愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

これまで詳細な解説が無かった生素について明らかにする!

第12回み言で学ぶ本体論セミナー
2.創造主の完成期間!(6)神様の青年期ー生素の解説


この第12回セミナーでは、人間の霊人体が成長する上で、最も重要な「生素」について解説していきます。


まず、原理講論における「生素」の解説を再確認していきます。


原理講論 第一章創造原理 第六節 人間を中心とする無形実体世界と有形実体世界(三)肉身と霊人体との相対的関係(2)霊人体の構成とその機能より、生素に関する部分を抜粋して読んでいきます。


(2) 霊人体の構成とその機能
 この霊人体は生心(主体)と霊体(対象)の二性性相からなっている。そして生心というのは、神が臨在される霊人体の中心部分をいうのである。霊人体は神からくる生素(陽性)と肉身からくる生力要素(陰性)の二つの要素が授受作用をする中で成長する。また霊人体は肉身から生力要素を受ける反面、逆に肉身に与える要素もあり、我々はこれを、生霊要素という。人間が神霊に接することによって、無限の喜びと新しい力を得て、持病が治っていくなど、その肉身に多くの変化を起こすようになるが、これは、その肉身が霊人体から生霊要素を受けるからである。霊人体は肉身を土台にしてのみ成長する。
 (略)
 生心の要求するものが何であるかを教えてくれるのが真理である。それゆえに、人間が真理で生心が要求するものを悟り、そのとおりに実践することによって、人間の責任分担を完遂すれば、初めて生霊要素と生力要素とがお互いに善の目的のための授受作用をするようになる。


この解説の中に、「生素」についてより深く知るためのヒントがあるのです。まず、「人間が神霊に接することによって、無限の喜びと新しい力を得て」と記されている事に注目してください。神霊と接する事こそ、生素を吸収することに繋がっていると見ることが出来ます。はたして神霊と接するとは、どのような状態を語っているのでしょうか。


その上で、次の文章の段落に、原理ではなく「真理」と記されている事に注目してください。


生心の要求するものが何であるかを教えてくれるのが真理である。それゆえに、人間が真理で生心が要求するものを悟り、そのとおりに実践することによって、人間の責任分担を完遂すれば、初めて生霊要素と生力要素とがお互いに善の目的のための授受作用をするようになる。


生素と生力要素が授受作用する中で霊人体、つまり生心が成長するとありますが、その生心が成長の為に要求するものを悟らせてくれる真理があると解説しています。創造原理の冒頭で提示している究極の原理と表現されたものとは違い「真理」となっているのです。


では、究極の原理と創造原理を表現した原理講論が、あえて真理と定義した、この真理とはどのようなものなのでしょうか。


真理とは何を指しているのでしょうか?


まず、原理講論 第1章創造原理の冒頭には次のように解説されています。


人間は長い歴史の期間にわたって、人生と宇宙に関する根本問題を解決するために苦悶してきた。けれども、今日に至るまで、この問題に対して納得のいく解答を我々に与えてくれた人はまだ一人もいない。それは本来、人間や宇宙がいかに創造されたかという究極の原理を知らなかったからである。さらに、我々にはもっと根本的な先決問題が残っている。それは、結果的な存在に関することではなく、原因的な存在に関する問題である。ゆえに、人生と宇宙に関する問題は、結局それを創造し給うた神が、いかなるお方かということを知らない限り解くことができないのである。創造原理はこのような根本的な問題を、広範囲にわたって扱っている。


「創造原理はこのような根本的な問題を、広範囲にわたって扱っている。」と記しながら、「人間や宇宙がいかに創造されたかという究極の原理」と紹介されています。生素の解説に使われている「真理」の意味は、第1章創造原理の解説の、他の文章に記された「真理」という名称の意味を読み取ることによって、「人間や宇宙に関する創造の究極の原理」とは違った意味で用いられている事が分かります。


