愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

1月13日記事の修正!まず、私たちの霊人体がほとんど成長していないままだという事を悟る事です!

私たちの霊人体は神様から来る生素と、肉体から来る生力要素の授受作用によって成長します。この神様から来る生素は、これまで神様のみ言と愛だと学んできました。私は「生素」が実際的に何を意味するのかを知らなければ、吸収する事が出来ないと思っています。これまでの統一原理の講義では、「生素」について明確に出来ていないので、ほとんどの統一食口は霊人体が成長できずにいると感じています。とくに幹部と言われる方々や、原理を教えてきた講師の方々が理解できないまま教えているという事は恐ろしい事です。


この生素を理解する為に、とても重要になる事が、万物と被造世界に対する捉え方だと私は思っています。「宇宙と地球は、人間を霊界に産み出すための、昼の神様における胎である。」このように捉えられるようになることこそ、私たちが家庭における四大心情圏を成就するための重要な心情の土台作りとなるものだと考えているのです。


そこで、先回の記事では「物質世界が人間の最初の父母」という意味の内容を、真のお父様のみ言として引用してしまいました。次の文章です。


・・・「私」は、「三大父母」を通して生まれました。最初は物質世界の父母です。自分は、物質の世界からすべての要素を受け継いで、物質の中心として、物質の複含的な存在として造られました。このような観点から、その物質の元素自体が「私」を生んでくれた先祖でもあり、また自分の延長が物質世界でもあります。・・・


この文章は、真のお父様のものではなく、韓鶴子氏が「真の母」の位置に立って、母国日本の失敗を蕩減復帰するために世界80ヶ国巡回講演を為され、『人間の行くべき生涯路程』と題して語られたものでした。1999年2月7日に3億6千万双祝福を日本で挙行しなければなりませんでしたが、真のお父様を日本に迎える事ができずに、韓国で挙行されました。その蕩減として行われた世界巡回講演でした。真の母の役割から語ったみ言としては、間違っていないものですが、後に不純な動機から改竄した赤天聖経に載せられた文章となってしまったので、先回の記事から削除しました。


そこで、真のお父様の天聖経に永遠のみ言として記された内容から、「宇宙と地球は、人間を霊界に産み出すための、昼の神様における胎である。」という事を理解していただけるように、先回記事を修正して再度公開します。


  *****


三回前記事末部より


夜の神様自身は「真の父」となるアダムと一体となり、愛の主管主として人類の中心であるとともに、被造世界の中心として立つようになります。その夜の神様から発動される聖霊は、「真の母」が「真の父」を主体として立てて侍り支えるように、対象としての存在として被造世界に全面的に働きかけるのです。


そしてアダムとエバが祝福され、宇宙の本源と真のお父様が表現されたエバの生殖器が、神様のものであるアダムの生殖器を迎え入れる時に神様も完成します。神様が完成した状態から発せられる聖霊の働きこそ、私たちの心霊を成長させ、一人一人に神様が臨在したと同様の状態を創り出す生素の源泉となるのです。いよいよ次の記事で説明します。


  *****


私たち人間は、夜の神様を存在させている存在原理を応用展開した創造原理をもって創造され、構想理想通りにプログラムされた原理軌道によって生存するように創造されました。創造原理は昼の神様にプログラムされたものであり、そのプログラムは昼の神様の実体としての真の父母の完成を目指します。その創造原理のプログラムを遂行するために働く、神様から発動される心情エネルギーを旧約聖書では「神の霊」と呼びました。


三回前の1月9日の記事で説明したように、人類始祖アダムとエバが誕生し成長することによって、二人と授受作用した神様から発動される「神の霊」は、女性性相を主体とした「聖霊」として働くようになって行きます。


原理講論「第三節 愛の力と原理の力および信仰のための戒め/(一) 愛の力と原理の力から見た堕落」より引用します。


  **引用開始**


 人間は原理をもって創造され、原理軌道によって生存するように創造された。それゆえに、原理の力それ自体が、人間を原理軌道より脱線させ、堕落せしめることはあり得ないのである。これはあたかも、レールや機関車に故障がない限り、汽車が自ら軌道を脱線するということがあり得ないのと同様である。しかし、汽車も自らの走る力よりも強い、ある外力が、それと異なる方向から働いてきた場合には、脱線するほかはない。これと同じように、人間も、それ自身を成長させる原理の力よりも強い、ある力がそれと異なる目的をもってぶつかってくれば、堕落する以外にはないのである。この原理の力よりも強い力が、すなわち、愛の力なのである。それゆえに、未完成期における人間は、その非原理的な愛の力のために堕落する可能性があったのである。
 それでは、神はなぜこのように原理の力よりも愛の力を強くして、未完成期における人間が、目的の違った愛の力にぶつかるとき、それによって堕落することもあり得るように創造されたのであろうか。
 創造原理によれば、神の愛とは三対象の愛によって、三対象目的を完成した、四位基台の主体的な愛をいう。したがって、神の愛がなければ、人間創造の目的である四位基台が成就されないために、愛は人間の幸福と命の源泉なのである。神は原理によって創造された人間を、愛によって主管しなければならないので、その愛が愛らしく存在するためには、愛の力は、あくまでも、原理の力以上に強いものでなければならない。もし、愛の力が原理の力よりも弱いものであるとすれば、神は原理で創造された人間を、愛をもって主管できず、したがって、人間は神の愛よりも原理をより一層追求するようになるであろう。イエスが弟子たちを真理によって立たしめ、愛をもって救おうとされた理由は、正にここにあったのである。


