愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

真のお父様が永遠に統一教会の門の前に足も踏み入れさせないと宣言した相手は誰?

先回記事末部より


その為に、顕進様に命じた事が、「一年間、公職を下り、真のお父様の側で真の父母とアベルカインについて学びなさい」という事だったのです。


ですから、この時こそ、1998年7月19日顕進様世界副会長就任式で、お父様が顕進様に対して語られた「供え物」となるべき時だったのです。


真のお父様は「真の父母とアベルカインについて学びなさい」と命じましたが、それまで理解されてきた「真の父母」ではなく、「アベルカイン」でもありません。2010年1月1日「第43回真の神の日」の祝祷で、真のお父様は「天におられる神様とこれまで地上にいた三位神が一体となり」と祈られました。この「地上にいた三位神」と表現された存在としての「真の父母」のことであり、本然のカインアベルのことです。


「地上にいた三位神」とは、「夜の神様、昼の神様」が正しく理解されない限り、意味が分からないでしょう。しかし、これが理解できなければ「四大心情圏三大王権」を成就する道が開かれないのです。


真のお父様が再臨主としての主管権を取り戻し、亨進様・国進様・顕進様を心情一体として、韓氏オモニと幹部たちをも自らの愛の主管のもとに取り戻すために、取らざるを得なかった僕の僕の位置に立っての真の愛の戦法であったのです。


顕進様はお父様の命を受け入れられずに、いったん会場を出ましたが、その後、悔い改めて会場に戻り謝罪した上で、お父様の命を受け入れることを表明しました。


そこで真のお父様は、受け入れた顕進様の位置を立てて、安心なされた上で本音のみ言を語られます。


そこには、恐ろしいほどのみ言があるのです。一端はお父様の命を受け入れながら、反逆してしまった顕進様の未来を、決定付ける再臨主の恐るべきみ言です。


それは次回の記事で・・・。


  *****


顕進様は真のお父様の命を受け入れられずに、会場を出てしまいましたが、ほどなく悔い改めて謝罪し、幹部たちや食口たちの面前で、真のお父様の命に従う事を公表されました。


それで、真のお父様は安心されて、顕進様がお父様の命に反した道を進んだならば、どのような道になるのかを語っています。


束草事件の翌日、2009年3月9日のお父様のみ言を、文鮮明先生御言葉選集から引用します。


  **引用開始**


昨日、私が束草で会わなければならないことを約束して解決しておいたのです。顯進がどこへ行ったの? 来た? 「来ませんでした。(お母様)」 顯進が出ていったのを呼び入れましたが、父の言葉を立ててくれたことをありがたく思います。


その場で自分がこのような団体に会わない(意訳すると「団体で働かない」)と言って出て行きましたが、呼び入れて自分が言ったことが間違いであったと、現場で解けと言いました。それでも父の言葉に従おうとしました。体面に関わらず、全ての人たち、公的な会合で父母様と約束して会った人々の前で間違ったと言って拍手で歓迎して座らせました。(609-151 2009.3.9)


見てください(意訳:考えてみなさい) 相反することをここにいる人々が会って評価するなというのです。評価する人々が責任持たなければいけません。先生を通して行く道を皆解決したのにそれを否定すればどうなるのですか?それを否定するという人が悪いですが、そこに答えて応じてあげる人も先生が決定したことを否定する立場に立つので二つとも除去されなければならないのです。


そのように純理的な環境を通して作って置いたので、逆理的な環境基準が二つ(二人?)にあれば二つとも処断してしまわなければなりません。 永遠に統一教会の門の前に足も踏み入れられないようにしなければいけませんが、その場まで行かずに皆善意の拍手をしたのです。顯進が踵を返す時拍手で歓迎する立場に立って、私が出て行く時呼び止めて手をつないで挨拶させて出て来たのです。


ですから皆さんに会う必要がないためにここに集まれと言いました。皆さんのなかで残念な思いがあれば(意訳:残念な思いを持っている人がいれば)、私にきて話せというのです。顯進とアボジの問題は問題になりません。そのような問題は我々にあり得ないので、根本がそうなる道を行かないことができるように全てしたというのです。(609-152 2009.3.9)


  **引用終了**


「先生を通して行く道を皆解決した」

と語られ、


「そのように純理的な環境を通して作って置いたので、逆理的な環境基準が二つ(二人?)にあれば二つとも処断してしまわなければなりません。」


「純理的な環境」さらに、その後に語られる「逆理的な環境基準」とは、どのような環境でしょうか。


先回記事で次のように表現していました。


「真のお父様が再臨主としての主管権を取り戻し、亨進様・国進様・顕進様を心情一体として、韓氏オモニと幹部たちをも自らの愛の主管のもとに取り戻すために、取らざるを得なかった僕の僕の位置に立っての真の愛の戦法であったのです。」


「純理的な環境」とは、韓氏オモニや教権勢力が真のお父様を主管してしまっている状況から、真のお父様が主管圏を取り戻すことを意味しています。それは、顕進様が真のお父様の命を受け入れることを通して果たされるのです。


「逆理的な環境」とは、真のお父様を韓氏オモニや教権勢力が逆主管している環境であり、また顕進様とそれを支持する人々が真のお父様に背信してしまう環境のことです。その前のみ言で、「相反することをここにいる人々が会って評価するなというのです。評価する人々が責任持たなければいけません。」と語られています。そのことからすると、お父様に背信した場合の顕進様と、その顕進様を支持する人たちのことを指している事は間違いないでしょう。


顕進様が真のお父様の命に従うと公表したので、真のお父様は、もし命に従わなかったならば、背信した顕進様と、それを支持する者たちが、どのような道を行かなければならないかを語ってしまわれたのです。よもや、この上で、顕進様が再び背信するなどとは、考える事も出来なかったという事です。


背信した顕進様の未来は、「永遠に統一教会の門の前に足も踏み入れられないようにしなければいけません」という事になるのです。


それだけ、この束草で、真のお父様が行おうとした逆転の為の摂理が重要であったという事です。この場で、真のお父様の基元節前の聖和が、決定的になったと言わざるを得ないような重要摂理であったという事です。


考えてみて下さい。顕進様が真のお父様の命に従い、亨進様・国進様・顕進様が心情一体となって天一国創建に臨んだならば、韓氏オモニや教権勢力が反抗することなど不可能なのです。


顕進様が真のお父様の命に従ったならば、亨進様・国進様・顕進様が本然のカインアベル一体となり、盤石で永遠な四大心情圏三大王権が成就されたはずだったのです。



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