愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

「筋金入りの馬鹿」と言う、本質で裏返せば最高の賛美をいただいた記事の続きを読んで下さい!

先々回記事掲載の質問部分から・・・。


「(一つから)夜の神様と昼の神様が分かれた」「夜昼の神様は結婚する」といったみ言からは「正分合作用」「四位基台」が説明されなければなりません。


まず、夜の神様から昼の神様が、どのような経緯を経て分かれたかを理解して行きましょう。この記事では夜の神様から、愛し合う対象を創造する為の原力が発動されるところまでとなります。


神様本体(夜の神様)から永遠普遍の新生体として、昼の神様が現出するようになる具体的説明の前段階ということになります。


神様本体は創造が始まる前は、たった一人で全知全能・絶対者・完全和合の統一体として存在していました。たった1人という概念も無く、時空間も無く、自らの内的本性相である知情意と外的本性相の法則や数理性において、本形状の前エネルギーと授受作用し、完全調和・完全和合において、存在自体が神様本体の根本となっている心情の喜びとなっている状態でした。

この図を先回記事の最後に上げたところ、tomy4509さんから「神様を正として分(主体と対象)、そして、合成体です。」とコメントをいただきました。この図は神様本体自体内で作用している正分合作用を現しています。四位基台の「神を中心として」という四位基台の頂点の所に「神」と記していないので、説明がおかしなものとなると思われたのでしょうか。これは神様本体自体内の正分合作用です。神様の心情を中心とする時は、合性体・中和体となり、神様の目的を中心とする時は新生体が生じると統一思想にありますが、この図は神様の根本である心情を中心として合成一体化している神様本体そのものを図にしたものです。


統一思想から抜粋引用します。


  **引用開始**


第一章 原相論 : 二 原相の構造(一)授受作用と四位基台(1)性相と形状の授受作用


性相と形状の相互関係
神様の性相(本性相)と形状(本形状)の間にも、この原則によって授受作用が行われています。すなわち性相と形状は共通要素(心情または創造目的)を中心として相対関係を結び、相対基準を造成して授受作用を持続しているのです。性相が形状に与えるのは観念的なものと心情的なものであり、形状が性相に与えるのはエネルギー的要素(前エネルギー)です。このような性相と形状の授受作用によって、神様の属性は中和体(合性体)を成しているか、被造物(新生体)を生じるようになっているのです。


性相と形状の授受作用とは何か
原相において、性相と形状が相対関係を結べば、授受作用が行われますが、すでに述べてきたように、そのとき、必ず一定の共通要素が中心となって相対基準が造成されなければなりません。神様において、中心となる共通要素は心情またはその心情を土台とした創造目的です。そして授受作用を行えば、必ず一定の結果を得るようになります。そのように性相と形状の授受作用には必ず一定の中心と一定の結果が伴うのです。心情が中心のとき、結果として合性体または統一体が現れ目的が中心のとき、結果として新生体または繁殖体が現れるのです。ここで合性体とは一つに統一された形態をいい、新生体とは創造された万物(人間を含む)をいいます。したがって原相において、新生体の出現は万物の創造を意味するのです。


  **引用終了**


統一思想は李相軒先生が執筆され1989年に発刊されましたが、その頃は「夜の神様、昼の神様」のみ言は語られていませんでした。しかし、統一思想から引用した部分に、「夜の神様、昼の神様」を理解する重要な説明があり、そこからまた「神の霊」と「聖霊」、そして「生素」を正しく知るためのポイントとなる内容があります。また、愛と心情の関係、愛と授受作用の関係を深く理解できるでしょう。


まだ、真のお父様が「夜の神様、昼の神様」について語っておられない時代に、李相軒先生は統一思想の原相論において、夜の神様の無の暗闇の状態を次のように説明していました。


