愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

創造主と文鮮明師が伝えるロゴスの核心に共に迫ろう!

永遠のベストセラーと言われ、広く親しまれ、多くの人々の人生と信仰の指針となっている聖書です。 


もし、この聖書に誤訳・誤解釈があるとすれば、歴史的一大事と言えるのではないでしょうか。


真のお父様(文鮮明師)は、この聖書を幾度も熟読し極められ、統一原理を公表されました。


文鮮明師は、直接に神様(創造主)と通じ合い紐解かれたでしょうから、たとえ聖書に誤訳があったとしても、秘められている真理を読み解けたでしょう。


文鮮明師は1945年から、再臨主としての摂理を歩み始めました。そこから7年間の間に、主を迎える為に準備されていたキリスト教徒たちが、文鮮明師を再臨主として迎えていたならば、師は最初に、聖書の誤訳やご解釈を正されたに違いありません。


聖書の中でも、特に創世記第一章の聖句は、信仰の根幹をなすものと言えますから、真のお父様は聖書の冒頭の部分を解説したはずです。解説し、誤訳・誤解釈を正してこそ、再臨主としての摂理の第一歩が始まったと言って過言ではありません。


ですから、真のお父様を永遠の真の親として、父として、師として慕う私たちは、真のお父様が語りたかった信仰と心情の原点となるみ言を、正しく知らなければならないのです。


これから始めるこのブログを、「創造主と文鮮明師によるロゴスの核心」と題して、真のお父様が全ての食口に伝えようとして語っても、真意が伝わらなかったみ言の核心について記述して行きます。


まず、その一端でも感じ取っていただくために、創世記第1章について考察します。


日本の聖書には、新共同訳・新改訳・口語訳とありますが、この三つの日本語聖書から、まず創世記第1章1節~3節を引用し掲載します。(英語訳聖書、韓国語訳聖書にも同様の誤訳誤解釈があると思います。)


新共同訳1987(2018年12月に改訂版)
1:1 初めに、神は天地を創造された。
1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。


新改訳1970
1:1 初めに、神が天と地を創造した。
1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。


口語訳1955
1:1 はじめに神は天と地とを創造された。
1:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
1:3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。


まずネットの『ウィキペディア(Wikipedia)』から「創世記 1章1節」を検索し、引用します。


創世記 1章1節とは創世記の最初の章の最初の節のことであり、天地創造の冒頭部分である。ヘブライ語写本では以下のとおりである。 בְּרֵאשִׁית בָּרָא אֱלֹהִים אֵת הַשָּׁמַיִם וְאֵת הָאָֽרֶץ (音訳: ベレシート バラー エロヒーム エト ハーシャマイーム ベエト ハアレツ)。この節は少なくとも以下の3通りの訳が考えられる。
1.宇宙が完全無欠に始まったとする声明文 (「初めに神は天と地を創造された」)
2.神が創造を開始された時の世界の状態を描写する声明文 (「初めに神が天と地を創造された時、地は自然のままで形がなかった」)
3.2番目と類似しているが、2節全体を背景ととらえ、主要な主張は3節にあるとするもの (「初めに神が天と地を創造された時、地は自然のままで形がなかったので、神は言われた……。」)


以下はヘブライ語のそれぞれの部位の意味を、必要な部分だけ引用し利用させていただきます。


ベレシート בְּרֵאשִׁית
(~の)初めに


バラー בָּרָא
[男性は]創造した/創造した時
二番目の語はヘブライ語の動詞バラー(ברא)である。この語は男性形であり、「男性」を暗示している。(日本語や英語の動詞では、男性、女性、その他の区別はない。)この動詞の特異な点は、その主語として常に「神」を用いていることである。これは、唯一神だけが「バラー」(創造する)ことができる、という意味である。


エロヒーム אֱלֹהִים


エト ハーシャマイーム ベエト ハアレツ אֵת הַשָּׁמַיִם וְאֵת הָאָֽרֶץ
天と地を  
エト ( אֵת )は動詞の目的語の前に用いられている分詞である。この場合、「天と地」(「全てのもの」を意味する比喩表現)が創造されたものであることを意味する。シャマイーム(天)とアレツ(地)の前に付いている「ハ」という語は定冠詞で、英語の「the」に相当する。シャマイームは複数形の「イーム(-im)」で終わっており、この語が単数形ではなく複数形の「天」(英語では"heavens")であることを意味している。


お分かりの通り、ヘブライ語のバラーという言葉には、男性は創造したという意味合いが含まれています。それからヘブライ語を読む時は、書かれてある言葉の後ろの方から読むということです。赤字で表したべレシートのヘブライ語を見てください。読む時は最初にある言葉が、聖句の記載では一番最後に来るのです。


とあるプロテスタントの方が、外国語通訳の経験から、この「べレシート」「初めに」という言葉は、最初に来るものでは無く、第2節の聖句への接続詞として用いられるべきものだと主張しています。


「神が天地万物を創られた、その始め、」


それに続く第2節の次の聖句も誤訳されているというのです。


新共同訳「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、」


新改訳「地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり」


口語訳「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり」


ブログ「聖書と翻訳 ア・レ・コレト」より転載


新共同訳では「地は混沌であって」と訳された「バボーフー トーフー」は、「全く何も無い」という意味であるので、混沌とか虚しいという表現は誤訳であり、誤解釈を発生させると主張しています。また「闇が深淵の面にあり」「やみが大いなる水の上にあり」「やみが淵のおもてにあり」と訳されていますが、このプロテスタントの方は、闇を意味する「ベホーシェク」 の二語前に「テホーン=奥深いところ、海の底」という言葉があることから、闇の上ではなく、闇の底であると主張しています。


その方の私訳によると創世記第1章1節2節は次のような訳になります。


私訳 創世記1:1~2
1 神が天地万物を創られた、その始め、
2 大地はまだ、影も形もなかった。神の息吹は風のように海原を包んでいたが、深い海の底は暗やみに覆われていた。


すべての訳において、人間が訳し解釈するとこのような違いが現れてきます。


さて、聖句においては次の第3節に「光あれ」という神様の言葉が出てきます。それはビッグバーンを表しているとも言われ、そこから創造が始まったとすれば、第2節は創造前の神様の状態を表現しているということになります。


地は影も形もなかったということになりますが、果たしてそこに、水や海が存在したでしょうか。それも存在しないとしたならば、水や海と表現されたものは、何を表したものなのでしょうか?


ヘブライ語の聖句を訳した者たちが、「水」や「海」と訳した「ハマーイム」には次の意味があるということです。


ハマーイム
水、海、川、尿、精液、体液、洪水


神様と直接会話できるお父様が、この中からふさわしい言葉を選ぶとすれば、どの言葉をえらぶでしょうか?


次回の記事を公開するまで、このことについて考えて下されば、お父様の聖霊があなたに近づいてきてくれるはずです。


※参考・プロテスタントの方のブログ「聖書と翻訳 ア・レ・コレト」より次のページを引用しました。リンクしています。
「ベレシートの解釈 創世記1章1節」 「地は茫漠としてた? 創世記1章2節」


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