愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

私たちが蕩減に押し潰されていたが故に真のお父様が語ることも出来なかった無念を晴らそう!

先回記事末部より


サタンは最大の実権を行使してイエス様を十字架に架けましたが、イエス様は霊的に勝利されました。そこで神様は最大実権を行使し、イエス様を霊的復活させることができたのです。そのイエス様に対して、女性の弟子の回心があり、つづいて十一弟子たちも回心し、アベルの位置にあったイエス様とカインとして一体化しました。そこで、初めてイエス様が霊的にメシヤとして立てるようになり、霊的真の母としての聖霊を迎えられるようになりました。


それ以降の、人類の救済と重生のために働く聖霊について、原理講論では説明できるようになったという事です。


原理講論は、真のお父様を再臨主として迎えるべき洗礼ヨハネとしての使命者たちが、全員が背信してから、蕩減復帰途上で書かれたものです。故に聖霊の本然の役割については、「夜の神様、昼の神様」のみ言を語れなかったと同じように、公表する事が出来なかったという事になります。


しかし、今こそ「夜の神様、昼の神様」のみ言とともに、聖霊の本然の働きをも、明らかにするべき時代になったという事ではないでしょうか。


  *****


先回記事では、次の二つの事を強調して書きました。


「聖霊についての説明は、創造原理には皆無だという事です。」
「つまり、創造過程における聖霊の働きに関する説明は全く無いのです。」


創造原理に聖霊についての説明が無い理由について、次のように説明していました。


「原理講論は、真のお父様を再臨主として迎えるべき洗礼ヨハネとしての使命者たちが、全員が背信してから、蕩減復帰途上で書かれたものです。故に聖霊の本然の役割については、『夜の神様、昼の神様』のみ言を語れなかったと同じように、公表する事が出来なかったという事になります。」


しかし、今回の記事では、「創造原理」全体が聖霊の備えるプログラムと、神様がそこに込めた目的の解説であることを訴えます。その事についての説明が蕩減復帰ゆえに明らかにできず、聖霊と創造原理が切り離されて、神様の御霊(聖霊)の働きについて理解できない私たちとなっていたのです。神様の御霊(聖霊)の働きについて理解できないという事は、昼の神様について理解できなくなるという事です。


原理講論の「堕落論(三)人間を万物の主管位に立たせるために」の一節に、「原理によって被造世界を創造され、その原則に従って摂理を行い給う神」という内容があります。


神様は愛の対象を得るための構想理想を実現するために、夜の神様としての永遠の存在原理を応用展開した創造原理のプログラムを、自ら発動した心情エネルギーに組み込んだのです。そのプログラムは夜の神様から独立して独自に働き出し、被造世界を創造していくことになります。その創造していくプログラムが組み込まれた心情エネルギーこそ、神様の御霊としての働きとなります。つまり神様の見えない手足として、エネルギー自体が万物を創造していくのです。


そのことを亨進様は次のように表現されたのです。


「今まで、常に耳にしてきた『万有原力』というもの、それはどこにでも遍在していて、すべての存在に形態を与え、しかもそれ自体が形態を与える『存在』であるという、これがまさに正しい概念であったという実証を、初めて認識できる形でかつ明白に見ることができました。」


そのようにして天使界が創造され、霊界が創造され、地上界が創造され、すべての万物、すべての生物が創造されました。


神様は愛し合える対象を出現させるために、被造世界を創造しました。その創造の目的は、人類始祖の誕生であり、その男女を真の父母として完成させ、家庭を築き四大心情圏を成就することです。その人類始祖が誕生した時に、次の原理の内容が実現します。


創造原理の最後の項目です。
  
第一章 創造原理 第六節 人間を中心とする無形実体世界と有形実体世界(三)肉身と霊人体との相対的関係
生心と肉心との関係は、性相と形状との関係と同じく、それらが神を中心として授受作用をして合性一体化すれば、霊人体と肉身を合性一体化させて、創造目的を指向させる一つの作用体をつくる。これが正に人間の心である。人間は堕落し、神を知ることができなくなるに従って、善の絶対的な基準も分からなくなったが、上述のように、創造された本性により、人間の心は、常に自分が善であると考えるものを指向する。このような心を良心という。しかし、堕落人間は善の絶対的な基準を知らず、良心の絶対的な基準をも立てることができないので、善の基準を異にするに従って、良心の基準も異なるものとなり、良心を主張する人たちの間にも、しばしば闘争が起こるようになる。善を指向する心の性相的な部分を本心といい、その形状的な部分を良心という。


夜の神様の創造原理がプログラムされた心情エネルギー、いわゆる神様の御霊と表現される聖霊の働きにより、被造世界は創造されました。その創造の目的として神様の息子娘である人類始祖が誕生する時、神様から独立した創造目的を指向させる作用体が出現するのです。


それまで夜の神様の意志と心情のもとで作用していた神様の御霊(聖霊)が、アダムの生心によって作用する霊体肉体を持つ形象的個性真理体を構成するようになり、夜の神様から独立して存在する作用体となるのです。


ですから、私たちは聖霊(神様の御霊)の働きにより存在し、生かされて活動していますが、夜の神様から独立した作用体として、私自身の霊体として存在するようになっているという事です。


慈雲さんから次の質問をいただいていましたが、今回の記事はそれに対する答えにもなっています。 


聖霊と、お父様の御言でいう“良心”とはどのような関係があるでしょうか?
私は聖霊についてまだよくわからないため、漠然とした質問ですみません。
“良心”は、私を常に善の方に導く小さな神様だという御言があったと思います。


良心の指向する善が、聖霊にプログラムされた原理と一致し、その心情エネルギーを発動させている夜の神様の意志と心情と一体となる時に、良心は私を導く神様になるということでしょう。昼の神様に管理されることとなります。



お父様の心情に迫りたい方はクリックを
↓ ↓ ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭平和協会へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する