「性相が形状に与えるのは観念的なものと心情的なものであり、形状が性相に与えるのはエネルギー的要素(前エネルギー)です。」


神様本体が夜の神様として一人であられた状態では、神の性相の最も核心となる心情を中心として授受作用し完全和合した合性体として存在していました。その時の形状として現れるエネルギー要素は、神様自体を存在させているエネルギーでした。それはまだ、エネルギーとして活動展開できるようになる前の、「前エネルギー」だというのです。真のお父様は、その状態の神様には愛が無かったというみ言があります。


天聖経に次のみ言があるのです。


第二章 神様と創造の役事 : 二 人間を創造された目的 : 2.愛と生命の核心をすべて投入
「愛について語るとき、神様にそのようなものはありません。神様が造られた創造物にはありますが、神様にはそのようなものはありません。あったとしても心の中に内的にあるのであり、形として表れることはありません。それで何をするのでしょうか。それが誰にあるのかというと、人間であるアダムにあり、エバにあります。ですから神様よりも、もっと貴いものを人間がもっているということを知らなければなりません。」


真のお父様は神様には愛が無いと語っています。あったとしても心の中の内的な愛だというのです。その「心の中の内的な愛」を統一思想では「前エネルギー」と表現しています。


第一章 原相論 : 一 原相の内容 : (二) 神性(1)心情
心情と原力

最後に心情と原力について説明されています。宇宙万物はいったん創造されたのちにも、絶えず神様から一定の力を受けています。被造物はこの力を受けて個体間においても力を授受しています。前者は縦的な力であり、後者は横的な力です。統一思想では前者を原力といい、後者を万有原力といいます。
ところでこの原力も、実は原相内の授受作用、すなわち性相と形状の授受作用によって形成された新生体なのです。具体的に言えば、性相内の心情の衝動力と形状内の
前エネルギー(Pre-Energy)との授受作用によって形成された新しい力が原力(Prime Force)なのです。その力が、万物に作用して、横的な万有原力(Universal Prime Force)として現れて、万物相互間の授受作用を起こすのです。したがって万有原力は神様の原力の延長なのです。
万有原力が心情の衝動力と
前エネルギーによって形成された原力の延長であるということは、宇宙内の万物相互間には、物理学的な力のみならず愛の力も作用していることを意味するのです。


たった一人でおられた神様が、自存するための前エネルギーに対して、自分を存在させている愛なのだという概念が生じた時、自分は愛から生まれたと実感するのです。そして愛する対象を得たいという爆発的な心情の衝動力を得るのです。その爆発的な衝動力は、それまでには無かった新しい力である原力となり、創造を展開し、万有原力となって被造世界を創造していくようになるのです。


その原力は法則性と数理性を備えていますが、それらを展開させるための「愛の力の作用」は、法則性・数理性を包括主管する最も大きな力の作用です。だからこそ、私は心情エネルギーと表現しました。この原力が発動されるようになるのは、原力に組み込まれる法則性と数理性が創造原理として構築されてからです。


神様は愛し合う対象を創造しようと構想理想を練りますが、それには「千辛万苦」を経なければならなかったと真のお父様は語られています。


四 神様は父であられる 1.神様と人間は父子の関係から引用
『神様は完全に投入して愛の対象を創造しました。そのようにしたのは神様も愛の対象が必要だったからです。ところが愛は一人ではできません。どんなに絶対者であっても、その絶対者の前に愛の対象がいてこそ愛することができるので、その愛の対象として人間を造りました。それで人間を造るとき、いい加減に造ったのではありません。聖書にみ言で造ったとありますが、いい加減ではありませんでした。千辛万苦を経て、自分の120パーセント、何百倍を投入して造ったのです。』


最も重要な事、そして困難な事は、愛し合う対象としての存在に、神様自身と同様の愛の心情の動機を如何にして備えさせるかです。そこで、自らが愛から生まれたと実感した体験を、そのまま体験させる方法として、男女が結ばれ父母となり、新たな生命体を誕生させる親子の生命システムを発想したのです。その親子で築き上げて行く、四大心情圏三大王権の天一国理想を構築されたのです。


