愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

お父様がついに語れずに終わった母国としての日本の歴史!

先回記事重要部分


その聖徳太子の十七条憲法は、ただ「和をもって尊しとなす」と主張したのではないのです。なぜ、和が必要かと言えば、「メシヤを迎える基台」を造成する為です。その事が十七条憲法の第十四条に明記されています。


  **引用開始**


第一条
一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことに従わなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。


第十四条
十四にいう。官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。嫉妬の憂いははてしない。それゆえに、自分より英知がすぐれている人がいるとよろこばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。それでは500年たっても賢者にあうことはできず、1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。


  **引用終了**


何故に和が尊いかと言えば、千年に1人の聖人を待望する為なのです。また、これだけでは説明しきれない、神様が導いてきた日本の歴史の奥義があるのですが、十七条憲法は世界でも稀であろう、「メシヤを迎える為の基台」を造ることを憲法として定めたものなのです。


ですから、日本の国は聖徳太子の時代から、再臨主をこの地上に迎える為に、世界の母となるべく心情を育まれた国だということです。


  *****


憲法は国の根本秩序に関する法規範の意味がありますが、604年に聖徳太子によって作られたと言われる十七条憲法は、法ないし掟の意味で捉えられるものです。


日本書紀によれば、十七条憲法は聖徳太子一人で作られたわけでは無く、東洋宗教の粋を結集した憲法とも見て取ることが出来るものです。


587年に物部守屋に打ち勝ち、強大な権力を手にした蘇我馬子は、他国に対抗できる器を持つ天皇を立てるために、厩戸皇子に絶大な期待を寄せます。


595年、高句麗の僧・慧慈(えじ)、及び百済の僧・慧聡(えそう)が来朝し、厩戸皇子の仏教の師となります。さらに、ペルシャ人との説もある覚袈(かくか)が、外典である儒教、道教、景教、バラモン教の師となりました。 まるでおまけのように、覚袈から学んだ中に景教が入っています。景教とは唐で呼ばれるようになった宗教名で、もとはキリスト教ネストリウス派のことです。


このキリスト教ネストリウス派である景教について、聖徳太子は側近であった秦河勝より、多大な影響を受けました。秦河勝は渡来人の族長であり、物部守屋との闘いの時に厩戸皇子を守護しており、共に物部守屋を討ち取る功績を立てた人物です。厩戸皇子の側近として活躍し、広隆寺を建立しましたが、それは仏教という形の内に、景教の教えの真髄を潜めたものだったのです。秦河勝により景教の影響を受けた聖徳太子は、師ともいえる河勝に弥勒菩薩半跏思惟像を授けました。半跏思惟像を賜った河勝は、603年に広隆寺を建立し安置したのです。


    


弥勒菩薩とはメシヤのことであり、聖徳太子が秦河勝に授けた半跏思惟像の象徴的な頬に触れる指の形は、キリスト教の三位一体を示す指の形なのです。
 
下の左の画像は東ローマ帝国時代のアヤソフィアの壁画であり、右の画像はモスクワ国立歴史博物館所蔵のイコン「パントクラトールのキリスト」です。指の形が神様の三位一体を表すものとなっているのです。

 


聖徳太子は自分でも深い意味を知ることもなく、イエス・キリストを証しする聖霊によって行動した人物ということが出来ます。キリスト教ネストリウス派が、景教という名称で唐に広められ、日本においては仏教に潜められる形でしか伝えられなくなった悲しい歴史があるのです。


ネストリウス派の教えでは、キリストの位格は1つではなく、神格と人格との2つの位格に分離されると考えるため、マリアは神様の母ではなく、キリストの母であると主張するものです。この主張が、マリアを神の母とする他の宗派から異端と見られ、ローマを追放されるのです。


イエス様を生んだマリヤを、神様の母として崇めることが無かったがゆえに、異端としてローマを追われました。しかし、神様とイエス様の関係性においてはより正統に近い教えだったと言えます。神様とイエス様の関係性においてより正統であり、母性に対する捉え方もより正統であったといえるのです。この追放された母性に関する、秘められた蕩減復帰の道筋だったのです。イエス様を主体として、対象として立つべき母性を、母国日本において、復活させるべく現れた日本の歴史となるのです。


真のお父様は2011年1月に為された朝の訓読会で、「日本の歴史を紐解きなさい」と語られました。真のお父様が語りたくても語れなかった、日本の歴史において、母国として育まれた歴史過程を全てご存じだったのです。



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