愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

四位基台では神様が上の存在として位置付けられていますが三位一体の様相は違うのです!

「第9回み言で学ぶ本体論セミナー」
2.創造主の完成期間!(3)神様の青年期-三位一体の構想-


夜の神様は自分そのものである本性相を男性として構想し、本性相に絶対服従して神様として存在させていてくれた本形状を、女性として構想することになりました。そうであるがゆえに、夜の神様は「無の暗闇の状態」でありながら内的愛の胎中で、主体である夜の神様の理想を、対象としてその如く実現してくれるエネルギーの本形状と、双子で生まれたと言えるのです。


お父様のみ言です。


 旦那さんは何かというと、神の無形実体圏にあった性相が男であり、形状が女だったのです。その男と女が愛でもって一つになっていた双子なのです。
 アダムとエバは、神様の二性性相がそのまま出て来たので、一つのふろしきから出てきたのと同じです。双子で生れた兄と妹のようなものです。


この双子のアダムとエバがいつ結ばれて、神様と一体となるのかが問題でした。それはアダムとエバが結ばれる初夜の時でした。


次のみ言で語られています。
1993年12月21日16万人日本女性特別修練会
 神様の内的な見えない心情圏、四大心情圏は、アダムとエバが、結婚するその初夜の愛の関係を結ぶことによってすべてが完成するのです。


そしてアダムとエバは神様を中心とする三位一体を成すのです。原理講論キリスト論の三位一体論からです。


キリスト論 第四節 重生論と三位一体論
 神がアダムとエバを創造された目的は、彼らを人類の真の父母に立て、合性一体化させて、神を中心とした四位基台をつくり、三位一体をなさしめるところにあった。


アダムとエバが真の父母となり、三位一体を成したならば、子女を産み増やすことになります。


キリスト論 第四節 重生論と三位一体論
 神を中心として、真の父母としての三位一体をつくり、善の子女を生み殖やしたならば、彼らの子孫も、やはり、神を中心とする善の夫婦となって、各々三位一体をなしたはずである。


神様を中心とする実体的な三位一体とは、真の愛のもとに双子となっているという事です。双子となって、神様を核として包み込む関係性です。その起源こそ、夜の神様の本性相と本形状にあるのです。


天聖経 宇宙の根本第二章人間創造と愛の理想の完成
 神様の愛と人間の愛がいつ一つになるのかということが問題です。これが歴史的な問題であり、宇宙創造以降の重大な問題です。これが解決されない限り、宇宙の根本が解決されない限り、絶対に結果が解けないのです。真の愛を中心としては、神様は核の位置に立たなければなりません。それでは、アダムとエバは何でしょうか。アダムとエバは、核を包み込む二つのかけらと同じです。


アダムとエバは双子として一体となり、神様を核として包み込むのです。それこそが、神様の本性相の核心である心情が、本形状に包み込まれたという真の愛の起源であり、宇宙の根本であったのです。


これまで私たちは神様を中心として一体となる事を、四位基台を通して学んできました。第一祝福の個性完成、第二祝福の子女繁殖、第三祝福の万物主管は神様から与えられた三大祝福であり、これが神様の創造目的と学んできました。これらの四位基台では、常に神様が上の存在として位置付けられていますが、三位一体の様相は違うのです。


神様が真の愛に至る起源の解説ともなりますが、絶対主体としての本性相が、絶対対象の本形状に包み込まれて、対象への真の愛に覚醒しました。本形状を包み返したい衝動が溢れるのです。そして、真の愛で愛したくてたまらない主体の心情の根底に、真の愛に絶対服従して生きることを願う心情が流れている事に覚醒されたのです。その過程を、これから神様が構想する生殖器になぞらえて図にしました。これこそが真の愛の起源であり、そこから構想を得て、結果として男性と女性に結実するように構築して行くのです。


神様は男性、つまりアダムの肉体を着て、エバと初夜を迎える時は、アダムの生殖器は神様の生殖器となりエバの生殖器に包み込まれるのです。つまり、神様を核として包み込むのです。神様と男性と女性の、愛と心情の関係性においても、神様を核として包み込んでこそ、神様は永遠普遍の真の愛で、二人を包み込めるようになるのです。