その上で、神様が真の愛で、人間を息子娘として愛そうとするならば、神様も息子娘と同じ体験を経なければなりません。神様は人類を親として愛するために、神様のみで存在している次元で体験した「愛から生まれた」体験を、被造世界で追体験することから人類の親となり、真の父母になろうとされたのです。神様が構築された「愛から生まれた」体験を全ての息子娘に同じように与えようとされた親子の生命システムを、私たちはしっかりと理解しなければなりません。


夜の神様は、人類の親となる為に、自らが創造した時空間の中で、「愛から生まれた」と実感した体験を再現しようとされたのです。その為に、夜の神様は人類始祖であるアダムの肉体を着て、「愛から生まれた」と実感した体験を追体験しようとされたのです。


天聖経から抜粋引用します。


真の神様 第一章 神様の本体2)無形の神様は体が必要②アダムは宗の祖先、有形の神様
神様は第一に、体を着るためにアダムとエバを創造され、第二に、愛を完成するために創造されたのです。このようなアダム、エバが完成し二人が一つとなることができる愛の実体になれば神様が臨在し、人類の前に愛の父母となるのです。そうして、神様の形状的実体の父母になったアダムとエバが実体の子女を繁殖することによって理想世界ができるのです。そのようになれば、人間を通じて霊界と地上世界が連結されるのです。その目的もあって人間を造られたのです。それで神様が愛を中心としてアダムとエバに臨在されることによって人類の真の父母、実体の父母としていらっしゃってから、アダムとエバがあの世へ行けば、霊界でもアダムとエバの形状で体をもって父母の位置に顕現することができるのです。


「アダムとエバには神様が臨在し」と語られていますが、天聖経においても、夜の神様と昼の神様を分けていない「神様」として表現されています。


アダムに臨在されるのは夜の神様であり神様本体です。エバに臨在するのは昼の神様であり、神様本体そのものではなく、聖霊の働きにより臨在していると同様に感じられる状態のことです。ゆえに昼の神様の実体です。アダムもエバと同様に被造物としての個性真理体であり、昼の神様の実体でもありますが、その生心に夜の神様が臨在されることによって、夜の神様の実体となります。


その事が、天聖経の次のみ言で語られています。


真の神様 第一章 神様の本体 2)無形の神様は体が必要②アダムは宗の祖先、有形の神様
実体をかぶった、神様の体で造ったアダムが、人間の先祖になるのです。言い換えれば、アダムは実体の神様です。無形の神様が実体の世界を主管するためには実体の体がなければなりません。それがあってこそ見たり聞いたりできるので、神様が実体の体として造られたのがアダムだというのです。それでは、エバとは誰ですか。エバはアダムの妻です。実体の妻です。それゆえアダムが実体をもった神様ならば、エバは実体をもった神様の妻です。神聖な神様が妻を得るというので驚くかもしれませんが、アダムは実体をもった神様の体です。エバは実体をもった神様の妻として創造されたのです。


「無形の神様が実体の世界を主管するためには実体の体がなければなりません。それがあってこそ見たり聞いたりできるので、神様が実体の体として造られたのがアダムだというのです。」天聖経によって永遠に記録されたこのみ言を、私たちは心の底から理解しなければなりません。


神様は自分が愛し合う対象を得たいと願った心情の動機と、同様の心情の動機を与える親子の生命システムを発想したことによって、真の父母を中心とする四大心情圏三大王権による天一国構想の構築が可能になりました。


神様本体の本性相の内的性相に天一国構想が完成し、外的性相においては自らの存在原理を具体的展開させ、天一国が創建できる環境を創り上げる創造原理が構築されるのです。この構想理想が、神様の本形状である前エネルギー(心の中にある内的な愛)と授受作用して、愛し合う対象の創造の為に原力となって発動されるのです。

※図の右側の「心の中の愛の力」を「内的な愛を形にする力」と表現を変えました。


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