愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

サタンの罠に嵌り続けては韓鶴子氏の造り出す無限地獄から抜け出せないのです!

先回記事末部より


そこには自然界を教材として、アダムとエバを教育する天使長の役割もあります。宇宙創造開始から、人類始祖誕生までの創造過程の経過を、全て見てきた天使長が、神様に代わって導かなければなりませんでした。自然は文字で著された本とは違い、授受作用すれば神様の愛が伝わってくるようになるのです。天使長は、その愛の作用が神様からのものであることを伝えるだけでよかったのです。


男性格主体の神様から発動された「神の霊」によって創造された、女性格対象の被造世界からの愛の作用を受けて、エバは行動を起こします。美しい草花に感動し、摘んで花飾りにしたり、部屋に活けたりして、神様からの愛を生素として吸収し、行動することによって生力要素が流れ生素と授受作用します。生心において、生素と生力要素が授受作用する時に、ただ生素が生心に吸収されるだけではなく、愛の作用によってエバの心情を受け取り、瞬時に神様に伝えられます。このようにして、愛の作用は愛の神経となって、エバの心情を通して、神様と被造世界全体が授受作用するようになるのです。この愛の作用と、愛の神経の働きこそ、聖霊の働きの真価であることを知らなければなりません。


ですから、聖霊の働きは、常に私と共にあるのです。天一国主人にとっては、一日24時間聖霊役事だという事です。このことを、真のお父様は次のように語られたのです。


「私(真のお父様)は夜の神様の管理を受け、お前たち(真のお母様と人類)は昼の神様の管理を受けているのだ。」


亨進様が聖霊役事を一定期間行って下さり、それを辞められたという事の意味は、そこが「山を動かすスタート地点」となったという事です、「山をも動かす信仰生活」のスタートとなったという事です。


  *****


聖霊の働きは、常に私と共にあるのです。天一国主人にとっては、一日24時間聖霊の役事だという事です。このことを、真のお父様は次のように語られたのです。


「私(真のお父様)は夜の神様の管理を受け、お前たち(真のお母様と人類)は昼の神様の管理を受けているのだ。」


真のお父様は二代王様のみ言を通して、私たちに天一国主人としての生活の、最も重要な基本となるもの、根本となるものを教えてくれていたのです。


記事の連載としては、アダムとエバが堕落せずに成長していく本然の姿を説明してきましたが、私たちの現状を理解する為に、一日24時間私たちを生存成長させるために働いている聖霊の、現実の様相を説明します。


神様は創造を始めるために構想理想をプログラムした心情エネルギー、旧約聖書では「神の霊」と呼ばれていますが、愛によって包括主管されている万有原力を発動され、被造世界を創造しました。


私の体の細胞も、細胞を成り立たせている原子・分子も万有原力により存在しています。しかし、私の細胞は肉身の新陳代謝により、数年かけて全て新しい細胞や原子・分子に入れ替わります。私の肉身は、被造世界の他の万物を構成していた原子や分子と、絶えず入れ替わっているのです。


しかし、私の肉身の形状が変わるわけではありませんし、性格や心情が変わるわけではありません。この私という形象的個性真理体の形状の上での個性も、性相の上での個性も、神様が構想した「昼の神様」の基本プログラムに則って展開されるものです。


神様から来た精子を受けた胎が、その精子から誕生する生命に個性を与えるのも、昼の神様のプログラムに則って働く聖霊の役割です。誕生し育っていく環境が違いますから、生まれながらの個性は、さらに環境によって性格も心情もそれぞれに成長変化して行きます。「真の父母を中心とした四大心情圏による天一国構想理想」の基本プログラムに従って、被造世界の主体である夜の神様と、それぞれの個性を愛の神経で繋ぎながら、それぞれの個性である生心に「生素」を送り、神性を与えて行く働きこそ「聖霊の働き」です。その聖霊の働きによって、四大心情圏による真の愛の人格が完成し、神様が臨在されるようになった男性女性を、「昼の神様の実体」と呼ぶのです。


私たちが天一国主人となり、昼の神様の実体として生きる事を、「昼の神様の管理を受ける」と表現しているのです。しかし、人類始祖アダムとエバは堕落してしまい、夜の神様との相対基準を失いました。すると、聖霊の働きはどのようになるのでしょうか。


堕落した私たちにとって、聖霊との関係はどのようになったのでしょうか。私たちは邪心を備え、堕落性の虜となり、神様との相対基準を失ってしまいました。夜の神様とは断絶してしまったのです。生心に夜の神様が臨在されているアダムからは、夜の神様が離れざるを得なくなります。臨在できなくなるということは、アダムの霊的肉的五感を共有する事が出来なくなるという事です。


