愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

真のお父様から完全決裂する「天の父母様教団」が発生する時、アダムのあばら骨を明らかにする!

先々回記事末部より


その理解から、初めて真のお父様の次のみ言の真意を読み取れるようになります。


「二性性相の形象的実体女性分野を中心として抜き出し、アダムと同じ形の主体対象関係なのです。」

女性分野とは、すでに記述したように、愛する相対に絶対服従したいと願う対象的な心情世界です。


神様自身が、「愛により生まれた」と感じたがゆえに、実感した心情です。神様を存在させていた前段階エネルギーとしての内的な愛が、神様自身を存在させるために100%対象的存在として投入し、全くその存在様相を消し去っていた事を感じ取ったのです。その内的愛の様相に感動した神様の心情から、同次元で互いに絶対服従したいと願う相対を創造しようという願望が湧き上がったのです。


神様が「愛により生まれた」という実感を持った時に、それまで神様自身の存在に完全に同化して、存在を消していた内的な愛に包み込まれる感覚を得たのです。神様の性相の根本である心情において、それまで無となっていた内的愛が、永遠普遍の神様を包み込んでくる感動に震えたのです。それまで自体内で主体対象が授受作用し統一体となっていた神様は、当然、その内的愛を包み込み返したい衝動が湧き上がります。ところが、内的愛には存在が無いのです。自分自身を存在させているエネルギーであって、包み返す術がなく、当然、その包み込み愛し合える対象的存在でありながら、自らの愛においては主体となる存在を創造せざるを得なくなるのです。


神様が一人で存在していた夜の神様の状態では、とうてい不可能だった「愛で包容する」という状態を可能にする愛の対象としての存在を構想するようになるのです。


それこそが、神様が「エバに与えた性相的プラス要素」です。愛する対象を創造するための「原点」となり、生命を出現させ、親子・兄弟姉妹・夫婦・父母として築き上げて行く真の家庭による四大心情圏が構築されていくのです。


「愛で包容する」という発想から、男性女性の生殖器は構築され、そこから、生命の誕生が現れ、無限無数の個性が出現し、神様が「愛により生まれた」という無限大の感動を、一人一人の息子娘に等しく同様に与えられる被造世界を構築して行くようになるのです。


生殖器も男性のものを、女性の生殖器が包み込むことから生命の誕生が可能になります。その息子娘の生命の誕生から、未来永劫に出現してくる息子娘たちの愛によって、たった一人であった「無の暗闇の状態」の神様が包み込まれるようになるのです。神様と人類とが、互いに絶対服従し合う、真の愛で包み込まれた天一国が創建されるのです。


すでに公開していた記事を、再び掲載し復習しました。


次の記事で、さらに深く入っていきますが、「真の愛に絶対服従したい」という神様の心情を、分かりやすい言葉で表現すれば、「愛に包み込まれたい」ということです。この心情の原点から、360度に万物が創造され展開する3次元被造世界の構築へと繋がっていくのです。これが理解できると「アダムのあばら骨」の真意が腑に落ちるようになるのです。


  *****


長文の記事ですが、とても内容が深いです。最後まで、読んでいただけると感謝です。神様が天の父母様ではなく、天のお父様であることを明らかにする、「アダムのあばら骨」について解明する記事となります。


永遠普遍の夜の神様を包み込んでくるものがあるなどと、全知全能の神様でさえ考えが及ばぬことでした。それが、神様自身と完全一体となっているがゆえに、その存在様相を完全に消し去っていた内的愛(前段階エネルギー)が、神様の根本である心情を通して神様の知情意を刺激した瞬間、愛は他のどんな作用にも増して心情の中心点から湧き上がるとともに、神様自身を包み込んでくるのです。永遠普遍で無限の神様をも包み込んでくる愛の偉大さに、神様が目覚め、「愛により生まれた」と実感したのです。


そして神様は、この偉大な愛に対して絶対服従したいという衝動にかられました。前回の復習の記事で掲載したように、愛し合う対象の創造を願うようになるのです。


「それまで自体内で主体対象が授受作用し統一体となっていた神様は、当然、その内的愛を包み込み返したい衝動が湧き上がります。ところが、内的愛には存在が無いのです。自分自身を存在させているエネルギーであって、包み返す術がなく、当然、その包み込み愛し合える対象的存在でありながら、自らの愛においては主体となる存在を創造せざるを得なくなるのです。」


神様はそこで、絶対服従したい愛の対象としての理想相対を構築することになります。主体に対して包容してくるに必要となる知情意から、陽性陰性とともに抜き出し、それが神様の中の女性分野となるのです。ですから、統一思想では男性と女性の陽性陰性の違いは量の違いではなく質の違いだというのです。


「二性性相の形象的実体女性分野を中心として抜き出し、アダムと同じ形の主体対象関係なのです。」


アダムと同じ形の主体対象関係で造り出した女性は、果たして神様を中心としたとしても、男性と相対基準が結べるでしょうか。陽性陰性の質の違いは、知情意による思考回路の違いであり、心情の違いとなってきます。ですから、知情意の思考機能において、神様を中心として一体化しようとしても、それは無理な話です。相対基準を作り出せないのです。これを、家庭連合では二性性相の中和的主体の神様から分立したので、自然の理で合成一体化するというでしょう。そのように生やさしいものでは有りません。


