愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

「天の父母様」はアダムとエバが神様の自慰行為の為の玩具に過ぎないという結論になる理論です!

先回記事末部より


ここまで深く考えながら、天聖経を訓読したことがあったでしょうか?このみ言葉の表現のままでは、アダムにもエバにも神様が臨在するように受け止めることも可能ですが、「夜の神様、昼の神様」のみ言により、どのように臨在されるのかが明確になるのです。その奥義を解くみ言葉こそ、次のみ言葉なのです。


「私(真のお父様)は夜の神様の管理を受け、お前達(真のお母様と人類)は昼の神様の管理を受けるのだ」


次回記事より、「真のお父様は夜の神様の管理を受ける」の解釈に入ります。


  *****


ここで考えてみて下さい。


アダムとエバの生心に、同じように神様が臨在して、その肉体の五感を共有するとしたならば、神様本体には何が起こるのかということです。


それを理解する為に参考になるみ言が、天聖経の次のみ言になります。


第一章 神様の本体 4)神様は父であられる ②神様は一番近くにいらっしゃる方
神様が愛することができる相対は、私たち人間しかいません。被造物の中で、神様自身が、また別の神様を造ることはできないのです。どうしてですか。全知全能なる神様なので、神様と同じ、もう一つの神様を造るだろうと、それも可能だと思いますが、神様がそのように造ればどうなりますか。同じ神様がご飯を食べるとき、一緒にご飯を食べ、手入れをするときは一緒に手入れをして、立つときは一緒に立って、ついて回りながらです。
神様が座れば一緒に座り、このように億千万年一緒に行動するならば生きていけますか。考えてみなさい。どんなに気が遠くなるでしょうか。1日もたたずに、目が回ってひっくり返ってしまいます。また、話はどうしますか。話をすれば何日話すと思いますか。三日間ですか。「あれ、あの、同じではないですか!死にそうだ」というでしょう。


以前の記事で、このみ言について次のように記述していました。


神様と同じもう一つの神様を造ったとすると、考えると同時に相手が同じことを考え、同じ行動を為して、瞬時に通じ合い、目が回って死にそうだとなってしまうというのです。


それでは、人類の一人一人の心に、息子娘の一人一人の生心に臨在するようになったなら、どのような事が神様本体で展開されるのでしょうか。何十億万人もの人々の思考や喜怒哀楽の感情が、神様本体に同時に伝わり、神様と同じもう一つの神様を造った以上に、目が回ってひっくり返ってしまうということになるのです。


では、神様がアダムとエバの、どちらの生心にも臨在され、二人の肉的五感を同様に共用するとなると、神様本体ではどのような状態に陥るのかということです。すると、同じ一人の神様が、異なる性を持つアダムとエバの肉体を着るということは、男女が愛し合っている姿に見えても、それぞれの肉体と霊体を着ている状態の神様にとっては、同じ一人の神様が愛し合っていることになるのです。それで神様本体が、真の愛の喜びを感じることができるでしょうか。はっきり言えば、自分で自分を慰める自慰行為をしているだけだということになります。


ビッグバーンから138億年の歳月を経て誕生した人類始祖アダムとエバは、神様が永遠の自慰行為をして、それを真の愛の授受作用と錯覚するために構想し、誕生させたということになるのです。


つまり、神様本体を「天の父母様」と呼ぶことは、神様が男性となり女性となり、父となり母となり、アダムとエバの体を着ることになる理論となります。アダムとエバの体を着て、肉的に性交渉をし、霊的に心情交流するということは、神様の自慰行為の為の玩具に過ぎないということを、決定づけてしまう理論から成り立っているのです。


みなさん、神様本体を「天の父母様」と呼ぶということは、被造世界と人類は、神様の自慰行為のための我欲の所産に過ぎないという結論になるのです。


「夜の神様、昼の神様」という、お父様の究極の本質的核心を内包するみ言を、まったく理解することも出来ずに、韓氏オモニの「天の父母様理論」に右往左往する幹部たちであり、講師たちなのです。騙されるな!食口たち!惑わされるな!兄弟姉妹たち!


真のお父様が、今、伝えたいことです!


それを理解した上で、本質的核心の「夜の神様、昼の神様」のみ言が、実感を持って理解されていくのです。



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