愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

神様が誕生した瞬間が見えてくる!

今回の記事では、創世記第1章第1節から第3節まで、新共同訳とプロテスタントの方の私訳を取り上げて進めます。


新共同訳1987(2018年12月に改訂版)
1:1 初めに、神は天地を創造された。
1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊がの面を動いていた。
1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。


とあるプロテスタントの方の私訳(聖書に誤訳があると主張)
1:1 神が天地万物を創られた、その始め、
1:2 大地はまだ、影も形もなかった。神の息吹は風のように海原を包んでいたが、深い海の底は暗やみに覆われていた。


先回の記事で、聖書の翻訳者たちが「水」「海」と訳しているヘブライ語「ハマーイム」には、精液という意味もあり、お父様ならこの言葉の訳として精液を選ぶと書きました。それも、私たちが知る精液ではなく、「神様の精子」の基となる状態だと書きました。


神様の精子の基とは、何を表現しているのでしょうか。これは「夜の神様、昼の神様」のみ言から、初めて理解できるものとなってくるのです。


原理講論において「作品を見てその作者の性稟を知ることができるように、この被造万物を見ることによって神の神性を知ることができるのである。」と記述があります。これに対して、お父様の語られた「夜の神様、昼の神様」のみ言は、被造世界に現れた結果からは、想像することも出来ない神様本体の、根本的核心を明らかにするために語られたものなのです。2008年4月に世界会長となられた亨進様は、常にお父様とともに行動し、指導を受けていました。その亨進様が夜の神様について、食口にも理解できるように次のような表現をされました。


「『夜の神様』は、超越的な神様として全ての万物と時空間が創造される前の『無』の状態、夜の暗闇の状態での見えない神様」(2012年1月29日天福宮)


ここで語られている「無の状態、夜の暗闇の状態」について、お父様はみ言で表現されていました。


夜の中にいた神様の歴史が創造以前の歴史であることを分からなければならない。その夜の歴史の中にいた神様の歴史、創造の前の歴史・・・、神様も大きくて出たという事実が分からなければならない。暗闇の中輝いた。7色光を合わせれば黒になる。その創造以前世界の神様が分からなければならない。元々の根本が分からなければならない。 (2010年4日1日 ワシントン訓読会)


光を照り返す対象がある被造世界では、7色光は白色であり透明とも言えます。それぞれの物質は、その光が反射した光の波長の違いによって、千変万化の色彩で自然界に浮かび上がるのです。そうであるならば、「七色光を合わせて黒」になる世界には、光を反射させる対象が何もないということになります。完全無なのです。それもただの無ではありません。プラスとマイナスが一体となったゼロであり、本陽性と本陰性が完全中和した「無」です。本性相と本形状が完全一体となり、全ての知・情・意の要素が和合した『無の境地』なのです。


お父様のみ言で七色光と表現されているのは、夜の神様にとっては心情のことです。永遠普遍に心情が満ちている状態ですが、その心情に相対する対象の存在が無いので、暗闇の状態なのです。何も無いのではなく、存在自体によって湧き上がる心情が満ち溢れていました。その心情とは何なのかを、統一思想と原理本体論から引用します。


心情とは何か【統一思想 第一章 原相論(二)神性(1)心情から 】
心情は神の性相の最も核心となる部分であって、「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動」である。


心情【原理本体論 第1章 創造原理 3)神相と神性の構造(2)神性】 
神様の神性の最初の要素である心情は、神様の本質的属性である本性相の核です。無限なる神様の属性の中で、最も根本となる属性が心情です。心情が途切れてしまえば、真の愛はありません。


このように心情とは、神様本体の根本というべきものです。しかし、満ち溢れる心情は、対象が現れなければ「無」の境地でしかないということです。夜の神様が愛する対象を得たいと願った時、構想を探ったその時点から、対象への愛は心情の衝動的爆発を呼び起こしたのです。そして、夜の神様は「無」の状態から、愛の生命を得たことを実感したのです。


