愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

亨進様御夫妻が後継者である事を決定付ける誰にも理解できなかった摂理的事実!

先回記事末部より


次のみ言です。


「男性と女性の生殖器を中心として、堕落しないで出会うその時間が、地上天国と天上天国出発の起源地です。三大王権を樹立すべき基地がそこです。」


真のお父様は「地上天国と天上天国が同時に生まれるのです。」と表現されています。


つまり、神様とエバの初夜は、神様の血統の生命を産むだけではなく、地上界と霊界をも生むというのです。すでに造られていた地上界と霊界を、地上天国と天上天国に産みかえるのです。


神様とアダムとエバは一体となり、先回記事で引用したみ言が展開されるようになります。


「一つは見えない父母の位置に立ち、一つは見える父母の位置に立って、愛して一つになるためなのです。」


夜の神様(神様本体)と昼の神様(聖霊)は見えない父母の位置に立って、アダムとエバは夜の神様の実体と昼の神様の実体として見える父母の位置に立ちます。そしてそこからが問題であり、重要な所です。


見えない父母である夜の神様(神様本体)と昼の神様(聖霊)は、真の御父母様と一体となって、次のように語られた真の愛の超越圏内に入っていくようになるのです。


「人間世界のアンテナ(生殖器官)に神様の垂直愛がつながる日には、世界を包括し、全宇宙を包括して余りある圏に入っていくようになるのです。それは、人間世界と霊界に、雷鳴がして稲妻が走るようにする装置のようなものです。」

真のお父様は「装置」と表現されました。どんな装置になるのかは、次回の記事で書きましょう。


  *****


いよいよ、夜の神様と昼の神様と真の御父母様の関係性を説明できる時が来たようです。まず、2019年12月16日記事「図で見る分かりやすい『神の霊』と『聖霊』の働き!」から引用します。


  **引用開始**


被造世界の創造の開始から、人類始祖誕生の創造過程の136億年間においては、神様から発動された心情エネルギーの主要な働きをする「万有原力」によって、自動的に創造の御業が展開しました。被造世界の万物を感知する機能を備えていない夜の神様は、天使長ルーシェルをはじめとする天使たちとの授受作用によって、創造の進展状況を確認され、彼らの感動と賛美の報告から力を得て、心情エネルギーを発動され続けました。その愛と心情によって発動され続ける心情エネルギーを、聖書では「神の霊」「主の霊」と書き記しているのです。


生まれてくる人類始祖の愛と心情を育む環境圏が整うと、いよいよアダムとエバの誕生となります。アダムが胎に孕まれると同時に、夜の神様はアダムの生心に臨在されます。


原理講論には神様の創造目的について、「喜怒哀楽の感性を持つ人間を創造され、それを見て楽しもうとされた。」とあります。ところが天聖経の「真の家庭」第一章には「アダムとエバをつくったのは、ただながめる為ではありません。」と断言されています。その数行後に「神様を中心とした愛の巣をつくる様にする為だったのです。」と記されているのです。夜の神様がアダムの生心に臨在されて生まれている事が理解される前は、「神様を中心とした」というみ言は、神様と心情一体の相対基準が結ばれる事でした。ところが、理解できるようになった後には、神様の愛が、アダムを通して、実質的実体的に展開する世界なのだと分かるようになるのです。
  
神様はアダムとエバが愛する様子を見て喜ぶだけではなく、アダムの手の感覚で愛の対象であるエバに触れ、体温を分かち合い、霊的にも心情的にも肉体的にも一体となることを願うのです。だからこそ、アダムの生心に臨在され肉体と霊体の感性を用いて、実感となるように妻を愛し、息子娘を愛し、人類すべて万物全てを愛することを実現しようとされたのです。


**天聖経 真の神様 第一章神様の本体より引用**


『神様はなぜアダムとエバを造られたのでしょうか。神様は無形でいらっしゃる方なので、実体の形状をもった父母になれなければ形状の子女を愛することができないので、体を着るためなのです。アダムとエバの創造目的は第一に、アダムの体を無形の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。三つ目は、神様は中心軸をもった垂直の父で面積がないので、面をもとうということです。』(二 無形の神様は体が必要)


