愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

「令和」の元号が与えられた母国日本の摂理的意義と重要性!

先回記事末部より


神様は愛と心情を基として「創造原理」を構築しました。神様から発動される「心情エネルギー」は、プログラムされた「創造原理」によって個性真理体を創造していきます。神様の愛と心情を基とした「創造原理」によって、被造世界が構築されていくわけですから、創造され存在する全ての個性真理体が、愛によって神様を中心とした関係性を結ぶように造られているのです。


創造の目的が、神様の愛の対象である人間を誕生させることです。その人間の愛の喜びの為に被造世界の万物を創造した訳ですから、神様を存在させている根本である心情と原力こそ、生命の誕生の基であったと言えるでしょう。そのような意味から、神様の「無の状態」の心情こそ、神様の精子の基となっていると言えるのです。


神様本体から発動される心情エネルギーについての理解が深まると、いよいよ、「昼の神様」と「聖霊」の関係性について説明できるようになるのです。


  *****


先回記事の最後に、「昼の神様」と「聖霊」の関係性について説明できるようになると書きました。でも、霊的な環境圏を探ってみると、まだ十分には整っていないようです。


ブログを訪問してくれて、読んでくれる方々には多くの霊人が協助しています。その方がブログを読むと同時に、その方を通して、協助している霊人たちも読んでいます。


どうやら、まだキリスト教でも、宗派ごとに聖霊の解釈が違う状況下では、まだまだ心情的霊的な準備が必要であるようです。聖霊を通して、読者の方々を協助している霊人たちの理解度が伝わってきます。ですからやはり、イエス・キリストを証しする聖霊が、どのように私たちが生まれ育った日本を育んできたのかを、記述して行きたいと思います。


このような記述の流れになるのも、昨日、新しい元号が発表されたことも関りがあると思います。


**安部首相会見より抜粋引用**


新しい元号は令和であります。これは万葉集にある『初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す』との文言から引用したものであります。


そして、この令和には人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められております。万葉集は1200年あまり前に編纂された日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく防人や農民まで幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。


悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく、厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、令和に決定致しました。


文化を育み、自然の美しさを愛でることができる平和な日々に、心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ち溢れた新しい時代を国民の皆様と切り開いていく。新元号の決定にあたり、その決意を新たにしております。


  **引用終了**


日本の「和」と言えば、聖徳太子の十七条憲法を思い浮かべます。


3月29日の記事に掲載した内容を、再び掲載します。


その聖徳太子の十七条憲法は、ただ「和をもって尊しとなす」と主張したのではないのです。なぜ、和が必要かと言えば、「メシヤを迎える基台」を造成する為です。その事が十七条憲法の第十四条に明記されています。


  **引用開始**


第一条
一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことに従わなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。


第十四条
十四にいう。官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。嫉妬の憂いははてしない。それゆえに、自分より英知がすぐれている人がいるとよろこばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。それでは500年たっても賢者にあうことはできず、
1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。


  **引用終了**


何故に和が尊いかと言えば、千年に1人の聖人を待望する為なのです。また、これだけでは説明しきれない、神様が導いてきた日本の歴史の奥義があるのですが、十七条憲法は世界でも稀であろう、「メシヤを迎える為の基台」を造ることを憲法として定めたものなのです。


ですから、日本の国は聖徳太子の時代から、再臨主をこの地上に迎える為に、世界の母となるべく心情を育まれた国だということです。


見ることも、知ることも、体験することも難しい聖霊の本質を説明するよりも、聖霊が日本をどのように育んできたかは、史実として現れているのですから説明しやすいですし、理解しやすいでしょう。


日本の元号が「令和」となった事は、神様と日本の関係性を歴史の影の部分から浮かび上がらせなければならない事を暗示しています。


日本語学者の金田一秀穂氏は、次のように語っています。


「『令』というのは、古い意味では“神様のお告げ”という意味。そして、“皆が仲良く“ということなんだろうと思います。いい言葉なのではないでしょうか。悪くないですよ。ただ、「和」は昭和の「和」だったから、そういうのは選ばれないのかなと思っていましたけれど。」


聖徳太子の時代以降からずっと、母国となるべく聖霊に育まれていた日本に、どんな神様のお告げが与えられ続けていたのかを、今こそ知るべき時が来たと思います。



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