第二節 万有原力と授受作用および四位基台(二)授受作用に真理の事が記されています。


イエスは神と完全な授受の関係を結んで一体となられた、ただ一人のひとり子として来られたお方である。したがって、堕落した人間が、イエスと完全なる授受の関係を結んで一体となれば、創造本性を復帰して、神と授受作用をすることによって、神と一体となることができるのである。それゆえに、イエスは堕落人間の仲保となられると同時に、道であり、真理であり、また命でもあるのである。


ここでは、イエス様自身が真理であると語られています。また同じく第二節の四位基台の存在様相には、次のように記されています。


このように、アダムとエバが完成された夫婦として一体となったその位置が、正に愛の主体であられる神と、美の対象である人間とが一体化して、創造目的を完成した善の中心となる位置なのである。ここにおいて、初めて父母なる神は、子女として完成された人間に臨在されて、永遠に安息されるようになるのである。このときこの中心は、神の永遠なる愛の対象であるために、これによって、神は永遠に刺激的な喜びを感ずるようになる。また、ここにおいて初めて、神のみ言が実体として完成するので、これが正に真理の中心となり、すべての人間をして創造目的を指向するように導いてくれる本心の中心ともなるのである。


アダムとエバが創造目的を完成し、父母なる神様が臨在されて、神様のみ言の実体として完成した真の父母様こそが、真理の中心だという事です。全ての人間が創造目的を指向するように導いてくれる本心の中心となる真の父母様です。つまり、真の父母様こそが真理そのものであり、その真理を解説するものこそ「真の父母様の本体論」なのだということです。


創造目的を完成するにあたって最も重要な内容として、四大心情圏三代王権が語られたのは、原理講論が1967年に世に出されてから25年後の1993年の事です。さらに四大心情圏三代王権を成就する上で、最も真の愛の中心となる方こそ、夜の神様が生心に臨在された真のお父様であることが公表されたのは、さらに19年の歳月を経てからになるのです。それは、亨進様が2012年1月29日に語られた「夜の神様、昼の神様」のみ言解釈になります。真の父母様の本体論は、原理講論発刊以降に真のお父様によって語られ、また後継者である二代王様について解説された、これらのみ言をメインとして解説されたものなのです。


「生素」の解説において、重要な事は「神霊に接する事」であり、生心の要求するものが何であるのかを悟らせてくれる「真理」を学ぶことだと書いてありました。「生素」について、いよいよこの「真の父母様の本体論」で明らかにされるのです。


堕落論には、次のように神霊と真理について解説されています。


第二章 堕落論 第五節 自由と堕落(三)自由と堕落と復帰
 人間は、堕落によって無知に陥り、神を知ることができないようになったので、その心情も分からなくなってしまった。それゆえに、人間の意志はこの無知によって、神が喜ばれる方向を取ることができなくなってしまったのである。しかし、堕落人間においては、復帰摂理の時代的恩恵により、神霊(内的な知)と真理(外的な知)とが明らかになるにつれて、創造目的を指向する本心の自由を求める心情が、復帰されてくるようになり、それによって、神に対する心情も漸次復帰され、そのみ旨に従って生きようとする意志も高まるのである。


真理とは統一原理に留まるものではなく、復帰摂理の時代的恩恵により、神霊と真理が明らかになっていくとあります。本来の真理とは、1993年12月に真のお父様によって明らかにされた四大心情圏三大王権の解説が明確になったものであり、さらにその真の愛の中心にある真の父母様との関連性が解説されたものとなってこそ、究極の真理となるのではないでしょうか。


真のお父様が本来願った究極の真理は、「真の父母様の本体論」として現れるものであったのです。


その究極の真理の解説は、本となって発刊された著作とはなっていませんが、真のお父様は地上におられる時に、全て比喩と象徴による詩的表現で語られていたのです。


2004年5月5日の双合十勝日において、新天新地が開闢したその年の11月の「真の子女の日」において、これまでの「第8回み言で学ぶ本体論セミナー」で解説した女性の構想について明らかにしていたのです。


