愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

家庭連合の食口が意味を理解すれば、脳と生殖器が爆発するだろうお父様のみ言!

先回記事末部より


昼の神様の出現は分かれたという現象ではなく、神様の成長の話なのです。創造前の夜の神様が、成長して見えない手足(昼の神様)を駆使できる創造後の神様となったという事です。


ですので、tomy4509さんが私にプレゼントしてくれた、『ファミリー』2004.6月号『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』には、神様の成長の話が盛り込まれています。


韓鶴子氏は、真のお父様の全偉業を我がものにしたつもりでいるのでしょうが、肝心要の昼お神様と聖霊を奪えませんでした。意味さえ分かりませんでした。ですから、家庭連合の幹部にも講師にも食口にも教育ができません。聖霊と相対する事も無く、神性を帯びる事も無く、今日も献金と、その為の伝道に追われています。「夜の神様、昼の神様」が理解できないとは、致命傷です。


  *****


それでは、tomy4509さんが彼のブログ奇知外記の記事「サンクチュアリ教会の方々、『天の父母様』は?」で引用してくれた真のお父様のみ言を解説していきます。


私は先回記事の最後に、「『夜の神様、昼の神様』が理解できないとは致命傷です。」と書きました。私がこれまで主張して来た事は、創造原理とは「昼の神様」という心情エネルギー、聖書の表現で言えば「神の霊」に組み込まれたプログラムだということです。tomy4509さんが取り上げたみ言は、2004年6月に語られたみ言ですから、まだこの頃は「夜の神様、昼の神様」について詳しい事は語られてはいません。


それでも、このみ言が昼の神様を中心として語られている事が、「創造原理を中心として、神様はどのような存在としていらっしゃるのでしょうか?」と前置きをしていることから分かります。まずはみ言の前半部分を読んで下さい。


  **ブログ「奇知外記」記事より前半部分引用開始**


『ファミリー』2004.6月号、


『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』
(2004年4月19日、米国・ニューヨーク ニューヨーカーホテル)からの抜粋です。


真の愛を中心にして成長された神様


 それでは、神様ご自身も、生まれるために心と体が一つになったのと同じように、その心と体が真の愛を中心として一つになっているので、真の愛を中心として心と体のようなものが、小さな所から大きくなってきたということです。


 神様も大きくなっていったのです。神様も大きくなり、アダムとエバが造られる時までにはすっかり大きくなり、もう一回り回って、すべて包括できる立場に入ってきたのです。無形の神様は、実体対象圏と関係を結ばなければならないのです。


 無形の世界の中心は縦的なもので、一点しかないので繁殖できません。霊界に行けば、繁殖できません。ですから、実体圏を連結させるべき責任があるのです。「創造原理」を中心として、神様はどのような存在としていらっしゃるのでしょうか? 二性性相の中和的存在です。格位では、男性格を備えた存在であるのです。これは偉大な言葉です。神様が二性性相の中和的存在として、心と体が一つになり、神様を中心として胎内にいる双子と同じです。


 真の愛を中心として、骨と肉が、骨と皮になり、骨があれば必ず皮ができます。すべてを見てみれば、骨には膜があり、そこに軟骨のようなものが連結され、すべてのものを連結できるのです。


 ですから、骨のような神様の無形の実体が心的基準であり、それと皮のようなものを包指し、真の愛を中心として初めから一つになるのです。さらに、腹中の胎児に例えれば、胎児は父親と母親の精子と卵子が一つになって、父親の精子が骨になり、母親の卵子が皮になって、母親の子宮に入っていって大きくなるのです。


 それと同じように、神様も、無形の存在を中心として、神様の見えない宇宙の中で、腹中の胎児のように成長してきたのです。何を中心として成長してきたのでしょうか? それは真の愛です。


 ですから、骨と肉がこのときは縦横を中心としているので、心と体のようなものが、無形ですが、骨と肉のようなものが、縦的な垂直と横的な平衡を中心として、愛を中心として大きくなっていくのです。


 ここからこの実体を中心として抜き出したものが骨と体なのですが、そこに器官として入れておいたのが人間の五臓六脈です。あばら骨の中にあるすべてのものは、のどから肛門まで切って、すぱっと抜き出せば、五臓がさっと出てくるのです。


 鳥などを捕まえてみれば、骨と肉がすべて一つになっていますが、その中で五臓は、上と下がつながっています。この体の中で五臓が動くことができるのと同じように、無形の神様が、そのような立場で心と体が、骨と肉が大きくなっているのです。


 それで、これを実体圏に移しておくためのアダムとエバの創造であったということです。分かりますか?


