愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

韓氏オモニは真のお父様にとって天宙復帰摂理において「賭け」とならざるを得ない存在になっていた!

これまでシムソンは、「諸星くると」というハンドルネームにおいて公開してきた記事に、数限りない批判を受けてきました。しかし、それらの批判は、逆に私の主張の正当性を、真実として裏付けるものになって来たのです。


なぜなら、私も批判する方々においても、真のお父様を慕うが故の互いの主張ですから、結局はその心情において相対基準を結び、神様が答えを与えてくれる基台となるからです。


批判する方たちも共に、真のお父様を慕うものとして、私の主張の正当性を証しする役割を担ってきてくれたのです。


tomy4509さんも真の父母様を慕う心情で、私の記事に対して批判してくれました。Re:シムソン氏の仮面(劇)が剥がれ「茶番劇」に!! | 奇  知  外  記 - 楽天ブログという記事を公開し、「仮面劇」という日本語訳が正しくないと主張しています。


『お父様のみ言選集367巻からの引用で「仮面劇(가면극)をして」は故意に歪曲した訳であった。原文は「劇」または「ゲーム」ぐらいの訳が当てはまる。』


このように主張していますが、韓国語の原文をgoogle翻訳にかけた日本語訳からの判断だということです。他の翻訳機にかけると、また別の翻訳が出てきます。


まずは、み言選集の日本語訳から・・・。


み言選集367巻に掲載されている日本語訳
先生はそれを知っているので、先生の基準までお母様を引き上げるのです。嫌だと言っても引き上げて、引き上げながら行くのです。その為、荷物を積んだ車の車輪が一つ故障しても、荷物を積んで倒れずに目的地にさえ行けばいいのです。分かりますか?支障があっても、音がしても。音がするからとそれを遮断することはできないのです。
ですから、そのような音がならないように修理して、代わりにすることができれば代わってすればいいのです。少しでも進むことができるように、仮面劇をして行かなければならないのです。ですから、絶対に引っかかってはならないというのです。お母様はそのようなことがよく分かりません。先生が耐えて超えるのです。ですから、今、二つの峠しか残っていません。それをお母様は分かっていない。それが何であるか分からない。
(み言資料:み言選集367巻 - 263ページ 2002.1.23.ハワイキングガーデン)


  **以下、翻訳機による日本語訳**


tomy4509さんが提示したGoogle翻訳
いつもそう考えるといない。最後に行っては、自分が参加しなければならなりません。先生が担当したのが、世界的なのに、先生がなくなるとき、母親が責任をしなければならんです。息子、娘たちが誰を見てみましょうか?父がないから母を見つめたときに、母が父の代わりにすることができる、このようなをせずには、子どもたちが行うことができなくなると、その家は混乱が起きますよ。
先生はそれを知っているので、先生の基準だけ母を引き上げてくれるんです、嫌だとも。引き上げてくれて、引き上げてくれこうしながら続いて出てくるんです。
そのため、荷物を載せたグルーマーの車輪が一つ故障している場合でも荷物を積んで倒れずに目的地のみ行けばと思います。知っている?支障があっても、音が発生しても。音出るそれ処断することはできないんです。だからそれを音を知った日ことができるよう修理してくれて、代わりにすることができれば代わって必要されるでしょう。ひと回りコロラド行くことができるよう
して越えなければなられるんです。
だから絶対かからなというのです。母がそのようなことをよく知りません。多くの先生が参考越えね。だから、今二頭しか残っていた。それ母は知らない。それが何であるかわからない。


エキサイト翻訳から
いつもそのように考えてはいけません。 終わりに行っては自分が参加しなくてはなりません。 先生が責任を負ったのが世界的なのに、先生がなくなる時はお母さんが責任をすべきですか。 息子娘が誰を眺めるか? お父さんがないからお母さんを眺めることになる時、お母さんがお父さん代ることができるこのような賭けをしなくては、子供たちができなくなればその家庭は混乱が広がります。?
先生はそれを分かるので先生の基準ぐらいお母さんを引き上げますよ、嫌いだといっても。 引き上げて、引き上げてこうして繋いで出ますよ。

?そのために荷物を積んだ九塁魔の輪が一つ故障したとしても荷物を積んで倒れないで目的地にだけ行けば良いですか。 分かりますか? 支障があっても、音がしても。 音がするとそれを処断できませんか。 なのでそれを声出られないように修理して、代れると代らなければなりませんか。 ひと回りでも行けるように賭けしておいて移らなければならないんですって。?
それで絶対かからなくしますよ。 お母さんがそんなことをよく分からないです。 たくさん先生ががまんしますね。 それでもう二の峠しか残りませんでした。 それをお母さんは分からないです。 それが何か分からないです


