愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

顕進様の真実の姿、亨進様の真実の姿、郭錠煥氏の自分を捨てきれない哀れ!

先回記事末部より


まったく条件の無くなった統一教会・家庭連合を、真のお父様は亨進様と李妍雅様に託されたのです。亨進様が真の父母の位置を代身できる条件こそ、この祈りの中では「真の父母の勝利的祭壇」と表現されている「第4次アダムの勝利圏というバトン」を1997年9月6日の栄進様亨進様祝福式の時に受け渡されていることです。受け取った当時は「見ることも知ることもできないバトン」でしたが、2007年から翌年にかけての亨進様の日本祝福家庭訪問によって、亨進様の心情世界に「真の再臨主の御姿」として結実したのです。だからこその世界会長就任であり、基元節までの最終段階の摂理を、全て亨進様御夫妻に託されたという事です。


そのような失うことのできない重大事である「真の父母の顕現の相続」を、tomy4509さんは八大教材教本から「真の父母」について学ぶことと解釈したのです。


そして、この「真の父母の顕現の相続」という事の意味と意義が理解できれば、ヨンギさんがブログ記事「天倫と人倫、全てをないがしろにした出来事」で取り上げた郭錠煥氏著作「事必帰正」354〜355ページの引用文が、如何にサタン的視点から書かれたものであるのかが浮かび上がって来るのです。真のお父様が夜の神様と極秘裏に進めてきた本質的摂理を直感できる者でなければ、郭錠煥氏の言葉が放つ強力な匂いにからめとられてしまうのです。


次回記事において、郭錠煥氏の背信と、サタンの僕としての伝道活動を明らかにします。


  *****


まず、ヨンギさんのブログ記事「天倫と人倫、全てをないがしろにした出来事」で取り上げている郭錠煥氏著作「事必帰正」354〜355ページの引用文を掲載します。


  **引用開始**


亨進様はお父様の聖和直後まで、お母様の神格化を先導してきた方です。お母様を 『昼の神』と定義し、『真のお父様と真のお母様の二人の間にはこれ以上の間隔のない聖体となられたため、真のお母様は神様と真のお父様が投影されて見える三位一体の実体です』と褒め称えた方です。


このような亨進様がそれから一年も経たずに、互いに背を向け、僅か2年6カ月後の2015年1月、お母様を非難し始めました。全世界を結ぶインターネットを通して、自らの母であり、お父様の夫人であり、真のお母様であられる方に対して、到底、口にすることのできない言葉まで吐き捨てています。私には理解することのできない姿でした。何がそれほど悔しく、恨めしいのでしょうか?


10年近く、形容しがたい苦痛にあってきた顕進様も静かに耐え、ただただ真のお母様が正しい先例を立ててくださるようにと祈っておられます。真のお母様の位相はそれほどまでに貴いものなのです。ところが、亨進様は自らが被った苦痛がどれほどだからと言って、全世界に向けて、自ら先頭に立って神格化してきたその母に対して、見境いもなく非難するという異常行動に出ることができるのでしょうか。


『万王の王神様解放圏載冠式』を『後継者任命式』として宣伝したことは、極めて自己中心的であり、偽善に満ちた亨進様の姿をそのまま見せる事例でした。亨進様は、王冠を被って入場する神様載冠式行事をインターネットに掲載し『これによって自分は後継者に選ばれた』と執拗に主張しました。お母様と家庭連合指導部の黙認と同調のもとに、この行事を後継者任命式と見せかけて宣伝してきたのです。お父様はこれが『後継者任命式』であるとは一言も言われませんでした。


行事を準備し、進行を任された梁昌植会長もこの事実を証言しています。


事必帰正.354〜355


  **引用終了**


一言、一言、一文字、一文字、その行間からさえ、人間の心を腐敗させる臭気に満ちているので、文節ごとに私の解釈を入れます。


  ***


郭錠煥氏
「亨進様はお父様の聖和直後まで、お母様の神格化を先導してきた方です。お母様を 『昼の神』と定義し、『真のお父様と真のお母様の二人の間にはこれ以上の間隔のない聖体となられたため、真のお母様は神様と真のお父様が投影されて見える三位一体の実体です』と褒め称えた方です。」


シムソン解釈
「お母様を神格化を先導してきた方」と亨進様について指摘し、「お母様を『昼の神』と定義し」と郭錠煥氏は語っていますが、そもそも郭錠煥氏自身が「夜の神様、昼の神様」を理解していません。


2009年3月8日の束草事件と呼ばれるその現場で、お父様は顕進様に公務を降り、お父様の側で「真の父母とアベルカイン」について学ぶように命じました。「真の父母とアベルカイン」と言っても、それまでの原理観による内容とは違ったのです。それまで、真のお父様が語りたくても語る条件が立たなかった、神様本来の「真の父母観」について、歴史上はじめて明らかにしようとしたのです。その本質的核心のみ言こそ「夜の神様、昼の神様」なのです。