 アダムとエバの創造は、神様が真の愛を中心として成長したご自身の歴史を、実体で見るのと同じです。そのような実体対象が子女の位置になるので、神様が成長してこられた姿を、再び実体で見ることができるのです。


 ですから、これは双子です。アダムとエバは双子と同じなのです。これが分かれていませんでした。初めから、神様からすべて一つになっていたのです。


 胎内にいる双子と同じ立場で生まれて、無形の実体も完全に大きくなったので、実体対象も、それと同じように大きくなることができる位置を中心として、見える愛の相対存在が息子、娘であったのです。それがアダムとエバの創造であったということを知らなければなりません。


  **前半引用終了**


創造原理とは一人でおられた夜の神様が、愛し合う対象を創造する為に構築した、対象となる被造世界を創造する為の原理です。神様本体である夜の神様が存在する為の原理ではなく、その存在原理を応用展開して、神様自身が知情意の機能をフル回転させて、千辛万苦の末に作り出した原理です。


神様が「愛により生まれた」という実感を得たことから、愛する対象を得たいという衝動が起こり、神様の成長が始まります。創造原理を構築し始め、「真の父母を中心とする四大心情圏三大王権による天一国構想理想」が完成するまでの期間が、神様にとっての第1段階の成長期間です。


神様はアダムとエバが結ばれる初夜に完成するとありますから、神様の成長はそこまで続くものとなります。


昼の神様とは、夜の神様から発動された心情エネルギーであると説明してきましたが、その心情エネルギーには創造原理がプログラムされ、エネルギー自体が一つ一つの万物を造り上げ、被造世界を象っていきます。つまり、夜の神様にとっての見えない手足です。


神様は「愛により生まれた」という実感を得た時から、神様の心情を中心として性相と形状が授受作用し、統一体となっていた正分合作用が、愛する対象を得たいという目的を中心とした授受作用による正分合作用へと変わっていくのです。それにより、神様の成長が始まります。


まだ真の愛とは呼ぶことの出来なかった、神様の内的な愛が、「愛により生まれた」という実感から、愛する対象を得たいという衝動が湧き上がり、真の愛として発動するのです。


いままで神様を存在させていた、心情を中心とした授受作用による正分合作用によって、感じ取っていた内的な愛が、真の愛となって神様自体を包み込んでくる実感を得ます。それが神様にとっての胎中期間です。真の愛の胎内に入り、そこで神様は構想理想を構築しながら内的に成長し、ついには創造を始める為の見えない体としての手足を得るのです。それが、創造原理がプログラムされた心情エネルギーである昼の神様となるのです。


み言の中で、次のように語られています。


「アダムとエバの創造は、神様が真の愛を中心として成長したご自身の歴史を、実体で見るのと同じです。そのような実体対象が子女の位置になるので、神様が成長してこられた姿を、再び実体で見ることができるのです。」


アダムの生命が地上に現れた時から、神様はアダムの生心に臨在し、肉的霊的五感を共有されています。ですから、神様が構想理想で構築して行ったアダムの成長は、自分自身の成長過程でした。その自分自身がどのような過程で成長し完成に至るのかという構想を、アダムが誕生してから実体として再体験して行くことになるのです。


神様本体が、夜の神様として一人で存在していた時には、男性女性という概念はありませんでした。愛し合える対象を得たいという衝動が起きたがゆえに、神様自身を男性として定め、その愛し合う対象として、女性を新たに構築したのです。それが後半のみ言に表現されています。


  **み言後半引用開始**


 一緒に生まれ、成長したアダムとエバ


 それでは、アダムとエバはどのようになるのですか? 神様が成長してきたのと同じように、アダムとエバの二人は、大きくなっていかなければなりません。


 見えない二性性相の中和的存在として大きくなってきたその道を、二人が一つになることによって、赤ん坊が生まれます。双子の息子、娘を生み、赤ん坊が、父親よりも母親を中心として乳を飲ませるようになると、その二人の赤ん坊が母親の懐を中心として、一緒に乳を飲んで大きくなったということを皆さんは知らなければなりません。


 右側をアダムが飲めば、左側はエバが飲んで大きくなったということです。お互いに裸で大きくなったのです。服を着て大きくなったでしょうか、裸で大きくなったでしょうか? (「裸で大きくなりました。」)


 なぜ裸で大きくなったのですか? 服を作って着たでしょうか、着なかったでしょうか? それを言ってみてください。


 服を作って着れば、人の親戚のような猿が人間になったという進化論の見解から見れば、猿も服を着せて結婚式の祝福をしてあげたでしょうか、着せないでしてあげたでしょうか? 答えは何ですか?


 すべての万物が雄と雌になっているのは、恥ずかしいことではありません。誇りです。誇りなのです。分かりますか?


