれらが区別して使われているのかを洞察してみたいと思います。


<このページの目次>
1 韓国語の『原理講論』と日本語の『原理講論』の比較
2 韓国語『原理講論』の「성령」(聖霊)と「성신」(聖神)の違い
3 キリスト教の聖霊とは?
4 韓国語の『原理講論』が聖霊と聖神を区別している理由
5 日本語の『原理講論』に出てくる「聖霊」の二つの意味


1.韓国語の『原理講論』と日本語の『原理講論』の比較
韓国語の『原理講論』には、「성령」(ソンニョン:聖霊)という言葉が14ヵ所、「성신」(ソンシン:聖神)という言葉が63ヵ所あり、「성신」(ソンシン:聖神)という言葉の方が圧倒的に多いです。
日本語の『原理講論』では、聖書の聖句を直接引用しているところを除き、どちらもすべて「聖霊」と訳されています。それぞれ例文を挙げてみましょう。


【「성령」(ソンニョン:聖霊)の例文①】
그러나 예수님이 못다 하시고 돌아가셨던 그 말씀은 영원히 비밀로 남아지는 것이 아니라, 진리의 성령이 오시면 그가 너희를 모든 진리 가운데로 인도하시리니 그가 자의로 말하지 않고 오직 듣는 것을 말하시며 장래 일을 너희에게 알리시리라(요 16 : 13)고 계속하여 말씀하신 바와 같이, 그 말씀은 반드시 성령에 의하여 새로운 진리로써 가르쳐 주시게 되어 있는 것이다.


しかしイエスが語り得ず、心の中に抱いたまま亡くなられたそのみ言は、永遠に秘密として残されるのではなく、「真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう」(ヨハネ一六・13)と続いて言われたように、そのみ言は必ず聖霊により、新しい真理として教えてくださるようになっているのである。(『原理講論』p171)


【「성령」(ソンニョン:聖霊)の例文②】
개성을 완성하여 하나님의 성전을 이룸으로써, 성령이 그 안에 거하게 되어 하나님과 일체를 이룬 인간은 신성을 갖게 되므로 죄를 지으려야 지을 수 없게 되고, 따라서 타락할 수도 없게 된다.


個性を完成して神の宮となることによって、聖霊が、その内に宿るようになり、神と一体となった人間は神性を帯びるようになるため、罪を犯そうとしても、犯すことができず、したがって堕落することができないのである。(『原理講論』p135)


【「성신」(ソンシン:聖神)の例文】
 죄악의 자녀들을 다시 낳아 주시기 위하여 그 참 어머니로 오신 분이 바로 성신이시다.그러기에 예수님은 니고데모에게 성신으로 거듭나지 아니하면 하나님 나라에 들어갈 수 없다고(요한복음 3장 5절) 말씀하셨던 것이다.
 이와 같이
성신은 참 어머니로서, 후해와로 오신 분이시기 때문에, 그를 여성신으로 계시 받은 사람이 많다.그리고 성신이 여성신이시기 때문에 성신을 받지 않고서는 예수님 앞에 신부로 설 수 없는 것이다.이와 같이 성신성신이시기 때문에 위로와 감동의 역사를 하시는 것이며(고린도전서 12장 3절), 또 해와가 지은 죄를 탕감복귀하시기 위하여 죄를 씻는 역사를 하시지 않으면 아니되는 것이다.그리고 예수님은 남성이시므로 하늘(양)에서, 성신은 여성이시므로 땅(음)에서 역사하시는 것이다.


罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。 このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントI一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。(『原理講論』p264~5)


『朝鮮語辞典』(小学館)で「성신」を調べてみると、「キリスト教の聖霊」とあるので、翻訳としては間違いではないです。
では、なぜ韓国語の『原理講論』では「성령」と「성신」に分けて表記されているのでしょうか?


2.韓国語『原理講論』の「성령」(聖霊)と「성신」(聖神)の違い
「성령」(聖霊)14ヵ所と「성신」(聖神)63ヵ所をすべてチェックしてみた結果として言えることは、神の御霊を意味する場合は「성령」(聖霊)、イエス様の相対としての霊的真の母を意味する場合は「성신」(聖神)と表記されているようです。
上記の例文がその典型的な文章ですが、「성신」(聖神)の場合は、第七章キリスト論の重生論で多く使われ、そのほとんどがイエス様と対になって出てきます。
また、『原理講論』後編のモーセ路程でも、次のような表現があります。
後のエバの神性である聖霊(『原理講論』p363)
후해와의 신성이신 성신


人類の母性の神であられる聖霊(『原理講論』p363)
인류의 모성신되신 성신


夜(陰)の火の柱は、女性神として彼らを導くはずである聖霊を象徴(『原理講論』p369)
밤(음)의 불기둥은 여성신으로서 그들을 인도할 성신을 상징


このように、韓国語の『原理講論』では「성령」(聖霊)と「성신」(聖神)を明確に区別して使い分けているのですが、残念ながら日本語の『原理講論』ではすべて「聖霊」と表記されています。