 **引用終了**


人類始祖が誕生するまでの被造世界の創造過程において、被造世界の全ての象徴的個性真理体は、神性格主体としての神様の、愛によって主管されたプログラムの原理軌道によって創造されます。「神の霊」と呼ばれる昼の神様の働きは、プログラムされた被造世界完成の為の原理軌道となって、全ての万物の生存と完成の為に時空間に敷かれるものとなるのです。


その万物を象徴的個性真理体として生存させるために一体化して構成している細胞は、人類始祖の生殖器の完成を目指していることによって存在価値があるのです。


天聖経より抜粋引用します。


  **引用開始**


天聖経 宇宙の根本 第2章 人間創造と愛の理想の完成 2) 生殖器は三大本宮、天の至聖所


全万物世界の最終の理想的な吸収の終着点がどこかといえば、男性と女性の生殖器だというのです。それは事実です。なぜですか。どうしてですか。神様の愛と人間の愛と宇宙の愛が結合するのです。愛と生命が一つになる位置が、その場です。
 そして、血統を通じて縦的に子孫が 連結する位置がその場です。そのように縦的に引き継がれて、横的に数え切れないほど多くの民族が連結されるのです。それによって地上天国が形成されるというのです。そのような価値をもつのが生殖器です。どれほど重要ですか。(89-129,1995.4.9)


男性、女性の愛の器官の細胞が最も精密です。心と体が一つになり、すべての愛の道が通じるその細胞の感情、その世界に元素としてどのように入っていくのかということが、万物、被造世界の目的だというのです。では、男性と女性が統一されるところとはどこですか。生殖器です。そこでは、直接、男性と女性が一つになり、神様と一つになり得るところです。堕落したために、それが最も悪いものになりました が、本来は限りなく神聖なものです。男性と女性がその門を開けた時、世界が開き、門が閉まれば世界が閉められて、それが幸福な時、世界が幸福であり全宇宙が幸福なのです。

神様の息子になろうとすれば、その器官を通じて一つになった、その場から生まれなければなりません。その場でなければ、神様の息子、娘がどこから生まれますか。
それゆえに、男性と女性が愛する時はもちろん、すべての細胞の願いが生殖器の細胞になることなのですが、愛の場所に入っていくようになれば全身が同感するのです。体全体が一つになるのです。(248-55,1993.6.20)


  **引用終了**


「全万物世界の最終の理想的な吸収の終着点がどこかといえば、男性と女性の生殖器だというのです。」「男性、女性の愛の器官の細胞が最も精密です。心と体が一つになり、すべての愛の道が通じるその細胞の感情、その世界に元素としてどのように入っていくのかということが、万物、被造世界の目的だというのです。」以上のように語られています。そこで、万物と被造世界の目的は男性と女性の愛の器官の完成を目指しているという事になります。そこでお父様は、「この世に生まれた人間は、胎児期のお母さんのおなかの中に比喩される宇宙で、生を生きているのです。」と語られるのです。


天聖経より抜粋引用します。


  **引用開始**


真の家庭 第4章愛を中心とした人生行路 7)3時代を行く人生行路


人は、なぜ生まれたのでしょうか。愛のために生まれました。ですから、真なる父母の愛に根を張り、お母さんとお父さんの保護と愛の懐である腹中で育ち、20歳まで分別なく父母から大切に育てられ、汚い物でもそれを忘れ、すべてを喜んで消化できる愛の中で成長してから、愛の相対者に出会い、互いのために天理の愛に接ぎ木されなければなりません。そのような人生の過程を歩みながら、神様の愛がどのようなものかを体験すれば、神様の対象愛の実体圏が完成するので、息子、娘を生んで愛するようになるのです。


この世に生まれた人間は、胎児期のお母さんのおなかの中に比喩される宇宙で、生を生きているのです。一言で言って、お母さんの懐のような宇宙で、人間の百年の生涯を生きているのです。胎児がお母さんのおなかの外にある人間の世界を知らなかったように、今日、地上世界で生きている人間は、死後の無形実体世界に対する実在が分からずにいるのです。


  **引用終了**


胎児は母親とへその緒で繋がり、全ての栄養素を供給されています。そこから地上界に生まれ出ますが、その地上界は霊界に霊人体が生まれる為の、胎の役割をしているというのです。母親の胎内では地上界で生きるための肉体を準備するわけですが、胎のような役割をする宇宙では、へその緒の役割をするのは何なのかという事です。もちろん、霊界に生まれる霊人体を成長させるのですから、「生素」をどのように吸収するのかという事になります。そこで、真のお父様の次のみ言に真意を読み取れるようになるのです。


「全万物世界の最終の理想的な吸収の終着点がどこかといえば、男性と女性の生殖器だというのです。」 


最終の理想的な吸収の終着点とは、被造世界に現れた神様の愛を生素として吸収して行けば、夫婦互いの生殖器に結実するという事です。真の愛として結実するという事です。しかし、あくまでも万物、被造世界から来る「生素」は四大心情圏が成就されていく為の土台づくりと言えるものでしょう。


被造世界を構成する万物を存在させるための原子・分子においても同様です。全ての存在は、神様の愛の現れとしての働きであり、私たち一人一人と肉的五感・霊的五感によって授受作用している存在なのです。その自覚が無ければ、被造世界の象徴的個性真理体の全てが、神様の愛の現れとなっているその本質を、「生素」として吸収できていないという事です。


でも、その「生素」はまだ、人類始祖誕生以前においては、人間の最初の父母である物質世界に現れた、たった一人の孤独な神様から来る「生素」です。このことをまず頭に入れておいて、人類始祖が誕生して以降、アダムとエバと授受作用することによって、どのような「生素」に変わっていくのかを知らなければならないのです。


次回の記事で・・・。


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