アダムは誕生し、両親の愛を受け、自然環境の中で育っていきます。神様もアダムの生心に臨在されながら、アダムが感じ取っていく情感を同時に感じ取っていくのです。そこで、夜の神様が構想した四大心情圏の子女の愛を、アダムと共に実感して行くことになるのです。それは、夜の神様にとっても初めての体験となるのです。

夜の神様は一人で存在していた時は、男性格でも女性格でもない神格そのものです。神格そのものの神様が、愛する対象として構想した女性は、神様の本性相・本形状から対象的要素である本陰性を主要なものとして新しく構想した形象的個性真理体が女性です。この女性が構想されて、神格そのものであった夜の神様は、初めて男性格主体そのものとなるのです。


夜の神様の構想にあったエバが、実際に誕生して成長するようになります。アダムはエバと授受作用しながら成長していく過程で、夜の神様は初めて構想に立てた女性の思考や心情を実感するものとなるのです。

アダムが誕生してから、夜の神様はアダムの生心に臨在されていますが、存在様相自体は、永遠普遍の神様として存在しています。アダムの霊人体にすっぽりと入ってしまうのではなく、アダムの霊人体の感覚機能を用いて、心情的体験を共有していくことになるのです。つまり、アダムが誕生してからの夜の神様が発動する心情エネルギー、聖句の表現で言えば「神の霊」の働きは、アダムの生心が実感した情感や情報もプラスされて発動されるようになるのです。


そのことから、アダムがエバと授受作用して、自由と責任のもとに夜の神様から独立している女性の、思考や感情の動きを実体験していくことになります。そのことにより、男性格主体であった夜の神様にも、女性性相が形成されていくようになります。このことから、アダムは一人でも真の父母と言える存在であり、神様も父母の心情を備えるものとなるのです。だからと言って真のお父様を、真の父母と呼ばず真のお父様と呼ぶように、神様も父母の心情を備えますが天のお父様と呼ぶのです。決して天の父母様では有り得ないのです。


そこで神様から発動される心情エネルギーは、アダムとエバとの授受作用によって、夜の神様自身も女性性相を実感する事から、男性格主体の「神の霊」の働きから、女性性相を主体とした「聖霊」としても働くようになって行くのです。


エバが正しく成長して、アダムを主体として支えて行くようになるほどに、夜の神様から発動される心情エネルギーも、夜の神様が臨在されるアダムを証しする「聖霊」として働けるようになるのです。


  **引用終了**


まずここで、真のお父様が天聖経に記された次のみ言を確認しましょう。


「アダムとエバは、見えない神様の二性性相として来たのです。見えないお二人が、一人の方のような位置に立っているのです。真の愛を中心として一つになっているというのです。そのようになっているものが男性格位と同じようになっているので、その男性格位に対して相対的立場に立った息子、娘を再現させて、彼らが成長し、愛を中心として夫婦になる時、上にいらっしゃった神様がその位置に共に降りてこられるのです。それは、一つは見えない父母の位置に立ち、一つは見える父母の位置に立って、愛して一つになるためなのです。(222-317,1991.11.6)


「アダムとエバは、見えない神様の二性性相として来たのです。見えないお二人が、一人の方のような位置に立っているのです。」・・・このように真のお父様は表現されていますが、神様本体を男性的要素と女性的要素におのおの分けて、男性女性の見えない二人に分立して人間を創造した訳ではありません。神様から独立した形象的個性真理体として、自らの内にある対象的要素を取り出し、それを主体的中心的に立て直して女性の構想理想を構築したのです。つまり、女性は神様本体の中にあったのではなく、神様が自らの愛の対象として存在活動できる独立体として考え出したものなのです。


ですから、この女性が神様から独立した存在として成長していく過程において、実感して行く思考や心情は、神様にとっても未体験のものであるし、構想に立てた次元をも超えたものとなっていくのです。このアダムとエバの成長期間において、神様は二つの立場で実感となっていく心情世界があります。


