愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

今こそ真のお父様が解説される本当の創造原理を知る時が来ました!修正中

三回前記事末部より


夜の神様自身は「真の父」となるアダムと一体となり、愛の主管主として人類の中心であるとともに、被造世界の中心として立つようになります。その夜の神様から発動される聖霊は、「真の母」が「真の父」を主体として立てて侍り支えるように、対象としての存在として被造世界に全面的に働きかけるのです。


そしてアダムとエバが祝福され、宇宙の本源と真のお父様が表現されたエバの生殖器が、神様のものであるアダムの生殖器を迎え入れる時に神様も完成します。神様が完成した状態から発せられる聖霊の働きこそ、私たちの心霊を成長させ、一人一人に神様が臨在したと同様の状態を創り出す生素の源泉となるのです。いよいよ次の記事で説明します。


  *****


私たち人間は、夜の神様を存在させている存在原理を応用展開した創造原理をもって創造され、構想理想通りにプログラムされた原理軌道によって生存するように創造されました。創造原理は昼の神様にプログラムされたものであり、そのプログラムは昼の神様の実体としての真の父母の完成を目指します。その創造原理のプログラムを遂行するために働く、神様から発動される心情エネルギーを旧約聖書では「神の霊」と呼びました。


三回前の1月9日の記事で説明したように、人類始祖アダムとエバが誕生し成長することによって、二人と授受作用した神様から発動される「神の霊」は、女性性相を主体とした「聖霊」として働くようになって行きます。


原理講論「第三節 愛の力と原理の力および信仰のための戒め/(一) 愛の力と原理の力から見た堕落」より引用します。


  **引用開始**


 人間は原理をもって創造され、原理軌道によって生存するように創造された。それゆえに、原理の力それ自体が、人間を原理軌道より脱線させ、堕落せしめることはあり得ないのである。これはあたかも、レールや機関車に故障がない限り、汽車が自ら軌道を脱線するということがあり得ないのと同様である。しかし、汽車も自らの走る力よりも強い、ある外力が、それと異なる方向から働いてきた場合には、脱線するほかはない。これと同じように、人間も、それ自身を成長させる原理の力よりも強い、ある力がそれと異なる目的をもってぶつかってくれば、堕落する以外にはないのである。この原理の力よりも強い力が、すなわち、愛の力なのである。それゆえに、未完成期における人間は、その非原理的な愛の力のために堕落する可能性があったのである。
 それでは、神はなぜこのように原理の力よりも愛の力を強くして、未完成期における人間が、目的の違った愛の力にぶつかるとき、それによって堕落することもあり得るように創造されたのであろうか。
 創造原理によれば、神の愛とは三対象の愛によって、三対象目的を完成した、四位基台の主体的な愛をいう。したがって、神の愛がなければ、人間創造の目的である四位基台が成就されないために、愛は人間の幸福と命の源泉なのである。神は原理によって創造された人間を、愛によって主管しなければならないので、その愛が愛らしく存在するためには、愛の力は、あくまでも、原理の力以上に強いものでなければならない。もし、愛の力が原理の力よりも弱いものであるとすれば、神は原理で創造された人間を、愛をもって主管できず、したがって、人間は神の愛よりも原理をより一層追求するようになるであろう。イエスが弟子たちを真理によって立たしめ、愛をもって救おうとされた理由は、正にここにあったのである。


 **引用終了**


人類始祖が誕生するまでの被造世界の創造過程において、被造世界の全ての象徴的個性真理体は、神性格主体としての神様の、愛によって主管されたプログラムの原理軌道によって創造されます。「神の霊」と呼ばれる昼の神様の働きは、プログラムされた被造世界完成の為の原理軌道となって、全ての万物の生存と完成の為に時空間に敷かれるものとなるのです。


その万物を象徴的個性真理体として生存させるために一体化して構成している細胞は、人類始祖の生殖器の完成を目指していることによって存在価値があるのです。


天聖経より抜粋引用します。


  **引用開始**


天聖経 宇宙の根本 第2章 人間創造と愛の理想の完成 2) 生殖器は三大本宮、天の至聖所


全万物世界の最終の理想的な吸収の終着点がどこかといえば、男性と女性の生殖器だというのです。それは事実です。なぜですか。どうしてですか。神様の愛と人間の愛と宇宙の愛が結合するのです。愛と生命が一つになる位置が、その場です。
 そして、血統を通じて縦的に子孫が 連結する位置がその場です。そのように縦的に引き継がれて、横的に数え切れないほど多くの民族が連結されるのです。それによって地上天国が形成されるというのです。そのような価値をもつのが生殖器です。どれほど重要ですか。(89-129,1995.4.9)


男性、女性の愛の器官の細胞が最も精密です。心と体が一つになり、すべての愛の道が通じるその細胞の感情、その世界に元素としてどのように入っていくのかということが、万物、被造世界の目的だというのです。では、男性と女性が統一されるところとはどこですか。生殖器です。そこでは、直接、男性と女性が一つになり、神様と一つになり得るところです。堕落したために、それが最も悪いものになりました が、本来は限りなく神聖なものです。男性と女性がその門を開けた時、世界が開き、門が閉まれば世界が閉められて、それが幸福な時、世界が幸福であり全宇宙が幸福なのです。
神様の息子になろうとすれば、その器官を通じて一つになった、その場から生まれなければなりません。その場でなければ、神様の息子、娘がどこから生まれますか。
それゆえに、男性と女性が愛する時はもちろん、すべての細胞の願いが生殖器の細胞になることなのですが、愛の場所に入っていくようになれば全身が同感するのです。体全体が一つになるのです。(248-55,1993.6.20)


  **引用終了**



※上記のみ言の次に引用したみ言の記述に誤りがありましたので、現在、訂正加筆中です。少しの間、お待ちください。2020年1月14日7時58分



「全万物世界の最終の理想的な吸収の終着点がどこかといえば、男性と女性の生殖器だというのです。」「男性、女性の愛の器官の細胞が最も精密です。心と体が一つになり、すべての愛の道が通じるその細胞の感情、その世界に元素としてどのように入っていくのかということが、万物、被造世界の目的だというのです。」以上のように語られています。


細胞を構成する原子・分子においても同様でしょう。全ての存在は、神様の愛の現れとしての働きであり、私たち一人一人と授受作用している存在なのです。その自覚が無ければ、被造世界の象徴的個性真理体の全てが、神様の愛の現れとなっているその本質を吸収できていないという事です。


「全万物世界の最終の理想的な吸収の終着点がどこかといえば、男性と女性の生殖器だというのです。」


最終の理想的な吸収の終着点とは、被造世界に現れた神様の愛を生素として吸収して行けば、夫婦互いの生殖器に結実するという事です。真の愛として結実するという事です。


でも、その生素はまだ、人類始祖誕生以前においては、人間の最初の父母である物質世界に現れた、たった一人の孤独な神様から来る「生素」です。このことをまず頭に入れておいて、人類始祖が誕生して以降、アダムとエバと授受作用することによって、どのような「生素」に変わっていくのかを知らなければならないのです。


次回の記事で・・・。

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