そこで、数回前の記事からテーマとしていた「相対的条件」が必要になってくるのです。


「ですから、息子を中心として見るとき、神様はお父様であると同時にお兄様にもなり、わたしの女性世界の相対圏を助けてくれる夫となる相対的条件を持っているのです。その相対的条件が、わたしと関係を結ぶのは難しいので、アダムのあばら骨からエバを抜き出したのです。分かりますか?」
「二性性相の形象的実体女性分野を中心として抜き出し、アダムと同じ形の主体対象関係なのです。エバには、性相的プラス内容があるので、自然に連結させる関係が結ばれるようになっています。因縁において関係が結ばれるように、男性と女性になっているのです。」


初めから永生する人間として、天使のような形態の霊的存在として創造したならば、男性霊体と女性霊体は、知情意と心情の質の違いにより相対基準が結べず、授受作用によって一体化することなど出来ないのです。そこで真のお父様は次のように明らかにしています。


『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』
(2004年4月19日、米国・ニューヨーク ニューヨーカーホテル)からの抜粋です。


  **引用開始**


真の愛を中心にして成長された神様


 それでは、神様ご自身も、生まれるために心と体が一つになったのと同じように、その心と体が真の愛を中心として一つになっているので、真の愛を中心として心と体のようなものが、小さな所から大きくなってきたということです。


 神様も大きくなっていったのです。神様も大きくなり、アダムとエバが造られる時までにはすっかり大きくなり、もう一回り回って、すべて包括できる立場に入ってきたのです。無形の神様は、実体対象圏と関係を結ばなければならないのです。


 無形の世界の中心は縦的なもので、一点しかないので繁殖できません。霊界に行けば、繁殖できません。ですから、実体圏を連結させるべき責任があるのです。「創造原理」を中心として、神様はどのような存在としていらっしゃるのでしょうか? 二性性相の中和的存在です。格位では、男性格を備えた存在であるのです。これは偉大な言葉です。神様が二性性相の中和的存在として、心と体が一つになり、神様を中心として胎内にいる双子と同じです。


 真の愛を中心として、骨と肉が、骨と皮になり、骨があれば必ず皮ができます。すべてを見てみれば、骨には膜があり、そこに軟骨のようなものが連結され、すべてのものを連結できるのです。


 ですから、骨のような神様の無形の実体が心的基準であり、それと皮のようなものを包指し、真の愛を中心として初めから一つになるのです。さらに、腹中の胎児に例えれば、胎児は父親と母親の精子と卵子が一つになって、父親の精子が骨になり、母親の卵子が皮になって、母親の子宮に入っていって大きくなるのです。


 それと同じように、神様も、無形の存在を中心として、神様の見えない宇宙の中で、腹中の胎児のように成長してきたのです。何を中心として成長してきたのでしょうか? それは真の愛です。


 ですから、骨と肉がこのときは縦横を中心としているので、心と体のようなものが、無形ですが、骨と肉のようなものが、縦的な垂直と横的な平衡を中心として、愛を中心として大きくなっていくのです。


  **引用終了**


夜の神様は如何にして、全く質の違う知情意による思考回路と、心情の源泉を持つようになる男性と女性の間に、神様を中心とした相対基準が結べる関係性を構築したのでしょうか。


その為の相対的条件こそ、子供を産むことなのです。互いの性質を受け継いで生まれてくる子供を愛する事から、男性は子供を通しても妻を愛し、女性は子供を通して夫を愛します。その親子関係において繋がる血統の永遠の繫がりこそが、まったく性格気質の違う男性と女性を結び合う相対的条件を作り出すのです。


そこで、真のお父様は次のように語られています。


「無形の世界の中心は縦的なもので、一点しかないので繁殖できません。霊界に行けば、繁殖できません。ですから、実体圏を連結させるべき責任があるのです。」


つまり、最初から霊的存在の男性女性として創造したならば、相対関係を結ぶのは困難なので、3次元の実体圏を創造するしかなかったのです。しかし、その3次元の世界も、神様が愛に対して抱いた「愛に包まれたい」という感動から発想されたものです。


これらの事が理解できると、次のみ言が実感を持って心に染み入るのではないでしょうか。


  **『ファミリー』2005.1月号のP.22のみ言から抜粋引用**


神様は、お父様であると同時に、お兄様です。どれほど近いですか?その次に、神様はどんなかたですか?愛の主体と対象関係です。相対的関係です。夫と妻の心です。


なぜですか?どのようにしてそうなるのですか?心にも女性的な心があるので、神様の男性的な心と女性的な心を通して関係を結ぶようになり、一体的関係となったその位置に立つようになるとき、天のお父様と天の息子、娘が生じるのではないかということです。分かりますか。


ですから、息子を中心として見るとき、神様はお父様であると同時にお兄様にもなり、わたしの女性世界の相対圏を助けてくれる夫となる相対的条件を持っているのです。その相対的条件が、わたしと関係を結ぶのは難しいので、アダムのあばら骨からエバを抜き出したのです。分かりますか?