み言に表現されているように、アダムとエバが完成し祝福され結ばれる時には、神様は「一つは見えない父母の位置に立ち、一つは見える父母の位置に立つ」となっています。


神様本体は遍在する神様として、アダムとエバを創造した立場から、親として見守り実感して行く心情圏があります。そしてまた、アダムの生心に臨在しながら、息子として成長していく心情圏もアダムと共有していくことになります。ただし、アダムの方には完成し直接主管圏に入るまでは、神様の臨在を感じ取ることはできません。


神様は遍在する神様としてエバを見守っていく心情とともに、アダムの生心に臨在しながら、エバと直接に霊的にも肉体的にも授受作用して、肌のぬくもりをも感じ合いながら実体験していく幼子の情感も、少年としての情感をも体験していくようになります。それが、どれほど刺激的でしょうか。神様が構想理想として描いた愛の世界が、はじめて展開していくのです。神様自身も四大心情圏を実体験しながら成長していくのです。神様が親の心情・父母の心情を実体験するのは、アダムが親になって生まれた赤子を育てるようになってからです。


その親の心情・父母の心情の基点となる体験が、アダムとエバが結ばれる初夜となるのです。アダムは主体としての愛を完成させ、エバは対象としての愛を完成させます。神様自身はアダムの生心に臨在されているわけですから、アダム自身が天宙の中心となり、天宙の主管者となります。対象に立つエバが形成した心情世界は、神様から発動される心情エネルギーを、対象的性相を主体として働く聖霊として現れるようにしていくのです。天宙の主管主を証するものとして働き、神様とアダムの理想を実現するべく働くものとなるのです。


アダムの生殖器を神様の生殖器として、エバが自らの生殖器に迎える時、アダムとエバは神様の創造を出発させた心情の動機と出会い、二人とも神様の真の愛に包み込まれます。包み込まれると同時に、神様も真の愛に包み込まれ、夫婦の愛の心情が実感となります。肉体ばかりではなく霊体も結ばれるので、その刺激は、私たちが今のままで創造できるものでは有りません。


その瞬間から、神様本体から発動される聖霊の心情の原点となるものが、まったく違う次元にあるものとなるのです。真のお父様は次のように表現されました。


「人間世界のアンテナ(生殖器官)に神様の垂直愛がつながる日には、世界を包括し、全宇宙を包括して余りある圏に入っていくようになるのです。それは、人間世界と霊界に、雷鳴がして稲妻が走るようにする装置のようなものです。」


神様は愛する対象の創造を目指して、すべての被造物を形成構築して行く心情エネルギーを発動しました。アダムとエバが堕落せずに迎える初夜は、アダムの生殖器に神様を迎えて、エバと結ばれる愛の祭典となるはずでした。そこから、全天宙を形成存在させるべく放たれる心情エネルギーは、エバと霊的にも肉体的にも結ばれる愛の成就の刺激的感動を原点として発動されるようになるのです。全天宙を存在させるエネルギーの次元が、これまで神様本体から放たれていたものとは違うのです。


つまり、アダムとエバの生殖器は、神様の息子娘としての生命体を誕生させるだけではなく、全天宙の万物の全てに、新たな次元の永遠の愛の息吹を吹き込むものとなるのです。


そのことを、真のお父様は次のように表現されたのです。


神様の結婚式が、アダムとエバの結婚式です。それゆえに、地上天国と天上天国が同時に生まれるのです。愛の住みかから出発するのです。


男性と女性の生殖器を中心として、堕落しないで出会うその時間が、地上天国と天上天国出発の起源地です。三大王権を樹立すべき基地がそこです。その場でなければ、愛の住みかを成すことができません。(263-57,1994.8.16)


人類始祖堕落からの蕩減復帰摂理史において、この「三大王権を樹立すべき基地」ができたかどうかを確認できた日こそ、2004年5月10日の亨進様御夫妻の三男・信俊様が誕生された日となるのです。真のお父様がそのことを確認されたので、「ついに生まれた」と喜ばれたのです。



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