愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

家庭連合もいまだに気付けず目覚めない統一教会が失っていた最も尊い何かに関する記事!

先回記事末部より


十字架に架けられたイエス様の遺体を清めるために、3人の女性が香料を携え墓に向かいました。3人ばかりではなく、他の女たちもいました。ここに、重要な意味があり、本質的には聖霊降臨の核心があると言って過言ではないのです。解釈は次回の記事で・・・。


  *****


再臨主を迎えられず背反したキリスト教に代えて、お父様が創立した統一教会は聖霊を失ったところからの出発になったと、先回記事で記述していました。まず、何故に聖霊を失ったのかということを知るためには、何故に聖霊が堕落人間に対して働けるようになったのかを知らなければなりません。神様の女性性相(対象的相対)と言われる聖霊が、イエス様の霊的相対として活動を始めた原点はどこにあるのでしょうか。


イエス様は十字架上で肉体をサタンに奪われましたが、心情は奪われず霊的に勝利して聖霊を迎え、霊的な真の父母となりました。復活されたイエス様と12弟子は、アベルカインとして一体となり、イエス様は「メシヤを迎える為の基台」に立って、霊的な真の父母として活動できるようになったのです。十字架上の死から、復活したイエス様として現れた、神様の愛の奇跡により、12弟子ははじめて、微塵の疑いもない信仰に立てたのです。その信仰から心情が溢れだし、聖霊が相対できるようになるのです。


原理講論 後編 第二章モーセとイエスを中心とする復帰摂理 第三節(三)(1)
③ メシヤのための霊的な基台
イエスが十字架で亡くなられたのち、取り残された十一人の弟子たちはみな力を失って、四方に散らばってしまっていた。ところが、イエスは復活されるとまた、彼らを再びひとところに集められ、霊的カナン復帰の新しい摂理を始められたのである。弟子たちは、イスカリオテのユダの代わりにマッテヤを選んで、十二弟子の数を整え、復活されたイエスを命を懸けて信奉することにより、「霊的な実体基台」を造成し、それによって「メシヤのための霊的な基台」を復帰した。そこでイエスは、この基台の上で、霊的な洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的なメシヤの立場を確立し、聖霊を復帰することによって、霊的な真の父母となり、重生の摂理をされるようになったのである。


(2) 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程
しかし、弟子たちまでが不信に陥ったために、イエスは、洗礼ヨハネの立場から、一段上がってメシヤの立場に立つことができないままに、十字架で亡くなられたのである。それゆえ、復活したイエスが、霊的洗礼ヨハネの立場から、復活四十日のサタン分立期間をもって霊的な「信仰基台」を立てられたのち、悔い改めて戻ってきた弟子たちの信仰と忠節とによって、霊的な「実体基台」が立てられた結果、そこで初めて「メシヤのための霊的な基台」が造成されたのである。そしてついにこの霊的な基台の上に霊的メシヤとして立たれるようになったイエスに、霊的に接がれることによって、初めて信徒たちは、霊的な子女としてのみ立つようになったのであるが、これがすなわち、イエス以後今日に至るまでの霊的復帰摂理による神と堕落人間との関係であった。


原理講論には、11人に1人を加えた12弟子たちの回心の前に、女性たちの回心があったことを解説していません。天使がイエス様の生前のみ言を伝えることによって、女性たちは回心に至っているのです。


十字架に架けられたイエス様の遺体を清めるために、3人の女性が香料を携え墓に向かいました。先回記事で引用した新約聖書の聖句を、再び引用します。


ルカによる福音書 第24章


24:1週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った。 24:2ところが、石が墓からころがしてあるので、 24:3中にはいってみると、主イエスのからだが見当らなかった。 24:4そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣を着たふたりの者が、彼らに現れた。 24:5女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、このふたりの者が言った、「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。 24:6そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。 24:7すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして3日目によみがえる、と仰せられたではないか」。 24:8そこで女たちはその言葉を思い出し、 24:9墓から帰って、これらいっさいのことを、11弟子や、その他みんなの人に報告した。 24:10この女たちというのは、マグダラのマリヤ、ヨハンナ、およびヤコブの母マリヤであった。彼女たちと一緒にいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。 24:11ところが、使徒たちには、それが愚かな話のように思われて、それを信じなかった。24:12ペテロは立って墓へ走って行き、かがんで中を見ると、亜麻布だけがそこにあったので、事の次第を不思議に思いながら帰って行った。〕


その後、11人の弟子の前に復活したイエス様が現れ、神様のひとり子であることを確信し回心するのです。そこに至る過程に、天使の協助と母子協助がありました。カインの回心の前に、母の位置に立たされた女性の回心があるのです。聖霊が堕落した人類に、イエス・キリストを証しできる道筋が開いたのです。3人の女性を代表とする女性たちは、イエス様のみ言によって回心し、信仰に立って心情において行動したのです。11弟子に1人を加えた12弟子は、復活されたイエス様の姿を目の当たりにして、ようやく回心したのです。ここに、16万人女性修練会の原点と言えるものがあります。イエス様にとって対象的相対である女性は、何の障壁もなく聖霊に相対するのです。


洗礼ヨハネの失敗により、自らアベルの位置に立たざるを得なかったイエス様に、カインとしての12弟子が自然屈服して一体となりました。それゆえに、イエス様は霊的な真の父となり、霊的な真の母としての聖霊が臨むようになりました。それが、ペンテコステです。聖霊が臨むようになった原点は、神様と人類の為に生命を捧げ切ったアベルと、そのアベルの前に絶対信仰・絶対愛・絶対服従で自然屈服したカインの一体化です。もっと奥深く隠されていた本質的原点こそ、天使の協助とイエス様のみ言による、女性たちの回心だったのです。


それ以降、12弟子の信仰と心情と意志を受け継ぐ宣教師や牧師たちが、世界伝道を展開し、アベルカインの一体圏を拡大することによって、キリスト教は世界的に拡大してきました。以来2,000年の歳月にわたり、「霊的な真の父母の為の基台」は世界的に広がり、霊的な真の父母となられたイエス様を信じる者には、聖霊が臨むようになったのです。


さて、聖霊がイエス様を信じる者に臨むようになった出発点にある要因が分かりましたから、次は何故に統一教会に聖霊が離れざるを得なかったかの説明になります。それは次回記事で・・・。



お父様の心情に迫りたい方はクリックを
↓ ↓ ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭平和協会へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する