愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

真のお父様の代わりとなって地獄に落ちた人物がいた事を神様とお父様が伝えてきた!

2020年8月9日礼拝



以下は礼拝説教からの抜粋した文章です。説教内容はすべて神様との授受作用において授けられたものです。私自身の思考からは出てこない内容なので、あらかじめ書き綴った内容を読み合わせるという形式での説教です。



※真のお父様の代わりとなって地獄に落ちた人物がいた事を神様とお父様が伝えてきた!



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「神様!人類未踏の地獄の心情圏を通過させてください!真のお父様が再臨主という立場において、救いの為に行きたくても行くことのできない地獄があるならば、私を行かせてください。」


これが私の前線活動時代からのモットーでした。どんな厳しい任地でも、自分が先頭に立って切り開いていくという決意を込めたものでした。


このような決意は、真のお父様を慕い、神様の復帰摂理歴史を担いたいと願う兄弟姉妹は、言葉にしなくても誰もが心に抱いていると思います。全ての兄弟姉妹に共通する心情だと感じます。


私は詩人になる事を目指していましたから、言葉で表現する事がむずかしい心の世界を、他の人々に伝える詩的表現を心得ています。ですから、この私のモットーは、真のお父様を慕う兄弟姉妹の、一人一人の心情を表現したものだと思っています。


約35年間、私はこのモットーでみ旨を歩んできました。このモットーを掲げていたがゆえに、どんなつらい事も受け止めて、ここまで来ることが出来ました。


そしてついに二カ月ほど前に、神様から答えが返ってきたのです。もう、答えが返ってくるということなど、想定もしていない事でした。


「私はあなたをずっと励まして来たけれど、真のお父様の代わりとなって地獄に行こうとしても、サタンが認めない。」・・・「あなたには行けない道なのだ。」


それから神様は次のように続けました。神様が・・・・、ということは一体となっている真のお父様が伝えて来たと言うことです。


「一人・・・・・、その道を辿った者がいたんだよ。」


あまりにも大きな衝撃でした。


※真のお父様と統一教会が辿って来た本当の歴史をまだ誰も知らない!


  *****


真のお父様は1969年8月1日に、喜進様が殉教された時、真の子女様が犠牲の道を行かざるを得ない事を確信されました。それはキリスト教が反対し、日本をエバ国家とした時点から覚悟していたものですが、それがより決定的となった出来事だったのです。それは真のお父様の後継となる長子を、地獄に落とす道です。落とすだけではなく、サタンに長子の霊肉を預けて、なぶり殺しの状態の罪のどん底まで浸らせるのです。心情をズタズタに切り刻ませることを許すのです。


何故でしょうか。本来、アベルカインの蕩減復帰は、私たち祝福家庭が成さなければならない事です。しかし、それは過酷な道を勝利しなければならず、堕落性を持って生まれた堕落人間には不可能と思える事でもあったのです。二千年間に渡り、霊的真の父母の教育を受けたクリスチャンでも、過酷な道となるべきものです。そのキリスト教が裏切った訳ですから、その蕩減を背負う統一食口にとっては、絶望的な道でもあったのです。


キリスト教が再臨主に反逆し、二千年に渡り導かれてきた選民とは、真逆にある者たちと歩まざるを得なくなりました。その者たちは、サタンが何時でも、事あれば奪える存在でしかなかったということです。ですから、統一教会という組織を世界的に拡大させることも、サタンが許容する範囲内であり、肥え太らせたうえで、奪える時期を虎視眈々と待っていたということになります。真のお父様の為に命がけで歩んできた私たち食口にとっては、それは屈辱的な事ですが、家庭連合を乗っ取られ「天の父母様聖会」に改名された現実を見れば、受け止めざるを得ない事なのではと思うのです。


そのような状況からの出発でも、真のお父様は統一食口を愛し育て、わずかな可能性に賭けてくれました。しかし、最後の希望の砦として、長子・孝進様を堕落人間の立場まで落とし、そこから蕩減復帰する道を開かざるを得なかったのです。三人目のアダムである真のお父様が、再臨主として勝利しなければ、人類の救いの道は永遠に閉ざされます。ですから、祝福家庭が蕩減復帰の本質的核心摂理に誰一人として気付けないなら、長子を地獄に落とす他に選択の余地は無かったのです。真のお父様が使命として長子に伝えるものでは無く、長子自らの意志で、地獄の底まで落ちざるを得なくなって行くのです。


1983年まで、統一食口の誰一人として、本来のアベルカインを勝利した人は無く、それを理解する人物も現れませんでした。そこで、犠牲となられたのが次男・興進様です。興進様は生命を捧げるその瞬間において、自らの生命よりも愛する他者を守ろうとしました。アベルとして実体を持って勝利され霊界に入られたので、真のお父様と神様が一体となって生きておられることを実感できる立場となられたのです。その興進様に指導された天軍の協助を、実質的に受けるようになり、興進様と心情一体となられた孝進様も、神様と真のお父様が一体となっておられることを「心で分かる」という心情となられたのです。


アベルカインが理解できず、人間メシヤとしか真のお父様を見ることのできない統一食口に変わり、人類が堕落した立場から蕩減するべき、全ての心情復帰路程を通過した方こそ、長子・孝進様であったのです。


