愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

韓鶴子氏は真のお父様の全偉業を我がものにしたつもりだが肝心要の神様の母性を奪えなかった!

tomy4509さんが、彼のブログ記事において、神様が天の父母様であることを、真のお父様が語っているみ言として引用してくれた、『ファミリー』2004.6月号、『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』を解説しようとしています。


tomy4509さんはそのみ言の中で、「父母である神様」と語られている事から、神様が天の父母様だと、真のお父様自身が語っているみ言と受け止めているようです。「父母である神様」と「父母様である神様」は全く意味するところが違ってくるという事を、tomy4509さんは理解しがたい事のようです。「父母である神様」は神様お一人でも成立する表現ですが、「父母」を「父母様」にしてしまうと、神様は父と母の二人であるという事になります。それに引用してくれた全文を読めば、神様は男性格主体の天のお父様であることを強調しているみ言だと理解できます。それも、神様は男であると断言しているのも同然のみ言です。


昨日、家庭連合に所属しながら、家庭連合に失望している兄弟と会いました。私が4回担当した首都圏礼拝での、動画のDVDが欲しいというので、ユーチューブからダウンロードしDVDに焼いて4枚を差し上げました。その時の会話で、彼は私の礼拝を最初に聞いた時は、理解しようとする気持ちさえ起きなかったというのです。語るごとに涙を流してしまう姿が理解できないというのです。その彼が、私の語る内容を理解しようとする努力を始めようとしてくれました。


私は最初の2017年3月に、私にとって最初となる首都圏礼拝を担当しました。それまで私が多くの方々から批判を受けていた頃から応援してくれていた方は、聖霊が降りてくると、涙でぐしゃぐしゃになって語ることになるからね、と言っていました。私は語るごとに、神様の悲しみが降り注ぎ、真のお父様の切なさが胸に迫り、ほとんどいつも涙と鼻水にまみれて語ることになります。


その姿でまず、引いてしまっている方々もいるのだという事に気付かせてもらいました。


簡単単純にした比喩になりますが、1+1=2であり、1+2=3という性質の話でないと、受け止めきれない方々がいるのだという事を自覚しました。1+1+(聖霊)=永遠というような話は、スルーするしかないということであり、気が狂っているという事になります。


それで、1+1+(聖霊)=永遠というような話でも、理解できるようにできる表現を開拓しなければならないという事になります。


そのようなことを踏まえて、tomy4509さんのコメントを見てみましょう。


  **tomy4509さんのコメント(その1の末部)**


お父様は「天のお母様」は居られないと言っているのでしょうか? それとも?


「天のお父様」だけでは不完全です。真の愛ゆえに「ハナニム」が夜(+)昼(-)に分かれました。単独では愛することが出来ないからです。説明図は「ハナニム」(正)から夜・昼(分)、そして、子女(合)となるべきです。


  **tomy4509さんのコメント(その2)**


記事本文からの引用


>「神様はお父様なのですが、お父様は父母様でしょう。」のみ言は、父と表現されているのは神様本体の夜の神様であり、母と表現されているのは被造世界の構想理想が組み込まれた昼の神様の事です。ですから、女性格対象の霊的な働きです。そこで、実体のない存在を「お母様」と呼ぶことは出来ないし、神様本体を父母様と呼ぶことも出来ません。(ここまでは私の記事からtomy4509さんが引用した部分)


創造を始められる前の神様が「夜の神様」(単身)だとすれば、「夜の神様」もまた実体のない存在の「お父様」ということになります。「上」というときは「下」、右であれば左、男性であれば女性を想定して語るものです。「ペアシステム」、これはお父様のみ言でしょう。「独生子」の相対としての「独生女」もお父様が語られていた「ペアシステム」です。「父母」もそうでしょう。「母無くば父無し」、それが先に挙げたお父様の16歳のときの疑問だったということです。


男性に子宮がありますか? 息子。娘も母親から生まれてきます。これが原理(自然の理)です。イエス様といえども母マリヤからでした。


さてシムソン氏、「天のお父様」の「オッパイ」の話も聞いてみましょうか?


  **コメント引用終了**


神様本体が愛し合う対象を創造する為に、構想理想を練った訳ですが、夜の神様から(昼の神様となる)心情エネルギーが発動されるという事象も、正分合作用で理解しないと気が済まないようです。


真のお父様が「夜の神様と昼の神様が分かれた」と語られたのは「正分合作用」の話ではなく、人類始祖が堕落したことによって分かれざるを得なくなったということです。


お前たちは、アダムの実体的存在、イエスの実体的存在、真の父の実体的存在、夜の神、昼の神、といったものを知らないのだ。夜の神と昼の神がなぜ分けられてきたのかを、お前たちは知らないのだ! これがお前たちのありさまだ。
夜の神と昼の神は相争ってきただろう。
(2011年8月9日 ラスベガス平和宮)


夜の神と昼の神が分かれてしまった。心と体の闘争していない者、手をあげてみなさい。手をあげなさい! 誰もいないのか? なぜそうなのか。心と体が分かれてしまったという事実は、夜の神と昼の神が分かれてしまったという事実から発している。(2011.11.24 天正宮訓読会でのみ言)


昼の神様の出現は分かれたという現象ではなく、神様の成長の話なのです。創造前の夜の神様が、成長して見えない手足(昼の神様)を駆使できる創造後の神様となったという事です。


ですので、tomy4509さんが私にプレゼントしてくれた、『ファミリー』2004.6月号『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』には、神様の成長の話が盛り込まれています。


韓鶴子氏は、真のお父様の全偉業を我がものにしたつもりでいるのでしょうが、肝心要の神様の母性を奪えませんでした。神様の母性とは、昼の神様と聖霊の事です。ですから、韓鶴子氏が発揮している母性は、サタンから受け継いだものです。韓鶴子氏は、昼の神様と聖霊の意味さえ分かりません。ですから、家庭連合の幹部にも講師にも食口にも教育ができません。聖霊と相対する事も無く、神性を帯びる事も無く、今日も献金と、その為の伝道に追われています。「夜の神様、昼の神様」が理解できないとは、致命傷です。


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