愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

全食口に告げる!真のお父様の正体!文鮮明師の見ることが出来なかった顔!

先回記事末部より


女性としての性相は、夜の神様の本性相にも内包されています。しかし、母性は昼の神様による真の母の完成によって地上界に顕現し、真の父が心情一体となることによって母性の心情を実感するようになるのです。その意味で、真のお父様は真のお母様と共に、真の子女様を産み育て真の家庭に四大心情圏を成就することにより、一人でも真の父母となるのです。真のお父様が真の父母となることによって、夜の神様も母性の心情を実感し、心情においては父母の心情を持つようになります。しかし、神様本体としての存在は、真のお父様が父の存在であるように、夜の神様も父なのです。故に夜の神様は「天の父母様」ではなく、「天のお父様」なのです。


このことは、「真のお父様は夜の神様の管理を受ける」という御言の本質的核心が理解できると、より実感をもって浮かび上がって来るのです。


浅はかな知恵で、神様本体を「天の父母様」と呼ぶとは、サタンの手中に捉えられていることを意味します。


  *****


さて、いよいよ「真のお父様は夜の神様の管理を受ける」というみ言の核心に迫りましょう。その前に、「お前達は(真のお母様と人類)は昼の神様の管理を受ける」のみ言について復習します。


2月20日の記事からの抜粋引用です。(これを読むにあたって、少しでも理解できると思える方は、聖霊との相対基準が復帰されている方です。聖霊との相対基準が復帰されているということは、何らかの形でアベルカインを本質的な位置で勝利している方だということです。まったく理解できないという方は、アベルカインにおいて本質的な勝利ができずに、四大心情圏を間違って理解している方であることを忠告しておきます。)


  **引用開始**


「夜の神様、昼の神様」のみ言は、夜の神様とお父様の本当の存在様相と、その本質的関係性を明らかにしようとしたものです。さらに「真のお父様は夜の神様の管理を受け、他の人間は昼の神様の管理を受けるのだ」というみ言は、夜の神様と真のお父様の関係性を心情的支柱として、真のお母様をはじめとする息子娘たちがどのように繋がっているのかを説明しているものなのです。


聖霊は被造世界を創造し存在させるために、神様本体(夜の神様)から発動されている心情エネルギーです。心情の衝動力と一体となって、神様本体を存在させていた原力が分立され、創造原理のプログラムに則って正分合作用によって、あらゆる個性真理体を創造し存在させる心情エネルギーです。一つ一つの個性真理体を造り上げ、存在させるための働きを中心として呼べば、それが聖霊なのです。


今まで私たちは、その聖霊の働きが、メシヤを生誕させたり、メシヤを信ずるものに証しの力を及ぼす時に、その女性神としての働きのみを聖霊と呼んできたのではないでしょうか。しかし、「昼の神様の管理を受ける」というみ言を正しく理解するためには、霊界を含めた被造世界のすべての存在と活動を可能にしているのは、聖霊の働きによるものだということを知ることから始めなければならないのです。


もちろん、私の心臓が鼓動し、息をすることが出来るのも聖霊の働きによるものです。私が物や風景を見たり、音を聴いたり出来るのも聖霊の働きであり、喜怒哀楽を感じることが出来るのもそうなのです。そして私たちは、真の御父母様を親とする息子娘として、愛の人格を完成させなければなりません。さらに家庭を完成させ、四大心情圏を体恤しなければなりません。そうして、私たち自身も昼の神様が顕現した実体と成らなければならないのです。


アダムとエバが堕落することなく完成すれば、そこに真の家庭の四大心情圏は成就され、昼の神様の実体と成りました。それこそ、聖霊の働きがそこに結実するということです。聖霊の働きが結実するということは、夜の神様である神様本体と、聖霊によって完全なる相対基準を結び、意志と心情が直結するようになるということです。すると、時空を超越しておられる神様は、その愛ゆえに、私の心の中に存在して下さっていると感じることが出来るのです。私の生心に、神様の心情の動機と同じ衝動力を得て、神様の意志と心情に合わせて動じ静ずるようになるということです。つまり、私の生心に夜の神様が入ったと感じられるけれども、それは昼の神様なのだということになり、聖霊の働きによるものだということなのです。その状態は、神様本体が、私の生心に入られたと同様と言えますが、昼の神様に込められた愛ゆえなのだと理解することが、夜の神様の尊さを自覚できる基点となるものです。


その状態を、お父様は「昼の神様の管理を受ける」と表現されたのです。


  **引用終了**


天聖経に次のみ言があります。


真の神様 第1章神様の本体1)神様は無形の主体であられる
心の中に神様が入ってきて、いらっしゃれば心が分かります。神様が心の中に入ってくれば壁も突き通して見ることができ、じっと座って何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。永遠なる神様が心の中に入ってくればそのようにすることができます。永遠を時間ではとらえることはできませんが、永遠の中に時間があります。ですから神様は見えなくても心は分かるのです。(41-287.1971.2/17)


これは「お前達は昼の神様の管理を受ける」ゆえに、心に神様が入ってくる状態になっていることを表しているみ言です。全ての人類は、直接主管圏に入ると「心の中に神様が入った」と同様の状態で生きるようになるということです。実際に神様が心の中に入って、入った人の肉体と霊体の感覚器官と繋がり、地上界で味わう「振動的な刺激」を共有するわけでは無いのです。


夜の神様から発動される心情エネルギー、つまり聖霊によって私たちの肉体と霊体が存在し、生存することが可能になっています。私たちは聖霊によって、永遠の生命の源である夜の神様と繋がっているので生きることができるのです。聖霊は人間が堕落しても、主体の位置に立て生存させてくれますから、聖霊との相対基準は切れるわけではないのですが、堕落した人間は聖霊との相対基準を感じ取る感覚を失ってしまっているのです。


聖霊との相対基準を感じ取る感性・霊性を取り戻すことによって、断絶していた夜の神様との相対基準を造成できるようになるのです。そこで初めて、私たちは聖霊によって夜の神様と繋がり、聖霊の働きによって、心の中に夜の神様が入っている感覚を取り戻すことができるのです。ですから、実際には心の中に入って、一人一人の肉体と霊体の感覚器官と夜の神様が繫がるわけでは無いのです。


ここまで、説明してくれば、お父様と夜の神様との関係性を理解していただけるでしょう。


「私(真のお父様)は夜の神様の管理を受ける」と言うみ言は、夜の神様とお父様のどのような関係性を伝えようとしているのでしょうか。


それは、「この地上界に、そして霊界に行かれてからも、夜の神様がその肉体と霊体の感覚器官と繋がり、振動的な刺激を共有する方こそが、真のお父様であるということを明らかにしているみ言なのです。」ですから、夜の神様が体を着ることができる相手は、たった一人、真のお父様だけなのです。

この説明を基として、夜の神様とお父様の関係性を、もっと深く本質的に掘り下げて行きましょう。すると、神様の創造における真の愛の尊さが、より深く実感できるようになるのです。そして、あなた自身も、「心の中に神様が入ってくる」感覚を、復帰することができるようになるのです。



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