愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

あなたは生素が何なのかを分かっていますか?生素が分からなければ神様は生心に臨在できません!

先回記事末部より


私たちは真の愛による組織というものを理解していません。今のままでは、想像する事も出来ないかもしれません。その前に、真のお父様が「人間世界と霊界に、雷鳴がして稲妻が走るようにする装置のようなもの」と表現された、地上界と霊界を包括するシステムについて知らなければならないのです。


真のお父様は1976年に、すでに次のように語っています。


先生が生きている間に、統一を成し遂げるかどうかというのは、小さな問題である。仕事は続くのである。そして先生は霊界にいようが、地上にいようが、その中心となっている。先生の思想、先生の戦略、先生の伝統、先生の心情は、問題なく、統一の世界を目指しておる。先生が死んで霊界に行ったとしても、いつでもあんた達に現れてあげる。この地上に、同じ様に伝統を持って、完全な神の国を造るまで、これが先生のやっている一番重要な作戦だ。先生のやっているのは、十年先のためではない永遠を基準として作戦を立てているのだ。先生が地上にいようが、霊界にいようが、そんなことは問題ではない。
先生は、霊界の組織、霊界のシステム、霊界の様子を熟知している。あんた達には見えないけれど。
あんた達の目の前にはもう新しい天地が開かれようとしている。先生はその時間表をはっきりと知っている。必ず来る。新しい世界、新しい生活が必ず開かれる。
(1976年9月20日、ワシントン大会後ベルベディアで)


私たちは2012年8月13日の「すべて成し遂げた。」という最後の祈祷において、真のお父様が何を成し遂げられたのかは、私たちが理解している以上に超越的なものなのです。


  *****


真のお父様は、1976年の時点で、必ず「新しい世界」「新しい生活」が開かれると語られています。そのみ言の少し前に、「先生は、霊界の組織、霊界のシステム、霊界の様子を熟知している。」と語られ、「新しい天地が開かれようとしている。」と続けています。


新しい天地が開かれて、新しい生活が始まるというのです。真のお父様が新しい生活ができる環境を整えてくれているのに、それに気付かないで私たちが生きているとしたら、どれほどに大きな損失となっていることでしょうか。


新しい生活とは、どのような生活なのでしょうか。


その新しい生活にとって、何が重要なのでしょうか。


ここで考えてみて欲しいのです。私たちは原理講論を何度となく学び、何度となく訓読し、身に付けて生きようとしてきました。果たして、どれだけ理解しているでしょうか。


「生素」というとても大事な原理用語があります。果たして「生素」について、きっちりと説明できる方がいるでしょうか。


原理講論に記されている説明は次の一文だけです。生素が何のことなのかは、説明が無いのです。


「霊人体は神からくる生素(陽性)と肉身からくる生力要素(陰性)の二つの要素が授受作用をする中で成長する。」


原理本体論には次のように「生素は原理と愛」とだけ記述されています。


「霊人体も肉身と同じように外部から陽的な栄養素と陰的な栄養素を受け、自体で生心と肉心が授受作用をしながら成長します。生心と霊体が授受作用をすると同時に、神様から生素という陽的な要素を受け、肉身から生力要素という陰的な要素を受けて成長し、完成するのです。生素は原理と愛であり、生力要素は肉身が造成した生命の力、すなわち原理を生活化した人格です。」


修練会で行われる原理講義でも、生素とは「神様のみ言と愛」と学んできたはずです。でも、それだけで生素が何を表しているのかを、理解できている人はいるのでしょうか?


でも、この「生素」が分からなければ、生心の成長はないものであり、神様も臨在できないものとなるはずです。


この記事は、この問いかけだけで終わりたいと思います。



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