主体の心情は対象を愛したくてたまらない心情でしたが、対象の受ける側の心情は、愛されることが喜びとなる心情よりも強く、愛したくてたまらなくなる心情として結実することを受けとめて下さい。それが真の愛に絶対服従したい心情という事なのです。これまで私たちは四位基台のイメージがあまりにも強く、神様は垂直に上におられるものという理解が強かったと思います。しかし、三位一体からすれば真の愛のもとで、神様は垂直の位置におられるとともに、私たちのただ中にもいらっしゃるのです。そこで真の愛のもとでは、主体は対象であると同時に、対象は主体でもあるという事です。


このように神様が核として包み込まれ、その神様を中心とした実体的な三位一体の男女が増え広がって繋がり、三位一体の真の愛による天一国世界の構想理想となっていくのです。


その息子娘一人一人に神様は愛と生命の種を、神様の精子として授けているわけですが、神様の親の愛はそれだけでは終わらないのです。先回のセミナーで、神様から出発した真の愛が、対象の構想とともに大きくなる過程を、お父様のみ言で辿りました。要約して復習します。


真の愛は神様から出発します。神様は真の愛の本体としておられ、真の愛と連結されれば、すべてが同じ体になります。神様は愛の対象になれる人に根を植えようと考えます。


神様は息子娘が神様の精子によって、愛と生命の種から生まれてくるのに、どうしてその種からのものとは違う真の愛の根を、植えようとするのでしょうか。み言によれば、真の愛の根は神様には置かずに、愛する対象となる人に植えるというのです。そしてさらに、次のみ言により、神様の親としての心情が分かります。


真の神様 第一章神様の本体
 神様は私たちに愛を与えるとき、どれくらい与えたがるのでしょうか。無限に与えようとする愛です。神様はすべて与えても、「お前によって、お前の中で生きたい」と言います。そのようにさせる本質とは何でしょうか。愛です。神様も愛の中に入って僕になってもいいというのです。


神様は愛する一人一人の中に入って、真の愛の根を植えるのです。息子娘の中に入って、愛の根を植えるとはどのような意味でしょうか。それは息子娘一人一人の生心に臨在し、霊的五感・肉的五感を共有して、その一人の思考や情念の全てを受け止め愛そうとするのです。無意識世界に臨在されるので、相対基準が出来ない限り、感知する事は出来ません。そのようにして一人の心と体の全ての情報を得て、それにふさわしい真の愛を放出発動して取り巻く環境に生素を注ぎ、またその息子娘にふさわしい聖霊を一人一人に送り包み込むのです。その生涯を通しての心情の実感の授受作用から、神様の真の愛の実感となり、全てを理解し共鳴した一人に対して、ふさわしい生素や聖霊を真の愛の現れとして注ぎこみ、360度から包み込む環境を作り出すのです。


この様相こそが、「神様も愛の中に入って僕になってもいいというのです。」と語られたみ言に込められたものなのです。


詳しい解説は、本体論セミナーの後編となる霊界システムにおいて説明いたします。


しかし、全ての息子娘の生心に神様が臨在するとしたならば、全人類の感情や思考が神様の心で入り乱れて、全知全能の神様でも気が変になるというのです。


真のお父様のみ言に人間を創造する前に、神様と同じもう一つの神様を創ったら気が変になると語ったものがあります。


真の神様 第一章 神様の本体 一 神様は無形の主体であられる 
 全知全能なる神様なので神様と同じ、もう一つの神様を造るだろうと、それも可能だと思いますが、神様がそのように造ればどうなりますか。同じ神様が御飯を食べるとき、一緒に御飯を食べ、手入れをするときは一緒に手入れをして、立つときは一緒に立ってついて回りながら、神様が座れば一緒に座り、このように億千万年一緒に行動するならば生きていけますか。考えてみなさい。どんなに気が遠くなるでしょうか。一日もたたないで目が回ってひっくり返ってしまいます。また、話はどうしますか。話をすれば何日話すと思いますか。三日間ですか。「あれ、あの、同じではないか! 死にそうだ」と言うでしょう。


全ての息子娘の心に直接に神様が入ったならば、無限数で増える人類一人一人の思考や感情が神様の心で渦巻いて、同じように気が変になり、「死にそうだ」ということになるでしょう。