 男性が雄ならば、雄が誇るものは何ですか? 目があるといって誇るのではなく、鼻があるといって誇るのではなく、ロがあるといって誇るのではなく、耳があるといって誇るのではなく、手足があるといって誇るのではありません。誇ろうとすれば、自分に向かって誇るのではなく、鏡を見て誇るのです。


 だれに誇るのですか? エバに対し、相対の前で誇り、神様の前で誇るのです。「男性の性を中心として、わたしを造ってくださったことを、神様、感謝します。」と言うのです。


 なぜ感謝するのですか? その男性がだれに似たのかといえば、神様に似たのです。神様に似せて造られたので、神様に不平を言わなければなりませんか、"ありがとう。"と思わなければなりませんか? 造ってもらったので、"感謝します。"とありがたく思うのです。


 何のために「感謝します。」と言うのですか? 性を中心として、男性として生まれたのですが、一人は、男性格主体の姿に似るようにしたことが誇りです。その誇りは、神様の顔、鼻、耳、四肢五体ではなく、"ほかのもの"が似たのです。"ほかのもの"とは、「雄を代表して、神様に似たので感謝します。」ということです。分かりますか?


 また、エバは、何をもって感謝するのですか? 神様の中にある創造本然の見えない骨と肉が一つになった、見える体、アダムです。それで、見えない世界を、原理で見れば「天宙」という言葉で表示し、見える実体圏である相対圏は、天地を中心として、父母である神様を見ることができる実体として育ち、十八歳、そして二十一歳まで越えていかなければなりません。


 神様が成長するのと同じように、アダムとエバも造られたので成長するのです。そのためには、お互いに母親の懐でお乳を飲むときに、足で蹴飛ばしながらお乳を飲むでしょうか? 習慣になっているので、右側のお乳を飲みながら手を伸ばして触るのは、エバならば、おっぱい以外に双子のお兄さんを触るのです。


 お兄さんに触ってみると、"自分よりも頑丈だ。"と思ったでしょう。


 ですから、お互いが相対的な立場で触りながら、母親の懐でお乳を飲みながら一緒に大きくなってきたのです。出生の根本から、根源から、一つになって出発したのです。分かりますか? すべての存在物は、根本から、一つのものから始まったのです。


 二つの目が生まれるとき、何年か間をおいて生まれたでしょうか? 目は一緒に生まれたでしょうか、別々に生まれたでしょうか?  鼻も、右の鼻と左の鼻があるとき、別々に生まれたでしょうか、一緒に生まれたでしょうか? 唇も、下唇と上唇が一緒に生まれたでしょうか、別々に生まれたでしょうか? 耳も、左の耳と右の耳が別々に生まれたでしょうか、一緒に生まれたでしょうか?


 一緒に生まれざるをえないということは、相対がいなければ存在世界には生まれないからです。相対がいなければ、生まれる必要がありません。それでは、男性は男性のために生まれたのかといえば、違います。なぜ息子が生まれたのですか? 父のために生まれ、母のために生まれました。そうでなければなりません。


 存在の起源は、存在するものがとても小さなものであっても大きなものであっても、プラスとマイナス、主体と対象が授け受けをするカから生じたのです。それが三数圏になります。


 神様は、息子、娘を生むときに、わたしの骨の中の骨であり、肉の中の肉であり、それから何ですか? 皮の中の皮です。ですから、どれ一つ抜くことはできませんし、どれ一つとして、神様の二性性相から抜けた部分は息子、娘にはありえないのです。


  **み言後半引用終了**


「父親よりも母親を中心として乳を飲ませるようになると、・・・」


「母親の懐でお乳を飲みながら一緒に大きくなってきた・・・」


このみ言からtomy4509さんは、アダムとエバは神様が成長してきたと同様に成長するのだから、神様にも母親があり、乳を飲みながら育ったので神様は母親でもあると解釈したのでしょう。


神様の成長過程において、母親の位置に立つのは真の愛です。その真の愛の胎内で、真の愛を、永遠普遍の神様の全身で飲みながら成長したのです。それを地上界で形状化しようと発想したので、親子の生命システムとして被造世界に実現したのです。真の愛は実体がありません。ですから実体のないものを母の心情とか、母の性質と表現できても、「母」という呼び名を付けることはできないのです。


「父母である神様を見ることができる実体として育ち」と語られていますが、その前に「天地を中心として」と語られています。つまり、男性格主体である神様に対して、女性格対象として創造された被造世界を見ることによって、「父母である神様」を見ることができるという意味になるのです。神様は女性性相は備えていても男性格主体です。私たち男性も、女性性相の要素はそれぞれ持っていますから、女性の心情や母の心情も思い計ることができます。でも、目の前の男性を「男女さん」と呼びますか?目の前の父親を「父母様」と呼びますか?


さらに、男性女性という性別の概念を持たなかった「無の暗闇の状態」の夜の神様が、どのようにして男性女性の性別を発想できたのかを語っている貴重なみ言を、tomy4509さんは私に提供してくれたのです。


ありがとう!tomy4509さん!「夜の神様、昼の神様」が理解できると、真のお父様の語られたみ言の本質的意味が、どんどんと解けて行くのです。


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