この「夜の神様、昼の神様」を理解し実感できるようになって、初めて四大心情圏の本質が理解できるようになるのです。しかし、「夜の神様、昼の神様」のみ言は再臨主の真の御姿、天宙天地人真の父母様の位相と様相を明らかにするものですから、「本質的メシヤを迎える為の基台」が立たなければ公式には語れないものなのです。ですから、栄進様亨進様祝福式において、アベルカインの絶対的信仰が立ったこと、この二人が「第四次アダムの勝利圏というバトン」を受け継いだことを条件として、1997年から翌年1998年に「夜の神様、昼の神様」を語り始めようとされました。しかし、本然のカインの位置に立とうとしていた栄進様が聖和され、アベルカインの条件が崩れたので、語ることができなくなり封印されたのです。それとともに、四大心情圏三大王権の本質的解釈のみ言も封印したのです。


16万人女性修練会で語られたにも関わらず、食口の目に触れなくなっていた四大心情圏三大王権のみ言の記録を発見してしまった顕進様は、自分なりに解釈しまとめ上げてしまいました。


2001年2月25日、顕進様は世界平和青年連合世界会長に就任すると、さっそく青年たちの教育に力を入れます。


4月には米国UTS修練会を開催し、16万人大会で進行を務めた周藤先生に、お父様が語られた「四大心情圏三代王権」の講義を行わせるのです。その後、顕進様は「四大心情圏三代王権」を主として構築した原理的思想として、「定着時代の理想家庭実現の為のパラダイムの転換」を発表するのです。


多くの食口が顕進様の築き上げた思想に感動し、お父様以上の存在として受け止めた方も現れました。しかし、顕進様のパラダイムには、夜の神様と一体となったお父様が存在しません。パラダイムの中心に立つのは、人間メシヤとして強調されてしまったお父様です。ですから、その位置に顕進様も立ててしまうという事になるのです。


お父様は「四大心情圏」の御言を勝手に講義してしまった周藤先生を叱りましたが、顕進様を止めることはされませんでした。真の家庭にサタンが侵入することを、許さざるを得なかったからです。そして、顕進様を止めることなく、摂理の先頭に立たせて用いられたのは、あくまでも顕進様自身が自らに蕩減が背負わされていることに気付き、自ら自身がアベルと一体となる道を選択しなければならなかったからです。


ですから、2009年の束草事件以降に、真のお父様のもとを離れてしまった顕進様も郭錠煥氏も、真のお父様のみ言の結実である「夜の神様、昼の神様」のみ言は全く理解できないのです。真の父母を「神格化」するものとして、永遠に反対するしかないでしょう。まったくおかしな原理観です。神様と一体となってこそ真の父母様なのに、「神格化」していると主張するとは・・・。


真のお母様を『昼の神様』と定義しているのは、神様自身であり真のお父様自身です。定義しているというよりも、神様は真の母が昼の神様の実体と成るように願ったのです。それを亨進様が理解し、実感されたので語られているのです。それも、韓氏オモニが昼の神様の実体になっているわけではありません。真のお父様自身が、韓氏オモニが真の母としての条件を満たしていないにもかかわらず、常に真の母の勝利として段階を経て宣布してきました。何故にそれが可能になり、サタンの讒訴を受けなかったのかと言えば、理解する鍵は2002年1月23日に語られたお父様のみ言です。


先生はそれを知っているので、先生の基準までお母様を引き上げるのです。嫌だと言っても引き上げて、引き上げながら行くのです。その為、荷物を積んだ車の車輪が一つ故障しても、荷物を積んで倒れずに目的地にさえ行けばいいのです。分かりますか?支障があっても、音がしても。音がするからとそれを遮断することはできないのです。
ですから、そのような音がならないように修理して、
代わりにすることができれば代わってすればいいのです。少しでも進むことができるように、仮面劇をして行かなければならないのです。ですから、絶対に引っかかってはならないというのです。お母様はそのようなことがよく分かりません。先生が耐えて超えるのです。ですから、今、二つの峠しか残っていません。それをお母様は分かっていない。それが何であるか分からない。(み言資料:み言選集367巻 - 263ページ 2002.1.23.ハワイキングガーデン)


仮面劇は誤訳で、ただの劇という表現だと批判もありましたが、仮面劇でも仮面の無い劇でも意味は同じ事です。中身がなくても役回りを演じさせるということです。それが可能になるのは、16万人女性修練会において、真のお父様は女性たちに「本妻の真の母と、妾の日本祝福婦人たちは一体である。」と語られているからです。たとえ本妻の真の母が不足だとしても、妾達が立てた「真の母」としての勝利圏を条件として、韓氏オモニを真の母として立てて置くことが可能になるのです。


