愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

キリスト教の教義は神を産んだという「無原罪の『神の母』」から出発していることを知るべきです!

先回記事重要部分抜粋引用


イエス・キリストが十字架に架けられ、復活によって、回心した十二弟子たちによって世界伝道が出発します。霊的真の父母を迎える為の基台を世界的に拡大していく為の神様の摂理です。


その出発として、イスラエルを属国としていたローマ帝国において、キリスト教徒は激しい迫害を受けます。しかし、イエス様を慕うキリスト教徒たちは、自らの生命よりも神様への愛と信仰を重んじ、イエス様と同じ十字架に架けられる道を感謝と喜びで受けました。その信仰は、聖霊がキリストを証しできる条件となり、迫害を受けながらも信徒は増えて、ついに313年に公認され、392年にはローマ帝国の国教となるのです。


313年のキリスト教公認後から、教義を確立するにおいて、幾度となく各宗派が集まっての公会議が開かれました。325年開催の第1ニカイア公会議において、アレクサンドリアの輔祭(後に総主教)アタナシオスが提唱した説がニカイア信条として採択されたのです。その説とは、「御父(父なる神)と御子(子なる神)は同質(同一本質とも)である」と主張するものでした、これがニカイア信条に採択され、後の三位一体論の形成に寄与することになるのです。


その後、381年に第1コンスタンティノープル公会議で、聖霊の神性が認められました。神は父と子と聖霊なる三つの位格(ペルソナ)を持ち、父なる神と子なるイエスと聖霊とは各々完全に神であるとされました。しかし、三つの神があるのではなく、存在するのは一つの実体、一つの神である、とされました。これが三位一体説であり、キリスト教会の現在に至る基本的な正統の教理とされるようになったのです。


ところが、「431年のエフェソス公会議」において、イエス・キリストの母マリアの位相について争われることになりました。


アレクサンドリアの総主教となったアタナシオスは、マリアをロゴス(神の御言)の母と称していました。つまり、マリアは神の位格のひとつロゴス(子なる神、神子)の母であるとの意味です。これに対して、コンスタンディヌーポリ総主教のネストリオスは、この称号を否定して人的位格を生んだクリストトコス(救世主)を産む者という新たな称号を提唱し、聖人ではあるが「神の母」ではないと主張したのです。この争いを調停するため、エフェソス公会議が召集され、ネストリオスの教義は異端と宣告され、マリアが「無原罪の『神の母』」であることが宣言されたのです。そして、ネストリウス派は異端として、ローマを追放されることになるのです。


ローマ・カトリック教会は、1931年エフェソス公会議1500周年に際し、教皇ピウス11世により1月1日を「神の母」の祝日と制定した。


西回りで世界に伝搬されることになる、カトリック教会を中心としたキリスト教は、「無原罪の『神の母』」を掲げて、教会に所属することによって救われるというサタン的な組織信仰を築き上げて行くのです。再臨主を受け入れなかったキリスト教に代わって、お父様によって創設された統一教会・家庭連合の背負った蕩減は、キリスト教形成の初期の段階にあったのです。だからこそ、統一教会分裂の根は、恐ろしいほど深いのです。互いを批判し合っても、何も解決しないのです。


そこで、異端としてローマから追放された、ネストリウス派の辿った東回り伝道の道筋です。ここにこそ、サタン屈服路程の秘策があった事が、真のお父様の「日本の歴史を紐解きなさい」というみ言の奥に隠されていたのです。日本民族の心情形成の根っこに秘められた、神様の極秘戦略があったということです。サタンに気付かれぬように、それは秘めなければならない神様の摂理だったのです。


西回りのキリスト教は、ルターによる宗教改革により、新たに「プロテスタント」として聖書本来の教義に帰りました。

  *****


先回記事の重要部分を再度掲載しました。ローマの国教としてのキリスト教の出発点は、「無原罪の『神の母』」の創出から始まっているのです。


私たちが学んできた統一原理の教えでは、イエス様も真のお父様も人間100%であり、無原罪で生まれ、真の愛の人格者として完成し、神様が臨在されるようになるメシヤと受け止めてきました。統一原理の教義からは、「無原罪の『神の母』」というイエス様の母マリアについての位置付けは有り得ない発想です。


「無原罪の『神の母』」が創出されるようになった大きな原因は、三位一体説の論理が、形ばかりの大まかな解釈で、本質的核心が掴めないまま教義となってしまった事にあります。


三位一体説の本質的核心を理解し、体恤している人物は誰かと言えば、三位一体の実体であるイエス様以外にはありません。同様に再臨主である真のお父様にしか、三位一体の本質的核心は語ることが出来ない事なのです。


イエス様が聖婚されて、真の家庭を完成していれば、三位一体については明確な教義の核心理論・本質的思想として位置づけることが出来るはずでした。その三位一体の核心については、イエス様自身で語るものでは無く、アベルの位置に立って、「メシヤを迎える為の基台」を造成する使命を持つ、洗礼ヨハネだったのです。洗礼ヨハネが、イエス・キリストに対して絶対信仰・絶対愛・絶対服従の基準を立て、神様とイエス様と聖霊による三位一体の核心的実相を学び、「キリストの体を着た神様」を発見しなければならなかったのです。その過程を経て、洗礼ヨハネがイスラエル民族に対して、イエス・キリストの三位一体となった実相を証ししていれば、神の国創建に向けて踏み出すことが出来ていたのです。


その洗礼ヨハネがイエス様に対して背信し、十二弟子が裏切り、イエス様が十字架に架けられることによって、イエス様自身が三位一体の真実と真理を地上に表すことが出来なくなってしまったのです。


イエス様の復活によって、十二弟子が回心し、「霊的真の父母を迎える為の基台」が造成されて、キリスト教の道が開かれました。しかし、キリスト教の教義の確立において、サタンの激しい攻撃があった事を、私たちは知らなければなりません。キリスト教が公認され、国教と認定されていく過程で、教義を確立するための公会議が幾度も開催されました。そこで、「霊的真の父母を迎える為の基台」を造成し、聖霊が正しく導くためのカインアベルの摂理が展開されます。アベルキリスト教派とカインキリスト教派に分立され、一体化することによって、神様が願う真実の教義を見出さなければなりませんでした。


その公会議における「431年のエフェソス公会議」では、イエス・キリストの母マリアの位相について争われ、「無原罪の『神の母』」という捉え方が教義として確立されることとなるのです。アベルキリスト教派をカインキリスト教派が牛耳ってしまったとしか、表現しようがありません。その結果、アベルが追放されることとなるのです。そのアベルキリスト教派であるネストリウス派は、東回りで日本を目指す過程で、徹底的なサタンの攻勢に曝されることになるのです。教義抹殺の為の霊的攻勢であり、唐において禁教と言う実体的攻撃を受けざるを得ない立場から、地上から姿を消して仏教に潜み日本に上陸するという戦法を取って行くのです。


再臨主を迎える為の摂理としての西回りのキリスト教は、カイン教派の「無原罪の『神の母』」を掲げて、教会に所属することによって救われるという組織信仰に陥れられ、「偽メシヤを迎える為の基台」の造成としての形態で伝搬されていく事になるのです。



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