<原理原本 原文より引用>
原理原本 - 第2編 創造原理と堕落摂理 - 第1章③
第2節 それでは堕落の始めを調べてみよう。
アダムとエバが罪を犯したので、本来、アダムとエバに注入してあげた
神の根本それ自体であるところ、すなわち『生心』を中心として成長して
神が臨在できるところ、すなわち、『アダムの霊人体』は
悪を犯したその体にいることができないので、神が取り上げられた。


エバの場合は、神様本体が臨在しているのではなく、昼の神様のプログラムによる聖霊の働きで、愛の神経で神様本体と繋がっていました。エバが神様との相対基準を失っても、聖霊はエバを離れることができないのです。聖霊が離れるという事は、生命を失うという事です。


ヨブ記34章14~15
34:14神がもしその霊をご自分に取りもどし、その息をご自分に取りあつめられるならば、
34:15すべての肉は共に滅び、人はちりに帰るであろう。


しかし、聖霊は私を生かしている生命そのものであり、堕落した私たちをも主体として立てて、完全対象となって働いています。夜の神様とは断絶しても、聖霊は離れることは出来ないのです。堕落した私たちは、聖霊を自覚する心も失われ、まったく感覚することが出来ていないだけなのです。アダム自身の霊人体もエバと同様で、神様本体が生心を離れても、アダムの生存を可能にしている聖霊自体は、アダムの意志と心情に従って働きます。


お父様は再臨主として何が偉大かと言えば、人類始祖の堕落の原因を突き止めた事であり、それを償うための蕩減復帰原理を見出したことです。その蕩減復帰原理とは、どんな存在が備えているものかと言えば、それこそ聖霊が備えている法則性による愛の御業です。聖霊は、昼の神様にプログラミングされた創造原理によって働く心情エネルギーですから、創造原理を応用展開した蕩減復帰原理によって主体とする形象的個性真理体を神様の元に帰そうとするのです。


神様が愛する対象を創造するために「光あれ!」という叫びとともに、夜の神様本体から放射された心情エネルギーの段階では、構想上の男性格主体としての神様本体から発動される「神の霊」でした。その「神の霊」が、アダムとエバの成長と共に母性を帯びるようになり、女性格対象として働く「聖霊」と変わっていくのです。そのはずが、エバは長成期完成級で堕落してしまい、いよいよ「神の霊」に母性が結実しようとする前に、堕落したエバに相対せざるを得なくなるのです。そこで、蕩減復帰摂理を展開する歴史を描いた旧約聖書にも、「神の霊」として表現されるようになるのです。


人類始祖が堕落することにより、昼の神様の実体と成るべきエバが、サタンによる堕落の実体と成ってしまいました。そして、エバを生存成長させていた聖霊の働きは、堕落したエバの完全対象となって働くしかなくなりました。この事を、真のお父様は「夜の神様と昼の神様が分かれて相争っている。」と表現されたのです。


つまり、堕落性本性を備えた私たちは神様の愛の神経に繋がりながら、独自にサタンの愛欲の神経系に繋がってしまったのです。つまり、男性格主体の神様にとっての、身体としての女性格対象の被造世界に、堕落人間一人一人が癌病巣となって巣窟を造っているようなものです。一人一人の神経系が狂ってしまいましたが、万物で構成する被造世界を繋ぐ愛の神経系は、神様の愛の作用を受け取っているのです。そして堕落人間を繋ぐ愛の神経を神様は切るわけでは無く、癌病巣の痛みが伝わって来ても切らないのです。それは聖霊による蕩減復帰を可能にするためです。


だからこの瞬間も、私には聖霊の役事が起きているのです。天一国主人として完成していないのなら、成長する為に環境がセッティングされます。堕落性が残っているなら、蕩減復帰の為の環境が私を中心にしてセッティングされるのです。その神様の計らいを信じる事が、どれほど尊いでしょうか。


韓鶴子氏が無原罪で生まれたのか、原罪を持って生まれたのかで争っている限り、両者ともサタンの罠に嵌っていきます。アダムが堕落する前に、神様はアダムの生心から離れました。再臨主として生まれるには、生まれた段階から生心に夜の神様が臨在しなければならないのです。だからこそ、無原罪でなければならないのです。原罪を持って生まれた人間は、再臨主にはなれないのです。エバには、その必要はありません。エバは昼の神様の実体であり、エバとしての本体はないのです。構想理想上で構築された神様の妻であり、その結実体が堕落しましたから、原罪を持って生まれた堕落女性の位置から蕩減復帰しなければならないのです。


このことを明確にするために、真のお父様は「夜の神様、昼の神様」のみ言を残されました。


私たちが「聖霊」や「生素」について理解することが、真のお父様の語られたみ言に従って生きるためには欠かせないものなのです。



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