二性性相の形象的実体女性分野を中心として抜き出し、アダムと同じ形の主体対象関係なのです。エバには、性相的プラス内容があるので、自然に連結させる関係が結ばれるようになっています。因縁において関係が結ばれるように、男性と女性になっているのです。


  **引用終了**


神様は自らそのものを男性格主体として立て、内的愛に対して絶対服従し、愛に包まれたいと願った絶対対象に立とうとする心情世界を女性分野として、その陽性陰性による性質を抜き出し女性格対象として創造しようとしました。それが被造世界であり、また実質的な愛の対象となる女性でした。


「神様はどんなかたですか?愛の主体と対象関係です。相対的関係です。夫と妻の心です。」


夫の心とは神様そのものの心であり、妻とは「主体に対して絶対服従したい」とねがい、「愛に対して対象になりたい」と願った神様の心です。その相対的関係性から、内的愛を持つ夜の神様から、真の愛を発動させた神様へと生まれ変わったのです。それ以前は、「無の暗闇の状態」の夜の神様でしたから、「無」から永遠の生命を持つ神様が生まれたということです。


ですから、愛に包まれたその愛の胎内に、夜の神様は神様として生まれたのです。その胎は何故に創り上げられたかと言えば、神様の心情と神様を存在させている内的愛が、神様の意識に登った上で、完全一体化したからこそのことです。その誕生によって、神様の心情世界に、男性分野と女性分野の違いが現れるようになったので、それを真のお父様は次のように表現されました。


「なぜですか?どのようにしてそうなるのですか?心にも女性的な心があるので、神様の男性的な心と女性的な心を通して関係を結ぶようになり、一体的関係となったその位置に立つようになるとき、天のお父様と天の息子、娘が生じるのではないかということです。分かりますか。」


ただ、男性分野と女性分野に分けて創造したのでは、性格性質の違う男女は一つになれません。そこに男女が一体となり生命が生まれるという概念が生じるのです。すべては、神様が通り体験したものなのです。


さらに、「愛に包容される」世界を造り上げようとした発想は、万物全ての創造の基本になるのです。


  *****


 真の愛を中心として、骨と肉が、骨と皮になり、骨があれば必ず皮ができます。すべてを見てみれば、骨には膜があり、そこに軟骨のようなものが連結され、すべてのものを連結できるのです。


 ですから、骨のような神様の無形の実体が心的基準であり、それと皮のようなものを包指し、真の愛を中心として初めから一つになるのです。さらに、腹中の胎児に例えれば、胎児は父親と母親の精子と卵子が一つになって、父親の精子が骨になり、母親の卵子が皮になって、母親の子宮に入っていって大きくなるのです。


 それと同じように、神様も、無形の存在を中心として、神様の見えない宇宙の中で、腹中の胎児のように成長してきたのです。何を中心として成長してきたのでしょうか? それは真の愛です。


 ですから、骨と肉がこのときは縦横を中心としているので、心と体のようなものが、無形ですが、骨と肉のようなものが、縦的な垂直と横的な平衡を中心として、愛を中心として大きくなっていくのです。


  *****


「骨」は男性格主体の神様本体の心情を意味し、「皮」「肉」「膜」は神様を包み込んできた「愛」を意味するものとなります。


すると、このみ言に続いて語られた次の内容から、アダムのあばら骨の意味するところが理解できるようになるのです。


  *****


 ここからこの実体を中心として抜き出したものが骨と体なのですが、そこに器官として入れておいたのが人間の五臓六脈です。あばら骨の中にあるすべてのものは、のどから肛門まで切って、すぱっと抜き出せば、五臓がさっと出てくるのです。


 鳥などを捕まえてみれば、骨と肉がすべて一つになっていますが、その中で五臓は、上と下がつながっています。この体の中で五臓が動くことができるのと同じように、無形の神様が、そのような立場で心と体が、骨と肉が大きくなっているのです。


 それで、これを実体圏に移しておくためのアダムとエバの創造であったということです。分かりますか?


  *****


骨自体は神様の根本である心情を意味しますが、あばら骨とはその心情の中でも「愛によって包容する心情」そのもののことです。対象として立つけれども、主体となるものを絶対的に守ろうとする心情世界であり、これこそ愛に対する絶対服従の対象として立つ女性分野なのです。


そして、真のお父様が語られた次のみ言が実感として理解できるのです。


「二性性相の形象的実体女性分野を中心として抜き出し、アダムと同じ形の主体対象関係なのです。エバには、性相的プラス内容があるので、自然に連結させる関係が結ばれるようになっています。因縁において関係が結ばれるように、男性と女性になっているのです。」


「因縁」とは「神様が愛により生まれた」ことから、「天の息子娘として生まれた」という関係性です。これが生命の誕生による親子関係によって、永遠に神様の血統として繋がることが「相対的条件」となるのです。



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