愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

真のお父様の指で頬を撫でられ、抱きしめられたいならこの記事を読まなければなりません!

先々回記事末部より


アダムとエバの心の中に臨在するのは、ともに昼の神様です。アダムの個性真理体としての主体的人格を形成し、エバの個性真理体としての対象的人格を形成します。ですから、真のお父様の個性真理体としての愛の人格を形成するのは昼の神様であり、真のお母様の個性真理体としての愛の人格を形成するのも昼の神様です。つまり、真のお父様も真のお母様も、昼の神様の実体として完成するようになっています。


しかし、真のお父様は生命が聖誕したその時から、霊体の生心に夜の神様が臨在されるのです。昼の神様の臨在と異なり、夜の神様は昼の神様の実体である真のお父様の、生心に通じる感覚器官を共有するのです。肉体の感覚器官と霊体の感覚器官を共有しますから、地上界でも夜の神様は真のお父様の生心に臨在し、霊界でも霊体の生心に臨在されるのです。


つまり、夜の神様は地上界で真のお父様の姿で現れており、霊界でもお父様の姿で現れているということです。


  *****


真のお父様は、夜の神様から独立して完成した愛の人格を持っておられます。


その真のお父様の肉体と霊体の感覚器官を、夜の神様は共有しておられます。真のお父様が、地上界及び霊界において感じ取る知情意愛における振動的な刺激を、真のお父様と同様に実感されます。しかし、その刺激的実感を受けて展開する思考や心情は、夜の神様と真のお父様では違っています。肉体と霊体の感覚器官を共有していても、夜の神様の神格と、真のお父様の人格は別々に存在され活動されているのです。夜の神様が真のお父様の人格を押しのけて、肉体や霊体を利用することなどはありません。


なぜ、感覚器官を共有されるかと言えば、夜の神様も成長し真の愛を実感されようとするからです。次の天聖経のみ言を再度掲載します。よく読めば、新しい理解が浮かび上がって来るはずです。


真の神様 第一章神様の本体2)無形の神様は体が必要①体をもつためにアダムとエバを創造
神様はどうしてアダムとエバのような形を必要とするのでしょうか。万物は形状的な形をもっていますが、神様は無形の存在です。神様はどのような形ももっていません。大きいと言えば無限大です。小さいと言えば無限に小さい方です。そのような方がどんな標準的な形を形成し、形体を現したとしても実体をもった万物はその神様に直接主管されません。ですから実体をもった被造世界においては、実体をもった主人的人格と形を備えた存在がなければならないのです。神様は地上万物の主管だけではなく、無限な霊界も主管しなければなりません。天使長や様々な形体をもった実体、そして無形の実体までも主管するにはその中心的タイプ、すなわち形状が必要です。それで神様はアダムを創造されたのです。
            
アダムを中心に霊肉両面の世界、無形実体世界と有形実体世界を主管されようとするのが神様の人間創造の目的です。
したがって一つの人格的実体と関係を結ばなければならないので、アダム完成とともに神様の形状完成、すなわち形が完成するのです。神様はアダムを造られる時、彼の形態、人相、人格などが無形世界の中心にいらっしゃる神様のような姿にならなければならない、という考えをもってアダムを造り出されたのです。形がなければ形の世界を主管できないのです。


夜の神様は、愛し合える対象を創造し、愛を実感したいという、自らを突き動かす衝動力を獲得しました。それは神様が存在する次元から、創造した被造世界に誕生したアダムとエバの愛し合う姿を見るだけで充足するものでは無かったのです。


天聖経の「真の家庭 第一章 創造本然の真の家庭」から抜粋引用します。


1)アダムとエバを通じた神様のみ旨
神様の創造目的とは何でしょうか。アダムとエバをつくったのは、ただながめる為ではありません。男性と女性をつくったのは、男性は男性として、女性は女性として年老いて死んでいく為ではありません。彼らが成長し、互いに異性に対する相対的な心情を通して、神様を中心とした人類の真の地上天国を建設する様にする為でした。神様を中心とした愛の巣をつくる様にする為だったのです。


ここにおいて男性であるアダムは天を代表し、女性であるエバは地を代表します。それ故彼らは二人ですが、彼らが横的に一つになれば、天と地が統一されるのです。神様の愛を中心に二人が統一されれば、天宙は自動的に統一されるのです。


この天聖経のみ言の極意が理解できるでしょうか。このみ言を理解して、真のお父様と真のお母様が存在する意義と価値が明確になるのです。


夜の神様は愛の理想世界を実現するために、親子の生命システムによって現出する家庭を構想しました。その家庭で展開される四大心情圏を、一人一人が体恤することによって建国される天一国を、理想として掲げたのです。


その天一国に愛の理想が展開するのを、見るだけで満足できるものでは無いのです。よく考えてみましょう。見ると言っても、形のない神様では見ることも出来ないのです。自分が創造した理想世界の美しい光景を、無形の神様のままでは見ることも出来ないのです。人間として誕生した息子娘を、そのままの形で見たいと思うのは、親として当たり前の心情です。ですから、人間と同じ眼を持たなければならないし、息子娘の声を聴きたいと思ったならば、我々と同じ耳を持たなければならないのです。


息子娘を抱きしめたいと思ったならば、手を持たなければならないし、握りしめて頬を撫でる指を持たなければならないのです。故に、無形の神様のままでは愛を実現することは不可能なのです。霊界に行っても同様です。人間の霊体と愛の授受作用をする為には、同じ霊体を持たなければならないのです。そこで、夜の神様は、肉体と霊体を着るようになるのです。夜の神様が着ることのできる肉体と霊体は、たった一人、真のお父様のものだけなのです。そして、何百億何千億にもなり、未来永劫に増え続ける息子娘をどのように愛するかが、次のみ言葉に表れているのです。


そんなはずはないと怒り狂う人もいるでしょう。文鮮明師は真のお父様と呼ばれても、我々と同じ人間であり、愛の人格者に過ぎないと思っている方も多いでしょう。我々と同じ人間であることは間違いありません。我々と同じ、聖霊の働きによって愛の人格を完成させ、昼の神様の顕現者となることにおいては変わりありません。しかし、そのお父様には、生まれた時から夜の神様が臨在されているのです。


「ここにおいて男性であるアダムは天を代表し、女性であるエバは地を代表します。」

この天聖経のみ言こそ、次の「夜の神様、昼の神様」のみ言と、ある意味においては密接に関係するものなのです。(堕落性を帯びて成長してきた私たちにとっては複雑なものでもありますが・・・。)


「私(真のお父様)は夜の神様の管理を受け、お前達(真のお母様と人類)は昼の神様の管理を受けるのだ」

読んで下さる方々の理解を踏み台として、一段ずつ説明の次元を高めて行きます。



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