愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

誰も理解していない真のお父様(文鮮明師)と心情一体となる為の最も重要な鍵!

先回記事末部より


天聖経に記されている「体を着る」「アダムの体を神様が着る」というみ言の重要性が浮かび上がってきます。着るだけではなく、「振動的な衝撃が来るようにするためです。」と語られている本質の意味合いを、私たちはここで知らなければなりません。


創造前の神様の様相と、創造後の神様の様相の違いを理解しない限り、み言の正しい理解は無いのです。体恤することも出来ないのです。


  *****


先回記事で引用した天聖経のみ言を再度取り上げます。


**天聖経 真の神様 第一章神様の本体より引用**


神様はなぜアダムとエバを造られたのでしょうか。神様は無形でいらっしゃる方なので、実体の形状をもった父母になれなければ形状の子女を愛することができないので、体を着るためなのです。アダムとエバの創造目的は第一に、アダムの体を無形の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。三つ目は、神様は中心軸をもった垂直の父で面積がないので、面をもとうということです。(二 無形の神様は体が必要)


無形の神様がアダムの体を着て、振動的な衝撃が来るようにして、この衝撃的な刺激に喜びを感じるというのです。では、その衝撃的な刺激をどのようにして感じ取るかというと、このみ言の5小節後に、それを説明しているみ言があります。


神様の最後の創造目的は、体をもつことです。実体世界を主管するためには無形の神様では駄目なので、万民の父母として体をもって現れなければならないのです。感覚器官をもって刺激を感じ得る主体と対象として立つためには、体をもたなけければなりません。(25-342,1969.10.12)


このみ言にこそ、「真のお父様は夜の神様に管理を受ける」の意味する真骨頂が表現されています。


また「感覚器官をもって刺激を感じ得る主体と対象として立つため」というみ言の中の「対象」という立場は、「真のお母様は昼の神様の管理を受ける」が理解されているならば、神様の愛の世界を理解できる究極のみ言と言えるものになるのです。


「感覚器官をもって刺激を感じ得る」と表現されるのですから、神様はアダムとエバの愛し合う姿を見て喜ぶだけでは無いということです。互いの身体に臨在されるのです。神様はアダムとエバの肉体の中に入って、肉的五感を得る為の感覚器官を、アダムとエバのそれぞれと共有するということです。


ここまで深く考えながら、天聖経を訓読したことがあったでしょうか?このみ言葉の表現のままでは、アダムにもエバにも神様が臨在するように受け止めることも可能ですが、「夜の神様、昼の神様」のみ言により、どのように臨在されるのかが明確になるのです。その奥義を解くみ言葉こそ、次のみ言葉なのです。


「私(真のお父様)は夜の神様の管理を受け、お前達(真のお母様と人類)は昼の神様の管理を受けるのだ」


次回記事より、「真のお父様は夜の神様の管理を受ける」の解釈に入ります。



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