愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

人類70億の男女の体を道具として毎日毎日自慰行為にふけっている韓鶴子氏主張の天の父母様!

先回記事末部より


『「原理」でいえば、神様は二性性相の中和的存在であり、格位においては男性格です。その男性格位というものが、どのようにして男性格位になるのかを知らなければなりません。』


二性性相の中和的存在が、どのようにして男性格位になるのかを知らなければなりませんと言うのです。そこに神様の愛から誕生した後の、成長の足跡というものが現れてくるのです。完成するのはアダムとエバが初夜を迎える時です。


家庭連合は韓鶴子氏の、真のお父様のみ言への反逆を鵜呑みにしてしまったが故に、「真の愛の起源」も「神様の成長の足跡」もすべて消し去り、神様を最初から男女だったというのです。両性具有神だとするのです。


そしていよいよ、男性女性の起源に、次回から入れるでしょうか。


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先回の記事を「いよいよ、男性女性の起源に、次回から入れるでしょうか。」と締めくくりましたが、もう一歩、踏みとどまって、より多くの方々の関心と心情を集めたいと思います。


このブログの尊い協力者である家庭連合食口であり、韓鶴子氏信奉者であるtomy4509さんが、頑張って記事を更新し、私のブログへもコメントを書き込んでくれています。その努力に答えて、いただいたコメントを記事にします。


私がtomy4509さんに対して、「夜の神様、昼の神様」について解説してね」という願いに、さっそく答えてくれて、次のようにコメントしてくれました。


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夜昼の神様、「心と体」「無形実体世界と有形実体世界」でしょう。
過去にお父様は夜昼の神様ではなく、上弦・下弦という話もされていました。無形世界の男性と女性と有形世界の男性と女性の結婚式です。神様がアダムとエバの体に入るということです。
文鮮明・韓鶴子総裁の体に入られての「子羊の婚宴」でした。


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答えていただいて状況が良く分かりました。やっぱり、原理講論に記述されている次の記述による呪縛から抜け出せないでいるのです。


「無形にいます神の神性を、我々はいかにして知ることができるだろうか。それは、被造世界を観察することによって、知ることができる。・・・・それゆえ、作品を見てその作者の性稟を知ることができるように、この被造万物を見ることによって神の神性を知ることができるのである。」(第一節 神の二性性相と被造世界)


神様が自らの姿に似せて、男性アダムと女性エバを造られたから、作者である神様も男性と女性の性相を持っている。父性も母性も持っているのだから、神様は天の父母であり、天の父母様と呼ぶことができる。


でも、真のお父様は1991年11月に語られているみ言を、永遠のみ言とするために天聖経に記しています。


「男性の愛と生命の起源はどこですか。神様でしょう。二性性相の中和的主体であると同時に愛の根本であるお方が神様です。『原理講論』に「真の愛の起源」という言葉を入れなければなりません。「真の愛の起源が神様だ」という言葉を入れなければならないというのです。『原理講論』を修正することができる主人公は私しかいません。それを知っていますか。」


本来、真のお父様を、最初にキリスト教が受け入れていたならば、「夜の神様、昼の神様」のみ言は何よりも先に語られるみ言であったはずです。そこに、信仰の根幹があり、神様とアダムとエバの間の関係性を明確にし、真の父母と人類の関係性を明確にする内容であるからです。その事が理解できなければ、天一国主人としてのスタートが切れない重要な内容なのです。「真の愛の起源」は「夜の神様、昼の神様」の起源を知って、初めて明確に浮かび上がって来るものです。そのみ言の最初に「男性の愛と生命の起源」と始められています。それこそ、創造の御業の起点となるものです。


神様の直系の息子として、天一国主人の人類最初のスタートを為した方が亨進様です。真のお父様が「信仰体験において誰よりも優れている。」と証しされた意味を、私たちは全く理解できていませんでした。直接主管圏に入らなければ理解できない「夜の神様、昼の神様」を、亨進様が理解できる基準に達したので、直接主管圏に入っていない私たちも、聖霊が臨むことによって理解できるようになったのです。


その亨進様が私たちに、真の信仰のスタートを切らせるために、2012年1月29日に「夜の神様、昼の神様」について語ってくださいました。その中で、次のように語られています。


「天福祝祭を始める前に、真の父母様は私たちに驚くべき歴史の転換点をくださったのですが、それは去る1月8日から15日にかけて行われた「天地人真の父母国民支持世界大会」でした。行事の最終日、お父様は私たちに、ご自身と私たちの違いについて問われ、「私は夜の神様の管理を受け、お前たちは昼の神様の管理を受けているのだ。」と説明してくださいました。お父様は存在論的に、キリストと私たちの違いを非常に明確に決定し、発表されるフィナーレをしてくださったのです。」


このみ言・・・、「私は夜の神様の管理を受け、お前たちは昼の神様の管理を受けているのだ。」これが重要なのです。これまでも、何度も書いてきました。


この内容が理解出来て、愚かであった私たちは、初めて「神様がアダムとエバの体に入るということです。」と理解して来たみ言の意味が分かるのです。つまり、アダムとエバへの神様の入り方が違うのです。生心への臨在の仕方が違うという事です。


考えてもみて下さい。神様がアダムの体に入るとともに、エバの体にも入り、夫婦としての営みを持つならば、神様の自慰行為以外のなにものでもなくなります。


神様は自分自身と愛し合いたいのではなく、神様の妻と愛し合いたいのです。


アダムとエバの体の両方に神様が同じように入るとしたならば、どんな状況が神様に展開するのかという事です。アダムの意志や思考や心情を、神様が感じ取ると同様に、エバの意志と思考と心情が同時的に神様の心の内に渦巻くのです。その状態で、真の愛を感じ取れるでしょうか。


エバは真の母となって、神様の妻になるはずでした。神様の妻は、神様から独立して存在する新生体です。


ですから、アダムとエバへの神様の臨在は、同じ臨在と表現されても、臨在の仕方が違うのです。それを真のお父様は、「私は夜の神様の管理を受け、お前たちは昼の神様の管理を受けているのだ。」と表現されたのです。


真の母と、その他の人類への臨在の仕方は同様です。昼の神様の実体と成って、昼の神様の管理を受けます。真のお父様も昼の神様の実体として完成しますが、生心に夜の神様が臨在されるので夜の神様の実体と成るのです。


夜の神様は真のお父様に臨在され、真のお父様の心と体の感覚を共有されて、神様の妻である真のお母様を愛して完成し、「天地人真の父母様」となります。


「一人でも父母」という表現は、神様にも真のお父様にもできますが、神様一人を父母様と呼ぶことはできません。真のお父様お一人を、真の父母様と呼ばない事と同意義です。


韓鶴子氏が主張する「天の父母様」を真に受けて、それをそのまま「神様がアダムとエバの体に入るということです。」と受け止めているならば、神様は両性具有神であり、人類70億の男女の体を道具として使って、毎日毎日自慰行為にふけっている神様となるのです。日々の男女の授受作用全てが、神様の自己満足になります。


「真の愛の起源」としての「夜の神様、昼の神様」が理解できないと、あまりにもみだらな名称になっている事さえ気付かずに、偽りの信仰生活を送ることになります。



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