Weblio翻訳から
いつもそのように思えばならないです. 終りへ行っては自分が同参しなければなりません. 先生が責任を負ったのが世界的なのに, 先生がいなくなる時はお母さんが責任をしなければならないんです. アドルタルドルが誰を眺めるか? お父さんがいないからお母さんを眺めるようになる時, お母さんがお父さん代わりをすることができるこんな遊ぶことをしなくては, 子供達ができなくなればその家庭は混乱が起ります.
先生はそれが分かるから先生の基準位お母さんを引き上げてくれるんです, 嫌いだと言っても. 引き上げてくれて, 引き上げてくれてこういいながら引き続き出るんです.
そうだから荷物を積んだ1のタイヤが一つ故障しても荷物を積んで倒れないで目的地にさえ行けば良いんです. 分かりますか? 差し支えがあっても, 音がしても. 音がするとそれを処断することができないんです. だからそれを音出ないaことがあるように修理してくれて, 代わりをすることができれば代わりをしてくれなければならないんです. 一回りででも行くことができるように
賭けしていて移らなければならないんです.
それで絶対かからないと言うことです. お母さんが言うことをよく分からないです. たくさん先生が我慢して移りますね. それでこれからは二つの峠しか残らないgです. それをお母さんは分からないです. それが何やら分からないです.


  **翻訳機訳終了**


Google翻訳では「劇」と訳され、エキサイト翻訳・Weblio翻訳では「賭け」と訳されています。翻訳機は機械的に訳しますが、語っている真のお父様は、天宙復帰摂理をかけて語っています。お父様のみ言選集を日本語に訳した方も、そのお父様の心情に相対しようと、条件を立て決意をもって訳していることは間違いのない事です。その訳する方に、神様が働かないでしょうか。


tomy4509さんはどうやら、心情の働く余地の無いコンピューター翻訳をのほうを選んだようです。


でも、翻訳機で訳された日本語でも、「劇」であり「賭け」となっています。真のお父様は、当時の真のお母様に対して、「賭け」と表現するしか無い状態であったという事です。どんなに正しい道をお父様が願ったとしても、韓氏オモニが自ら悟るべき責任分担に触れることも出来ないのです。韓国人幹部たち・日本人幹部たちに対しても同様です。


さらにtomy4509さんは、私が取り上げていなかった部分まで掲載してくれました。次の部分です。


Google翻訳
「いつもそう考えるといない。最後に行っては、自分が参加しなければならなりません。先生が担当したのが、世界的なのに、先生がなくなるとき、母親が責任をしなければならんです。息子、娘たちが誰を見てみましょうか?父がないから母を見つめたときに、母が父の代わりにすることができる、このような劇をせずには、子どもたちが行うことができなくなると、その家は混乱が起きますよ。」


エキサイト翻訳
「いつもそのように考えてはいけません。 終わりに行っては自分が参加しなくてはなりません。 先生が責任を負ったのが世界的なのに、先生がなくなる時はお母さんが責任をすべきですか。 息子娘が誰を眺めるか? お父さんがないからお母さんを眺めることになる時、お母さんがお父さん代ることができるこのような賭けをしなくては、子供たちができなくなればその家庭は混乱が広がります。」


これは韓氏オモニの指導で行われた、1995年9月5日からの120日間祈祷にも当てはまることを示唆しています。この120日間祈祷において、韓氏オモニが真の子女様方を、どのように導くかが、その後の真の家庭の有り方に取り返しようもないような影響を与えるものとなるのです。


ですから、祈祷が始まって9日後、1995年9月14日から20日までの「真の母」による日本巡回講演において、エバ国家の日本食口との間に、どのような相対基準を結び授受作用をしたのかが問われるのです。韓氏オモニが出会ったのは、摂理の前線に立つ食口ではなく、その兄弟姉妹を上下関係で支配する韓国人幹部たち・日本人幹部たちだったのです。tomy4509さんはすでに、その幹部たちの一人となっているのでしょうか?


このみ言を基点として、真の母の完成の為の摂理の全貌を見渡した時、「仮面劇」という訳が、最もふさわしい事が浮かび上がって来るのです。それをこれから書き進めて行くのです。



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