愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

天使長の性教育はどうあるべきであったのか!天一国主人は性について何を教えるべきなのか!

先回記事末部より


ということは、何を真のお父様は私たちに理解させようとしているのでしょうか。


「男性、女性の愛の器官の細胞が最も精密です。心と体が一つになり、すべての愛の道が通じるその細胞の感情、その世界に元素としてどのように入っていくのかということが、万物、被造世界の目的だというのです。」

このみ言に表現された万物、被造世界の目的が理解できると、あなたを包み込む宇宙は一変するのです。神様と愛の神経で繋がり、神様の心情の見えない血脈がはりめぐらされた有機体としての被造世界に変わるのです。


  **復習終了**


被造世界の万物全てが、エバの生殖器を通して、神様を迎え入れようとする初夜となるという事です。もっと深く、解説をしていきましょう。


  *****


被造世界の天使も含めた全ての万物の願いは、アダムとエバが初夜を迎え、神様と人類始祖が完成し、真の父母を中心とする四大心情圏が成就する事でした。その完成という事において、男性格主体の神様本体と、女性格対象の被造世界が、どのような関係性で繋がるのかを明らかにしようとしています。


しかし、そのことについて、神様は私に書かせようとしません。何故なのかと考えました。絶対性について、また、その尊い聖なる性教育について、私たちが根本を理解しなければならないという事なのでしょう。


つまり、天使長ルーシェルがアダムとエバになすべき性教育がどうあらねばならなかったかという事です。


罪と蕩減 第2章 罪、人間堕落の内的意味
エデンの園にあるすべての木の実は取って食べたとしても、園の中央にある善悪を知る木と命の木の実は取って食べるなと言いましたが、それは何を意味するのでしょうか。尹博士! 他の木はどんな木で、命の木と善悪を知る木はどんな木ですか。同じ木なのに。他の木は何の木ですか。それが何かといえば、兄と妹として暮らしながら、手を握ってもいいし、なでてもいいし、かわいいと言ってどんなことをしてもいいですが、善悪の実は見てもいけないし、触ってもいけないというのです。それが何か分かりますか。他のところはみな触っても、そこは触るなというのです。そのように解釈すべきでしょう。何のことか分かりますか。


兄と妹が手を握ってもいいし、抱き締めてもいいというのです。兄と妹、二人しかいないではありませんか。子供たち同士は体を触ったり何でもするでしょう。大きくなる過程で、家でみなそうではないですか。兄なら兄が、それを知っているでしょうか。そのようにみな触ってもいいのですが、いけないところがあるというのです。命の木の実である男の棒は凸で、善悪の実は凹です。それは触ってもいけないのです。取って食べれば大変なことになるのです。聖書はそのように比喩で書かれているのです。神様がどれほど風刺的か分かりません。(199-94,1990.2.15)


真のお父様によれば、「善悪の実を取って食べるな。」とは性関係を結ぶなという意味ばかりではなく、互いの性器を触っても見てもいけないというのです。ここに、本然の性教育の真骨頂があるのです。


天使長ルーシェルの教育とは、どうあるべきだったのでしょうか。「全万物世界の最終の理想的な吸収の終着点がどこかといえば、男性と女性の生殖器だ」というみ言は、具体的にどのようなことを意味しているのでしょうか。このことから扉を開いていきましょう。



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