愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

真のお父様が今伝えたい事は、どんどん深く本質に入るので早く読み始めてください!

先回記事末部より


「闇が深淵の面にあり、神の霊がの面を動いていた。」
「神の息吹は風のように
海原を包んでいたが、深い海の底は暗やみに覆われていた。」


水や海と表現された存在の、神様からの啓示における真実は、夜の神様の「無の状態」の心情と原力であったということです。その無の状態の心情は、夜の暗闇の状態でした。それで水底の闇であり、深い海の底の闇なのです。その闇の眠り、無の状態から目覚めようとする夜の神様は、対象を求めて思索を始めるのです。神様の霊が、生命が入られたかのごとくに、動き始め働き始めるのです。


「神の息吹は風のように海原を包み・・・」「神の霊が水の面を動いていた」


夜の神様の存在の根本と言える心情と原力が、生命を誕生させる精子の基でした。これだけの説明では、まだ、もやもやしているかもしれません。これからそのことは、第3節の「光あれ」の光の意味するものが分かれば、よりはっきりと明確になっていくのです。


無の状態、夜の暗闇の状態から、愛する対象を求めて、「光あれ」と、夜の神様は叫ぶのです。その光は、夜の神様にとっての光です。


  *****


さて、先回の記事で次のように記述していました。


と表現された存在の、神様からの啓示における真実は、夜の神様の「無の状態」の心情と原力であったということです。その無の状態の心情は、夜の暗闇の状態でした。」


無の状態の心情は、夜の暗闇の状態です。当然、第3節で「光あれ!」と叫んだ光の意味が分かるはずです。この聖句について、多くの方々が、宇宙創造の始まりのビッグバーンに重ね合わせていることと思っています。しかし、神様が叫んだ「光あれ」は、夜の神様の暗闇を照らし出す光の事です。


つまり、「愛する対象よ!現れてくれ!」ということです。


新共同訳1987
1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
1:4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
1:5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。


新改訳1970
1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。
1:4 神はその光をよしと見られた。そして神はこの光とやみとを区別された。
1:5 神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第一日。


口語訳1955
1:3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
1:4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
1:5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。


夜の神様は愛する対象を出現させるために思索を開始し、構想を練ります。しかし、聖句においては「光あれ」と言われた直後に、光が現れたように表現されています。しかし、すぐに現れたのではありません。


創世記第1章では、六日で宇宙が創造されたことになっていますが、原理講論では、これが一日のことではなく、段階的に造られていったことを表し、成長期間を経て完成に至ることを説明しています。故に、一日と表現された実際の期間は、何百万年や何億年、何十億年という歳月になるでしょう。


「光あれ」から「光があった」と結果が現れるまで、神様において千辛万苦を経ているのです。時間が創造される前ですから、表現する言葉がありませんが、気が遠くなるほどの苦心を積み重ねたに違いないのです。お父様のみ言が天聖経にあります。


**天聖経 真の神様 第一章 神様の本体から引用**


四 神様は父であられる 1.神様と人間は父子の関係から引用


神様は完全に投入して愛の対象を創造しました。そのようにしたのは神様も愛の対象が必要だったからです。ところが愛は一人ではできません。どんなに絶対者であっても、その絶対者の前に愛の対象がいてこそ愛することができるので、その愛の対象として人間を造りました。それで人間を造るとき、いい加減に造ったのではありません。聖書にみ言で造ったとありますが、いい加減ではありませんでした。千辛万苦を経て、自分の120パーセント、何百倍を投入して造ったのです。


愛する対象の構想が完成するまで、どれほどの思考を積み重ね悶絶されたことでしょうか。しかし、悶絶するほど苦労しながらも、喜びに満ち溢れた状態であったことは確かです。


そして、「光があった」と表現されていますが、愛する対象である人間にとっての理想世界の構想が完成したことを表しています。それは主体である神様にとっても、愛の喜びの世界です。


「神はその光を見て、良しとされた。」


構想が完成すれば、その構想を実現するために創造に着手しなければなりません。


「神はその光とやみとを分けられた。」


神様本体にあった自存するための原力が、心情の衝動力と一体となって、被造世界を創造するための活動を始めます。神様本体を中心として、活動する神の霊は分立され、神様の愛の対象としての個性真理体を創造し存在させるために、正分合作用の活動を始めるのです。この活動する神の霊こそが、「昼の神様」なのです。


「夜の神様」は、超越的な神様として全ての万物と時空間が創造される前の「無」の状態、夜の暗闇の状態での見えない神様であり、「有」の状態、時空間の創造後の歴史が始まった後の動きの神様、摂理の神様と呼べるその存在が即ち「昼の神様」です。(亨進様のみ言2012.1.29天福宮)


「神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。」


神様は、愛の理想世界実現に向けて働く自らの霊を、「昼の神様」と名付け、無の状態であった神様本体を「夜の神様」と名付けたのです。夜の神様の意志と心情に従って、昼の神様はまず時間を創造し、創造の為の第一日目を向かえるのです。


まだ、読者の方々の思考においては、釈然としていないかもしれません。しかし、日毎に記事が進むほどに、お父様のみ言のパズルが組み合わさり、想像もできなかった夜の神様の愛と心情の世界が広がっていくでしょう。


どのような千辛万苦を経て構想理想を立てられたのか?何がヒントになって男女の性別を発想したのか?何の理由から生殖器を構築したのか?知りたくありませんか。


何の為にそれを理解する必要があるかと言えば、真のお父様が願う本当の四大心情圏を知り、体恤するためです。



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