さらに、2004年5月5日双合十勝日の前月4月19日の「第45回真の父母の日」には、生素の吸収について、より明確になるみ言を明らかにされていたのです。


  *****


2004年4月19日『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』
 それでは、神様ご自身も、生まれるために心と体が一つになったのと同じように、その心と体が真の愛を中心として一つになっているので、真の愛を中心として心と体のようなものが、小さな所から大きくなってきたということです。


 神様も大きくなっていったのです。神様も大きくなり、アダムとエバが造られる時までにはすっかり大きくなり、もう一回り回って、すべて包括できる立場に入ってきたのです。無形の神様は、実体対象圏と関係を結ばなければならないのです。


 無形の世界の中心は縦的なもので、一点しかないので繁殖できません。霊界に行けば、繁殖できません。ですから、実体圏を連結させるべき責任があるのです。「創造原理」を中心として、神様はどのような存在としていらっしゃるのでしょうか? 二性性相の中和的存在です。格位では、男性格を備えた存在であるのです。これは偉大な言葉です。神様が二性性相の中和的存在として、心と体が一つになり、神様を中心として胎内にいる双子と同じです。


  *****


神様は愛によって生まれたと感動したのは、他の何ものをも意識していなかった自分中心な神様から、本性相が本形状に包み込まれた包容感により、包み返したいと願った心情の感激でした。そこから主体が対象を意識し始めて、夜の神様が絶対主体として立ち、絶対対象の構想を構築しながら、授受作用が意識上において展開し始めたのです。これが真の愛の起源であり、宇宙の根本となったのです。自体内の意識における授受作用により、対象と愛し合う構想を構築して行くとともに成長し、ついに神様は、全てを包括するまでに成長して創造が始まります。


「神様も大きくなっていったのです。神様も大きくなり、アダムとエバが造られる時までにはすっかり大きくなり」とお父様が語られているように、神様が何ものをも意識していなかった自分中心な神様から、生命を誕生させる親へと成長して行ったことが分かります。この神様の愛する対象を構想した期間にこそ、神様をも成長させた「生素」の奥義があるのです。


このみ言に続く、次のみ言を読んでいきます。


  ***


 真の愛を中心として、骨と肉が、骨と皮になり、骨があれば必ず皮ができます。すべてを見てみれば、骨には膜があり、そこに軟骨のようなものが連結され、すべてのものを連結できるのです。


ですから、骨のような神様の無形の実体が心的基準であり、それと皮のようなものを包括し、真の愛を中心として初めから一つになるのです。さらに、腹中の胎児に例えれば、胎児は父親と母親の精子と卵子が一つになって、父親の精子が骨になり、母親の卵子が皮になって、母親の子宮に入っていって大きくなるのです。


 それと同じように、神様も、無形の存在を中心として、神様の見えない宇宙の中で、腹中の胎児のように成長してきたのです。何を中心として成長してきたのでしょうか? それは真の愛です。


  ***


どんなに神様自身が成長して、真の愛が大きくなったとしても、最初に味わった包容感の感激を超えるものはないのです。他のなにものをも意識することなく、自分中心な喜びを求める存在から、対象を愛したくてたまらない真の愛に覚醒した感激を超えるものは無いのです。愛したくてたまらない心情に、神様は何故に覚醒したのかと言えば、愛したくてたまらない心情の根底に、真の愛に絶対服従して生きたいと願う心情が潜んでいたからです。その絶対対象としての心情が無意識世界に潜んでいたからこそ、形状が絶対服従性を持って願いを叶えてくれる包容感に刺激されて爆発的な感激をもたらしたのです。


ひとつの存在が愛から生まれるという実感は、一つの永遠の存在にとって、たった一度しか体験できないものです。そこで神様は刺激的な包み込まれる真の愛の感激を、永遠に持続させ、その喜びを与えるために、新たな生命を繁殖させることを発想したのです。