傷が無く生まれた神の子でありながら、地獄に落ちて、人類が犯した全ての罪に匹敵する無数の傷を負わなければならなかったのです。「真のお父様が再臨主という立場において、救いの為に行きたくても行くことのできない地獄があるならば、私を行かせてください。」その道を、実際に歩まれ、勝利した方こそ孝進様であったのです。神様の精子から生まれた神の息子でありながら、堕落人間の罪の底まで霊肉を落として、全てを蕩減復帰して神の息子の長子の位置まで戻られた尊い方こそ、孝進様であったのです。孝進様は統一食口の一人一人(あなた)に代わって、霊肉に傷を負いながら、蕩減の道を歩んで下さったのです。


人類が犯して来た罪をわが身わが霊に刻み込みながら、それらの罪を蕩減復帰されて神の息子の立場まで戻られた方であったのです。そのような、絶大極まる勝利を成されて立たれた一勝日だったからこそ、当時、真のお父様は次のように語られました。


「これから、先生以後に、孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。今後、孝進はお父さんの代わりにいろいろな事をしなければならないけれども、すべての命令はお父さんからの指示を受けて行動するのです。」


一勝日までに、アベルとして立った興進様とカインとして立った孝進様が心情一体となって、地上におられる孝進様が本然の長子として立てるようになりました。その本質的な心情復帰路程は、真のお父様が語れるものでは無く、食口たちが自らの責任分担において気付き見出さなければならない事であったのです。本来、私たち祝福家庭が行くべき蕩減の道を、代わりに通過してくださった孝進様の辿った真価です。その意義を、祝福家庭自らが悟る事によって、孝進様の勝利圏を相続したという条件となるからです。真のお父様が明らかにしたのでは、サタンはそれを認めないからです。


その事を見出すことが出来ず、真のお父様が願われる基準で孝進様を後継者として受け入れることが出来ませんでした。その結果として、孝進様の家庭にサタンが侵入し、妻と子女様が奪われることになるのです。


全ての食口が自覚無く犯していた過ちとは、一勝日において真のお父様が長男・孝進様を自らの後継者として立てたのに、私たちはそれを真のお父様の願ったごとくに受け入れられなかった罪です。


孝進様は興進様が交通事故で聖和される直前まで、真の子息様でありながら不品行の限りを尽くしていました。1988年4月に、真のお父様の後継者として立った孝進様自身が、そのことを食口たちの前で告白されていました。統一教会・家庭連合はその尊い告白と懺悔のみ言を、記録として残していません。(どなたか記録を持っている方がおられれば、内容を教えていただきたいです。)それは堕落人間として生まれた私たちに代わっての、告白であり懺悔であったのです。本来は、後継者となった孝進様と全世界の祝福家庭が、そこで心情一体となって、人類の罪の解放の歴史的現場となるべきものでした。


ウィキペディアから引用すると次のように表現されています。


「1988年4月、文鮮明の長男、文孝進がニューヨーク市のオールド・ニューヨーカー・ホテルで自らの不品行(ドラッグ、飲酒、女性問題、自殺未遂等)を教会員の前で告白し、涙で懺悔する。」


食口たちは告白されてから、孝進様の不信仰を知ったのではなく、興進様の聖和前から情報や噂として伝わっていました。


1985年8月16日、キリスト教が再臨主を裏切った罪を、完全蕩減復帰した一勝日において、真のお父様は孝進様を後継者として立てました。その時、食口たちが罪にまみれてきた孝進様を、真のお父様の後継者として受け入れられたのかということが問われているのです。


孝進様は私たちが越えられない蕩減復帰の道を、私たちに変わって自ら地獄に落ちて越えてくださったのだということを、誰も理解していなかったのです。


そのことについては、世界中の食口が、誰一人として感じていない事ですし、感じていないということは悔い改める事もできていないということです。


私たちが亨進様を二代王様として信じていると主張しても、サタンはその過去の不信仰を突いてきます。二代王様においては、真のお父様が幾度にもわたり、亨進様に王冠を被せ、相続者・後継者・代身者と発表されました。真のお父様は孝進様を後継者として公表した時の信徒の不信があったが故に、一人でも多くの者を亨進様のもとに繋ぎ留めてあげたい心情がそこに込められています。そこでサタンは、孝進様に対する不信を悔い改めない限り、亨進様の後継者たる真価を理解している訳でもなく、真のお父様の意図を分かって付き従っているのではないと讒訴してくるのです。


二代王様は全てに勝利して、サタンから讒訴されるような要素はありません。しかし、なにゆえに常に悔い改めるように語られるのかを、聞き流すだけでなく、私たちの問題として受け止めなければならないのです。


私たちがサタンの讒訴を受けたまま、どんなに摂理に頑張ろうとしても、足元からすくわれていくのです。


それで、一勝日において、真のお父様の完全なる後継者として立たれた孝進様に対する、祝福家庭一人一人の不信を、サタンがどのように讒訴し利用したのかが問題になるのです。ここからが、いよいよ重要な内容に入っていくことになります。




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