愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

真のお父様と日本食口の切っても切れない父子の関係は、底知れないほど深い絆で結ばれている!

先回記事末部より


聖徳太子は自分でも深い意味を知ることもなく、イエス・キリストを証しする聖霊によって行動した人物ということが出来ます。キリスト教ネストリウス派が、景教という名称で唐に広められ、日本においては仏教に潜められる形でしか伝えられなくなった悲しい歴史があるのです。


ネストリウス派の教えでは、キリストの位格は1つではなく、神格と人格との2つの位格に分離されると考えるため、マリアは神様の母ではなく、キリストの母であると主張するものです。この主張が、マリアを神の母とする他の宗派から異端と見られ、ローマを追放されるのです。


イエス様を生んだマリヤを、神様の母として崇めることが無かったがゆえに、異端としてローマを追われました。しかし、神様とイエス様の関係性においては正統な教えだったと言えます。神様とイエス様の関係性においてより正統であり、母性に対する捉え方もより正統であったといえるのです。この追放された母性に関する、秘められた蕩減復帰の道筋だったのです。イエス様を主体として、対象として立つべき母性を、母国日本において、復活させるべく現れた日本の歴史となるのです。


真のお父様は2011年1月に為された朝の訓読会で、「日本の歴史を紐解きなさい」と語られました。真のお父様が語りたくても語れなかった、日本の歴史において、母国として育まれた歴史過程を全てご存じだったのです。


  *****


私ははっきりと、真のお父様のそのみ言を心に刻みました。


「日本の歴史を紐解きなさい」


お父様はそう語られた後に、徳川家康西郷隆盛の名前を挙げたのです。2011年1月に「朝の訓読会」として配信された動画を、私は当時、教会の総務係としてダビングしながら聞いたのです。



その当時において私は、徳川家康が我知らずに蕩減条件を立て、神様と日本が相対基準を結べるようにした人物である事は掴んでいました。聖徳太子の血筋になる蘇我氏に代わり、権力を握った藤原一族の支配によって、日本の歴史的事象はサタンに主管されて展開されるようになっていました。その日本の歴史的事象を、逆転させた人物だったのです。


その徳川家康が立てた外的な歴史的基盤の上に、神様に使命を託された人物として登場し、プロテスタントのキリスト教徒となった人物こそ、西郷隆盛でした。日本人は八百万の神を信じる「二本人」だと、真のお父様は語っていましたが、西回りのキリスト教と東回りのキリスト教が結実した「一本人」が現れていたのです。それをご存知の上で、日本が条件を失っていたがゆえに、真のお父様は日本人を「二本人」としてしか表現することが出来なかったのです。


イエス・キリストが十字架に架けられ、その復活によって、回心した十二弟子たちから世界伝道が出発します。「霊的真の父母を迎える為の基台」を世界的に拡大していく為の神様の摂理です。


その出発として、イスラエルを属国としていたローマ帝国において、キリスト教徒は激しい迫害を受けます。しかし、イエス様を慕うキリスト教徒たちは、自らの生命よりも神様への愛と信仰を重んじ、イエス様と同じ十字架に架けられる道を感謝と喜びで受けました。その信仰は、聖霊がキリストを証しできる条件となり、迫害を受けながらも信徒は増えて、ついに313年に公認され、392年にはローマ帝国の国教となるのです。


313年のキリスト教公認後から、教義を確立するにおいて、幾度となく各宗派が集まっての公会議が開かれました。325年開催の第1ニカイア公会議において、アレクサンドリアの輔祭(後に総主教)アタナシオスが提唱した説がニカイア信条として採択されたのです。その説とは、「御父(父なる神)と御子(子なる神)は同質(同一本質とも)である」と主張するものでした、これがニカイア信条に採択され、後の三位一体論の形成に寄与することになるのです。


その後、381年に第1コンスタンティノープル公会議で、聖霊の神性が認められました。神は父と子と聖霊なる三つの位格(ペルソナ)を持ち、父なる神と子なるイエスと聖霊とは各々完全に神であるとされました。しかし、三つの神があるのではなく、存在するのは一つの実体、一つの神である、とされました。これが三位一体説であり、キリスト教会の現在に至る基本的な正統の教理とされるようになったのです。


ところが、「431年のエフェソス公会議」において、イエス・キリストの母マリアの位相について争われることになりました。


アレクサンドリアの総主教となったアタナシオスは、マリアをロゴス(神の御言)の母と称していました。つまり、マリアは神の位格のひとつロゴス(子なる神、神子)の母であるとの意味です。これに対して、コンスタンディヌーポリ総主教のネストリオスは、この称号を否定して人的位格を生んだクリストトコス(救世主)を産む者という新たな称号を提唱し、聖人ではあるが「神の母」ではないと主張したのです。この争いを調停するため、エフェソス公会議が召集され、ネストリオスの教義は異端と宣告され、マリアが「無原罪の『神の母』」であることが宣言されたのです。そして、ネストリウス派は異端として、ローマを追放されることになるのです。


ローマ・カトリック教会は、1931年エフェソス公会議1500周年に際し、教皇ピウス11世により1月1日を「神の母」の祝日と制定しました。


西回りで世界に伝搬されることになる、カトリック教会を中心としたキリスト教は、「無原罪の『神の母』」を掲げて、教会に所属することによって救われるというサタン的な組織信仰を築き上げて行くのです。再臨主を受け入れなかったキリスト教に代わって、お父様によって創設された統一教会・家庭連合の背負った蕩減は、キリスト教形成の初期の段階にあったのです。だからこそ、統一教会分裂の根は、恐ろしいほど深いのです。互いを批判し合っても、何も解決しないのです。


そこで、異端としてローマから追放された、ネストリウス派の辿った東回り伝道の道筋です。ここにこそ、サタン屈服路程の秘策があった事が、真のお父様の「日本の歴史を紐解きなさい」というみ言の奥に隠されていたのです。日本民族の心情形成の根っこに秘められた、神様の極秘戦略があったということです。サタンに気付かれぬように、それは秘めなければならない神様の摂理だったのです。


西回りのキリスト教は、ルターによる宗教改革により、新たに「プロテスタント」として聖書本来の教義に帰りました。その逆の東回りを辿ったキリスト教ネストリウス派は、中国では景教と呼ばれ、日本では仏教の影に潜み、まったくその正体を消し去って、日本民族の心情の奥底に染み入って行く道を辿ったのです。その西回りの新たなキリスト教と東回りの消えたキリスト教が結実した人物こそ、西郷隆盛だったのです。しかし日本は、西郷隆盛を供え物としてしまったのです。


真のお父様と日本の兄弟姉妹の、切っても切れない父子の関係は、底知れないほど深い絆で結ばれているのです。



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