神様の息子となる男性には、絶対主体の心情の根底に絶対対象としての心情が潜んでいる神様と同じ心情世界を持つ個性真理体として誕生させるのです。神様のそのままの心です。その相対となる娘である女性は、神様の心情の根底に潜んでいた絶対対象としての心情、真のお父様の表現で言えば、形象的実体女性分野を抜き出して、その絶対対象としての心情と性質性格を中心として、男性と同じ主体と対象の関係で新しく構想した女性という個性真理体なのです。


その真の愛の絶対主体と絶対対象の関係性から生まれる個性真理体に、自らが聖霊を通して臨在しながら、生まれる命の数だけ、つまり、無限無数に愛から生まれる包容感の喜びを手に入れようとしたのです。誕生の喜びを永遠に存続できる関係性こそ親子の愛であり、父母の愛であり、その為の夫婦の愛であり、その為の兄弟姉妹の愛であり、その為の子女の愛の成長過程を構想するのです。つまり、夜の神様が実感した真の愛の包容感は、被造世界においては、四大心情圏となって現出するようになり、神様の血統として存続するようになるのです。


真の愛の母胎から誕生する包容感の喜びが、夜の神様にとってはたった一度の自らの生命の誕生という感激でしたが、息子娘の誕生と血統の存続により、無限無数に体験実感できる世界を構想したのです。一人一人の息子娘が孕まれると同時に、その生心に夜の神様は臨在し、誕生の喜びを共に体験するのです。誕生した息子娘が成長し四大心情圏を拡大展開しながら成就して行く喜びによって満たされる世界こそが、天一国なのです。その感激は、人間にも天一国の氏族メシヤの王王妃として、子孫の繁栄となって、同様の体験が出来る血統の存続の喜びとなって与えられたのです。


この無限数で増し加わっていく親子の生命システムの発想によって、愛する対象である女性格対象の被造世界の構想理想が、四大心情圏三代王権による天一国構想理想として完成することになっていくのです。


何ものをも意識していなかった自分中心であった神様は、本性相が本形状に包み込まれる包容感に感激し、愛により生まれたと実感し、対象を愛したいと願うようになりました。さらに絶対主体としての愛したくてたまらない心情の根底に、真の愛に絶対服従したい心情があることを悟り、真の愛に覚醒し、神様は新たに誕生したのです。


その真の愛の感激を、愛する対象としての存在体にもそのまま実現させるために発想したものこそ、親子の生命システムにより展開される四大心情圏だったのです。


それまでは自分の喜びを求める自存エネルギーを発動させていたのですが、真の愛を具現化する四大心情圏を実現する為に発動する心情エネルギーとなり、神様は大きく成長したのです。夜の神様は真の愛を、親子の生命システムにおける四大心情圏の成長過程を構想しながら、神様自身も大きく成長したのです。この成長期間は、神様自身が四大心情圏の子女の愛・兄弟姉妹の愛・夫婦の愛・父母の愛と展開拡大する構想理想を構築し、自存エネルギーから心情エネルギーへの変化をもたらしました。このエネルギーの変化にこそ生素の究極の真理があるのです。


この自分中心な神様を創造主としての心情の神様へと成長させた要因こそが、自存エネルギーに真の愛を現出する為に現れ発現した「生素」なのです。夜の神様は真の愛を具現化された世界を構築する為に、親子の生命システムを発想し、四大心情圏の展開によって天一国理想を実現しようとしました。その四大心情圏の具体的な構想を立てながら、神様の心情も子女から父母へと成長して行ったのです。


「生素」とは神様が創造主として成長する為の要因となっていたものでした。その生素を、そのまま被造世界に展開させたのです。


真のお父様が比喩と象徴の詩的表現で「生素」についた語られた2004年4月19日『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』において、生素に関する結論で、次のように語っています。


「それで、これを実体圏に移しておくためのアダムとエバの創造であったということです。分かりますか?」


夜の神様が創造主へと成長し完成するために、最も重要となった「生素」が如何にして発生し、被造世界に展開されるに至ったかを、次回セミナーで解説します。




第12回み言で学ぶ本体論セミナー



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