**天聖経 真の神様 第一章 神様の本体から引用**


五 法度の中での全知全能である 2.愛のみが絶対基準である
 神様自身を存在させる起源とは何ですか。何から生まれたのでしょうか。神様が存在するための起源とは何でしょうか。全知全能ですか。絶対的権限ですか。絶対的権限があれば何をするのですか。一人でいるのに、一人でいる両班(ヤンバン)が絶対的権限があって何をするのですか。誰もいないのに。一人で絶対者になっていれば知識があって何をするのですか。神様の本質が何かという問題が重要な問題です。それが愛です。「ため」になれという愛ではなく、「ため」になろうとする愛です。


夜の神様は、相対する対象を想定することによって、愛が自らに新たな生命を与えてくれたことを実感しました。この時、夜の神様は初めて、愛によって生まれた・・・、愛から生まれたと実感したのです。


しかし、愛によって新たに生まれる前から、神様は心情に満ちていながら「無の境地」で永遠普遍の存在としておられたのです。この神様の心情と、神様を存在させている原力との関係を、統一思想においては次のように表現しています。


統一思想:心情と原力
最後に心情と原力について説明する。宇宙万物はいったん創造されたのちにも、絶えず神から一定の力を受けている。被造物はこの力を受けて個体間においても力を授受している。前者は縦的な力であり、後者は横的な力である。統一思想では前者を原力といい、後者を万有原力という。
ところでこの原力も、実は原相内の授受作用、すなわち性相と形状の授受作用によって形成された新生体である。具体的にいえば、性相内の心情の衝動力と形状内の前エネルギー(Pre-Energy)との授受作用によって形成された新しい力が原力(Prime Force) である。その力が、万物に作用して、横的な万有原力(Universal Prime Force)として現れ て、万物相互間の授受作用を起こすのである。したがって万有原力は神の原力の延長なのである。


統一思想でも原理講論でも、夜の神様と昼の神様を分けずに表している神様として解説しています。ですから、「性相内の心情の衝動力と形状内の前エネルギー(Pre-Energy)との授受作用によって形成された新しい力が原力(Prime Force) である。」と記されています。「授受作用によって形成された新しい力が原力である」とありますが、これが「無の状態」の夜の神様においては、自存する為の原力となっていたということでしょう。ですから夜の神様を自存させる力は、生命力というよりも存在力と表現したほうが良いのでしょう。しかし、この存在力というべき原力が、被造世界に個性真理体の存在と生命を出現させていく根本的な原力となって行くのです。つまり、心情と原力は、創造を可能にする力であり、生命を誕生させる原力となるのです。


その上で、創造の目的が愛する対象の人間を誕生させることであり、その人間の愛の喜びの為に被造世界の万物を創造した訳ですから、神様を存在させている根本である心情と原力こそ、生命の誕生の基であったと言えるでしょう。そのような意味から、神様の「無の状態」の心情こそ、生命を生み出す神様の精子の基となっていると言えるのです。


つまり、聖書の翻訳者たちが次のように訳した部分・・・。


「闇が深淵の面にあり、神の霊がの面を動いていた。」
「神の息吹は風のように
海原を包んでいたが、深い海の底は暗やみに覆われていた。」


水や海と表現された存在の、神様からの啓示における真実は、夜の神様の「無の状態」の心情と原力であったということです。その無の状態の心情は、夜の暗闇の状態でした。それで水底の闇であり、深い海の底の闇なのです。その闇の眠り、無の状態から目覚めようとする夜の神様は、対象を求めて思索を始めるのです。その時になって、神様に愛の生命が入られたかのごとくに、神様の霊は動き始め働き始めるのです。


「神の息吹は風のように海原を包み・・・」「神の霊が水の面を動いていた」


夜の神様の存在の根本と言える心情と原力が、生命を誕生させる精子の基でした。これだけの説明では、まだ、もやもやしているかもしれません。これからそのことは、第3節の「光あれ」の光の意味するものが分かれば、よりはっきりと明確になっていくのです。


無の状態、夜の暗闇の状態から、愛する対象を求めて、「光あれ」と、夜の神様は叫ぶのです。その光は、夜の神様にとっての光です。



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