このことこそ、三人目のアダムとして最終メシヤである真のお父様が、絶対的に失えない真の母完成のための摂理を勝利するために、進められたギリギリの戦略なのです。


2008年4月16日に亨進様御夫妻が、真の父母の代身となってからは、韓氏オモニに代わって李妍雅様が真の母としての完成基準を立てておられたのです。その条件ゆえに、亨進様は韓氏オモニを真の母として証しすることが出来たのです。


  ***


郭錠煥氏
「このような亨進様がそれから一年も経たずに、互いに背を向け、僅か2年6カ月後の2015年1月、お母様を非難し始めました。全世界を結ぶインターネットを通して、自らの母であり、お父様の夫人であり、真のお母様であられる方に対して、到底、口にすることのできない言葉まで吐き捨てています。私には理解することのできない姿でした。何がそれほど悔しく、恨めしいのでしょうか? 」


シムソン解釈
「互いに背を向け」とは、実の息子としての心情をまったく考慮できない郭錠煥氏の見方です。亨進様は基元節まで、韓氏オモニを真の母として証ししました。それは基元節が、韓氏オモニにとって真のお父様を証しできるかの、結論が明らかになる場だからです。その時に自分を、真のお父様の対象的存在として、完全相対の立場で証しできる一点を目指して、亨進様は国進様と共に韓氏オモニを回心させようと努力したのです。公的には真の母として証ししましたが、私的な場では韓氏オモニが真の母として立てるように導き続けたのです。


真のお父様もそのようにして来られました。しかし、完全なる堕落が明らかになったならば、それは天地に向けて明らかにしなければなりません。基元節において、韓氏オモニは自らを主体として立ててしまったのです。


顕進様に対しても、郭錠煥氏に対しても同様です。韓氏オモニは亨進様にとっては実の母ですが、立っている位置は人類の真の母です。実の母としては許しても、真の母としての位置には立てておく事は出来ないのです。なぜなら、偽りの人類の母として、サタンを中心とするミクロコスモスを形成し、マクロコスモスである現実世界を動かし始めるからです。悔しいとか、恨めしいとか、そんな感情がどこから出てくるというのでしょうか。郭錠煥氏の実感世界から出てきた表現でしょう。


  ***


郭錠煥氏
「10年近く、形容しがたい苦痛にあってきた顕進様も静かに耐え、ただただ真のお母様が正しい先例を立ててくださるようにと祈っておられます。真のお母様の位相はそれほどまでに貴いものなのです。ところが、亨進様は自らが被った苦痛がどれほどだからと言って、全世界に向けて、自ら先頭に立って神格化してきたその母に対して、見境いもなく非難するという異常行動に出ることができるのでしょうか。」


シムソン解釈
「10年近く、形容しがたい苦痛にあってきた顕進様も静かに耐え・・・」


世界副会長として背負った蕩減に耐え切れずに、自ら出て行ったのに何というごまかしの表現でしょうか。その蕩減を越えられるように、真のお父様は2009年3月8日束草で顕進様に手を差し伸べようとしました。アベルカインを勝利できるように、本然のカインアベルとはいかなるものかを、真のお父様自らが教えて下さろうとしたのに、それを振り払ってまで蕩減する事を拒否したのです。「静かに耐え・・・」とは何のことでしょうか。神様と共にあるお父様を拒否し、違うところにいる神様を探し始めてしまったのです。自分を認めてくれる神様を探し出してしまったのです。神様と真のお父様の真の愛に対して、人類史上最大の冒涜の叫びを上げながら、何が「静かに耐え・・・」というのでしょうか。


「見境もなく」とは、このような顕進様に対して投げかけられる言葉です。亨進様は非難しているのではなく、サタンを分別するために叫ばざるを得ないのです。


  ***


郭錠煥氏
行事を準備し、進行を任された梁昌植会長もこの事実を証言しています。


シムソン解釈
亨進様は儀式やお父様のみ言のみで、代身者・後継者・相続者となったのではありません。全ての祝福家庭、全ての食口が「裏切り者」となる中で、夜の神様と真のお父様が極秘裏に進めてこられた戦略に乗って、我知らずに神様の願いを実現してきたのです。真のお父様からいただいた「第4次アダムの勝利圏というバトン」を、日本祝福家庭を通して「第4次アダムとしての真の再臨主の御姿」として自らの心情の動機の核心に確立されたのです。その上で、2008年4月に世界会長になって以降、原理講論に次のようにあるごとくに行動されて来たのです。


「このような人間は、神の心情を体恤し、神のみ旨が完全に分かって、実践するようになるので、あたかも、頭脳が、命令ならざる命令で四肢五体を動かすように、人間も、神の、命令ならざる命令により、神のみ旨のとおりに動いて、創造目的を成し遂げていくようになるのである。」


私たちが堕落性を拭い去れない視点から、亨進様を判断して来たので、為されることの本質が見えないままに来てしまったのです。



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