そこで、エバと共に、エバから産み増える息子娘の全ての一人一人を愛する為に、絶対的主体者の真の父となるアダムを立てて、一人でも真の父母となる真の父の生心にだけは、直接に臨在されるという構想を立てられるのです。霊的五感・肉的五感を共有されるのです。その上で真の母となるエバと、エバから産み増える息子娘の生心には、神様から送られる聖霊が臨在するように構想したのです。例えていえば、アダムの肉体と霊体をまとった神様は、アダムと同じ時間と空間で行動し、まさに同一人物として経験体験を積んでいきますが、真の母と人類に対しては、一人一人の行動から心の働きまで、真の愛の頂から俯瞰して見守っているような感覚となるのです。


神様はアダムの霊体と肉体をまとい、生心に直接臨在して、霊的五感肉的五感を共有し、アダムが真の愛の実体として完成したならば、真の父となったアダムの真の愛に絶対信仰・絶対愛・絶対服従で侍るのです。真の父に神様が絶対服従されるのです。その神様に真の父は絶対服従するので、それこそが互いに真の愛に絶対服従する姿なのです。そのアダムはエバと真の父母として一体となり、真の母であるエバから女性として得た全天宙の情報を得て、アダムにおける全天宙の男性として情報と総合されるのです。そのアダムの生心から神様が得た地上界と霊界、つまり天宙全体の摂理的環境と心情圏の情報と、さらにアダムの思考と心情に絶対服従した自らの真の愛から、全人類に対して、つまり息子娘に存在成長する為の生素と、四大心情圏を成就するにふさわしい聖霊を送るのです。


真のお父様に絶対服従して夜の神様が発動された真の愛のもとに、真のお父様は絶対服従されるのです。夜の神様と真のお父様は、互いの真の愛に絶対服従されて生きられるのです。私たち息子娘が真の愛の実体者として完成すれば、やはり同じように神様と私が互いの真の愛に絶対服従して生きるようになるのです。それが主体と対象の関係であり、アベルカインにおいて、私たち息子娘が復帰するべきものなのです。


その夜の神様が一人一人に送られた聖霊が、私たち息子娘の一人一人の心に臨在されるようになるのです。この夜の神様から送られた真の愛の現れである霊、つまり四大心情圏を成就させ、真の愛で授受作用する為に送られた心情エネルギーを、二代王様は「お父様の聖霊」と呼ばれたのです。夜の神様から送られる聖霊ですが、真のお父様の生心から得た全天宙における摂理的総合情報と心情的条件と、神様自らが真の母と息子娘との間で、聖霊による授受作用で得た被造世界の摂理的情報と心情的条件を総合判断して送られるものなのです。たとえ二代王様のもとにある聖殿食口でも、真のお父様と一体となっている二代王様の心情に相対できなければ、神様が送って来られるお父様の聖霊と相対することはできないのです。


その聖霊を中心とした神様の心情エネルギーの働きによって、神様と霊界と地上界と人間を結ぶ霊界システムが稼働展開するように、この天宙は創られているのです。真のお父様と相対できる心情の基台が、地上に作られた範囲内でしか稼働する事は出来ないのです。


現在の摂理においては、天一国創建において、二代王様が真のお父様の後継者として地上にたっておられますから、二代王様の把握される地上界の摂理的情報と、聖殿食口・王王妃との一体化でつくられる心情圏が、神様がサタンに対抗し、勝利していく為の戦略となり、条件となっていくのです。


だからこそ、聖殿食口であり、王王妃である私たち祝福家庭が、霊界システムの様相を理解し、それを私たち自身それぞれが、稼働させるための本然の絶対性教育を体恤しなければならないのです。


この霊界システムの全貌の様相については、み言で学ぶ本体論セミナー後半で解説します。まだ、ほんのとっかかりの内容に過ぎません。


次回は、アダムのあばら骨を、「形象的実体女性分野」と表現し、神様は私たちにとってお兄さんであると語られ、「真の父母様の本体論」の重要な鍵となった、2004年11月第45回真の子女の日のみ言の比喩の表現を紐解き解説します。


第9回み言で学ぶ本体論セミナー


お父様の心情に迫りたい方はクリックを
↓ ↓ ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する