3.キリスト教の聖霊とは?
聖書を見ると、「聖霊」という言葉が出てくるのは新約聖書からで、旧約聖書では「神の霊」や「主の霊」という言葉が使われています。
そして、その意味は、すべて神の御霊を意味していて、「統一原理」の重生論のような女性格の神という意味はありません。
聖書における「聖霊」とは、広義の意味では、人類の救済と重生のために個人と歴史に働く神様のあらゆる霊的活動を意味しているのです。
ただ、「聖霊」を女性格の神と見る観点が全くなかったわけではなく、初期のクリスチャンたちが聖霊を女性的存在と見ていた証拠はいくつか残っています。
そもそも、ヘブライ語で霊を意味する「ルーアッハー(ruach)」という言葉は女性名詞です。
また、使徒時代以後にユダヤ人のクリスチャンたちが用いていた『ヘブル人福音書』(Gospel of the Hebrews) には、イエス様が「我が母、聖霊よ」と述べている言葉が引用されています。
そして、『トマス行伝』(The Acts of Thomas)には、聖霊に対して「慈悲深い母、隠された神秘を現す女性、至高なる方の愛する方よ……」と呼びかける讃美歌や礼拝の祈祷文があります。


4.韓国語の『原理講論』が聖霊と聖神を区別している理由
それでは、どうして韓国語の『原理講論』では「성령」(聖霊)と「성신」(聖神)を区別して表記しているのでしょうか?
おそらく、もともと『原理講論』はキリスト教伝道を目的として書かれたものだったので、聖書の意味する「聖霊」と「統一原理」の意味する「聖霊」を混同させないためだったのではないでしょうか。
そのため、キリスト教の解釈にはない女性格の神を意味する場合は、「성신」(聖神)と表記したのだと考えられます。


5.日本語の『原理講論』に出てくる「聖霊」の二つの意味
以上のことをまとめると、日本語の『原理講論』に出てくる「聖霊」には、神様の御霊という意味と、イエス様の相対としての霊的真の母という二つの意味があるということです。
「聖霊」に対する聖書の観点を知らずに「統一原理」を学ぶと、「聖霊」=女性格の神・霊的真の母とだけ理解してしまうので、注意しないといけないですね。
創造原理の三段階原則で、完成は蘇生、長成がなければ成立しないのですから、旧約聖書と新約聖書の土台の上で成り立つ『原理講論』についても、聖書的観点が必要です。
特に日本人は、真の神様以外のものを神格化しやすい民族性があるので、「聖霊の役事」というとき、「聖霊」=女性格の神・霊的真の母というイメージだけをもっていると、「真の母」を神格化して本来の信仰からずれていく可能性があるので気をつけましょう。


  **引用終了**


韓国語原理講論では、聖霊と聖神とを分けて表現しています。真のお父様の直筆したものに、次の写真が残っています。


ブログ「真のお父様に帰ろう!『三代王権・こころのサンクチュアリ教会』」より転載


右のハングルが「天のお父様」で左のハングルが「聖神お母様」と訳されます。


「原理講論」が執筆された当時は、まだ「夜の神様、昼の神様」のみ言を語られていませんから、真のお父様は「昼の神様の実体となる真の母」「聖神お母様」と表現されたのでしょう。


中村仁史氏は、彼のこの記事で次のようにまとめています。


―日本語の『原理講論』に出てくる「聖霊」には、神様の御霊という意味と、イエス様の相対としての霊的真の母という二つの意味があるということです。―


さらに原理講論の聖霊の記述に関して、もう一つ、気付かなければならない事があります。


聖霊についての説明は、創造原理には皆無だという事です。


原理講論の第1章創造原理において、聖霊が記述されているのは「① 成長期間の秩序的三段階」で「聖書に見られる三数の例」として挙げられている個所だけです。


「聖書には、三数を中心とした摂理の記録が多い。父、子、聖霊の三位、楽園の三層、ルーシェル、ガブリエル、ミカエルの三天使、箱舟の三層、ノアの洪水のときの三次にわたる鳩、アブラハムの三種の供え物、イサクの献祭の三日間、モーセの三日間の闇と災い、出エジプト路程のための三日間のサタン分立期間、カナン復帰のための三次にわたる四十年期間、ヨルダンを渡る前のヨシュアを中心とするサタン分立の三日期間、イエスの三十年私生涯と三年の公生涯、三人の東方博士、彼らの三つの貢ぎ物、三弟子、三大試練、ゲッセマネでの三度の祈り、ペテロのイエスに対する三度の否認、イエスの死の前の三時間の闇と三日目の復活など、その例は数多くある。」


つまり、創造過程における聖霊の働きに関する説明は全く無いのです。そして、次に聖霊が登場するのが、堕落論の「①命の木」の個所です。


「使徒行伝二章3節に記録されているように、五旬節の日に、聖徒たちの前をふさいでいた舌のごとき炎、すなわち火の剣が分かれて現れたのち、初めて聖霊が降臨し、全人類が生命の木であられるイエスの前に行き、彼に接がれるようになったのである。」


サタンは最大の実権を行使してイエス様を十字架に架けましたが、イエス様は霊的に勝利されました。そこで神様は最大実権を行使する権利を得て、イエス様を霊的復活させることができたのです。そのイエス様に対して、女性の弟子の回心があり、つづいて十一弟子たちも回心し、アベルの位置にあったイエス様とカインとして一体化しました。そこで、初めてイエス様が霊的にメシヤとして立てるようになり、霊的真の母としての聖霊を迎えられるようになりました。


それ以降の、人類の救済と重生のために働く聖霊については、原理講論では説明できるようになったという事です。


原理講論は、真のお父様を再臨主として迎えるべき洗礼ヨハネとしての使命者たちが、全員が背信してから、蕩減復帰途上で書かれたものです。故に聖霊の本然の役割については、「夜の神様、昼の神様」のみ言を語れなかったと同じように、公表する事が出来なかったという事になります。


しかし、今こそ「夜の神様、昼の神様」のみ言とともに、聖霊の本然の働きをも、明らかにするべき時代になったという事ではないでしょうか。とくに神様の御霊としての働きを!



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