愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

真のお父様の誕生が無原罪か有原罪かを問うとは滑稽です!聖誕時から神様が臨在されているのです!

先回記事末部より


そして同様に重要なのが、エバは神様ではなく、神様の妻だということです。真のお父様は「生殖器が宇宙の祖先であり、宇宙の根本」と語られています。エバの胎内には、エバ自身の誕生と共に、次世代の生命の素となる「原始卵胞」を備えられて生まれてくるのです。つまり、あなたの生命の素の誕生日は、母親がその母親の胎内に孕まれた時なのだということです。エバを始祖とする全ての女性は、時空間の中でしか創造しえない存在なのです。そのような意味で、夜の神様の似姿とは言えないのです。ですから、神様本体が直接に臨在されることは不可能なのです。


夜の神様と呼ばれる神様本体は、女性として現れる要素は備えていても、母性は時空間の被造世界を通してしか現れない実感の心情なのです。それも、神様本体の「愛から生まれた」と実感した体験が素になっていますが、神様本体自身では時空を持たないので生命を誕生させることはできないのです。そこで、千辛万苦の末に構築した心情エネルギーの働きこそ、聖霊であり、心情エネルギーに込めた夜の神様の目的を中心として呼ぶ時には「昼の神様」となるのです。


つまり、夜の神様である神様本体は、「天の父母様」では有り得ないのです。一人でも「真の父母」である真のお父様が私たちの父であるように、神様本体は私たちの父なのです。「天のお父様」です。


これを理解していない原理講師は詐欺師であり、理解していない幹部は地獄への道案内人となり果てています。


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真のお父様が無原罪で生まれたのか?有原罪かで争うとは滑稽な話です!真のお父様が聖誕された時から、神様が臨在されている訳ですから、原罪が無いのは明らかな事です!


キリストと再臨主が、なぜ無原罪で聖誕しなければならないかと言うと、それは夜の神様が生心に臨在する為です。夜の神様が臨在すること無くしては、神様の血統は始まらないのです。夜の神様が臨在するからこそ、神様の精子となるのです。


素直な気持ちになって、自分を捨てて考えれば、誰でも理解できる話です。


イエス様の十字架以降に、聖霊の働きと証しにより、二千年をかけて準備されたキリスト教の世界的基盤でした。そのキリスト教が、真のお父様を再臨主として受け入れていれば、最初に語られたみ言こそ、「夜の神様、昼の神様」です。このブログの最初の記事を読んで下されば、お父様が最後の最後に語られた「夜の神様、昼の神様」のみ言は、創世記第1章の解釈であることが分かります。神様への信仰による心情生活を送り、本然の家庭による四大心情圏を体恤するには核心的み言となるものなのです。


なぜ、真のお父様は最も重要なみ言を語れなかったのでしょうか。祝福家庭にカインアベル心情一体の基準が立たずに、天使長家庭から本然の祝福家庭が現れなかったことが大きな要因です。


1993年に成約時代を迎え、真の家庭はお父様を中心とする四大心情圏三大王権を成就する時代に入ったのですが、私たち祝福家庭も、四大心情圏を実感できる家庭を築かなければなりませんでした。本然の祝福家庭になるということです。


「私が願う祝福家庭は本然の祝福家庭です。本然でない祝福家庭が、現在の未完成状態にある祝福家庭なのです。これを『条件的祝福家庭』と言うのです。この両者を混同してはいけません。本然の祝福家庭の位置に進むための、条件的祝福を受けた者の道がどれほど険しく、どれほど難しいものであるかを、くれぐれも忘却してはいけません。分かりますか?(「はい。」) 新しい年を出発するにあたり、まずは自分の家庭から整備運動を急がなければなりません。『そうする』と言う人は手を挙げてみなさい。」 (祝福67号 P70 祝福を受けた者達 1986年2月9日 ソウル本部教会)


 この『条件的祝福家庭』を、お父様は「天使長家庭」とも語っています。


「今日の統一教会の祝福家庭は長成期完成級で天の側の天使長として結婚した立場です。・・・この家庭は直接、天国に入れないのですが、なぜでしょうか? 現在、祝福を受けていると大丈夫だと思いますが、そうではありません。」 (ファミリー1995年1月 P10)


「なぜ、『家庭教会』が必要かというと、今までの統一教会の祝福は天使長家庭だからです。堕落する可能性がいくらでもあるのです。
なぜ、『家庭教会』か。天使長家庭からアダム家庭に帰らなければ、永遠に地上には天国は顕現しません。・・・天使長の血統をアダムの血統に切り替える復活の理論を知らなければなりません。」
(FAXNEWS106号1994・9・13アラスカ・日本家庭協会特別修練会)


「天使長の血統をアダムの血統に切り替える復活の理論」を、私たちは理解することができず、生活に展開することもできなかったのです。


私たちは、真のお父様のみ言を、まったく理解できないまま、聖和に追いやってしまったことを心から受け止め、悔い改めなければなりません。「夜の神様、昼の神様」のみ言を理解することができないとしたなら、お父様が生涯において語られた全てのみ言を誤解し、自分独自の解釈で理解したつもりになっているということです。


1999年10月15日、ウルグアイで「皆裏切る」と語られたみ言はこの事をも意味しています。


真のお父様を裏切った私たちが、希望の光を見出すためには、夜の神様が無の状態の暗闇から放った光を見つける事が必要なのです。その光を注がれるには、夜の神様が「愛から生まれた」と実感したその真の愛が何なのかを、私たちは発見しなければならないのです。


※cosmosさんご指摘ありがとうございます。より充実した文章になりました。


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