愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

清平役事と氏族メシヤ摂理が神様の願いと真逆になった本質的原因が段々に見えてくる!

先回記事末部より


この地上の食口と霊人が共に行う氏族メシヤ活動は、当時において、夜の神様と真のお父様でしか知る由もない、壮大な天宙史的摂理へと拡大発展していくはずでした。そのことの詳細は天聖経「真の神様」の「第1章神様の本体」の真の意味するところを理解しなければ、受け止めていただくための霊的基台が出来ません。ですから、後ほどの記事で明らかにすることになります。


ここで説明しておきたいのは、霊人たちが如何にして再臨協助し、どのような霊的機能を持って地上人の肉体と繋がるかということです。霊人は地上人の肉体をもって、過去の罪を蕩減復帰し、心情復帰していく事になるのですから、どのような関係性を持っているものなのか知らなければなりません。そこに、神様の本体との関係性を知ることのできるポイントがあるのです。


夕となり朝となるのを待って、次回の記事で記述します。


  *****


氏族メシヤ活動を行う食口たちに、清平役事により教育を受け原罪を贖われた霊人(絶対善霊)たちが再臨協助するようになるはずでした。過去の罪を蕩減復帰するとともに、地上の食口たちと共に成長し、四大心情圏を実感できるようにならなければなりません。心情を実感し体恤するためには、肉体が絶対必要であることは理解できると思います。


原理講論 第五章復活論 第二節 復活摂理 (一)復活摂理はいかになされるか
第三には、創造原理に照らしてみると、人間の霊人体は、肉身を基盤にしてのみ成長し完成するように創造されている。したがって、復帰摂理による霊人体の復活も、これまた地上の肉身生活を通じて、初めて成就されるようになっている。


それでは、霊界に入ってしまった霊人は、地上人の肉身にどのように繋がって愛の実感をともにするのでしょうか。


原理講論 第1章創造原理 第六節 人間を中心とする無形実体世界と有形実体世界
(三)肉身と霊人体との相対的関係(2)霊人体の構成とその機能
この霊人体は生心(主体)と霊体(対象)の二性性相からなっている。そして生心というのは、神が臨在される霊人体の中心部分をいうのである。霊人体は神からくる生素(陽性)と肉身からくる生力要素(陰性)の二つの要素が授受作用をする中で成長する。また霊人体は肉身から生力要素を受ける反面、逆に肉身に与える要素もあり、我々はこれを、生霊要素という。


再臨復活した霊人の霊体の成長は、肉身からくる生力要素無しには有り得ないということです。とすれば、地上人の霊体が肉体と密接に繋がっているように、再臨協助する霊人の霊体も、協助する地上人の肉体と繋がらなければならないのです。


何によって、どのように繋がるのかを理解するために、天聖経の真のお父様の御言より抜粋します。


天聖経 人間の生と霊魂の世界 第2章 霊界はどのような所か3)霊人と地上人の関係
② 霊人たちの霊界での立場
 理想を探し求めていく過程で、霊的なものと肉的なものが一つになるのは何によってでしょうか。霊的な世界は霊界で、肉的な世界は地上世界ですが、霊的世界と地上世界を一つにするには、入れ変えなければならないのです。
自分の物をもっていてはいけません。すべて与えてこそあちらが来て、また向こうからすべて与えてこそ、こちらがあちらへ行くのです。失った位置へ行くのです。(147-94, 1986.8.31)


③ 霊人たちの完成も地上人を通さなければならない
 先生が皆さんに厳しい生活をさせ、苦労させることは皆さんが憎くてそうするのではなく、皆さんを生かしてあげるためにするのです。すべて、皆さんを生かしてあげるためだということを知らなければなりません。皆さんを生かしてあげるために苦労させるということを知って、有り難く思わなければなりません。そうすれば天の心情世界、新しい心情世界が展開するのです。そのようにすることが順序です。そのようにして心情的紐帯をもってこそ、天の命令ならばどこでも飛んでいけるのです。世界を引っ張っていく機関車のような責任を果たそうと考えれば、霊界が協助します。そのような考えをすれば、霊界が間違いなく協助します。(96-279, 1978.2.13)


心情的紐帯とは、何のことでしょうか。紐帯とは、「二つのものを固く結びつけるもの」という意味があります。次のみ言では、「神様の心情で涙を流せる共鳴力」と語られています。まさしく、これこそ心情的紐帯となるものではないでしょうか。


 早朝に起きて、その町内のために、自分が引き受けた責任地域のために、祈祷しながら涙を流さなければなりません。その道は、心情的でありながらも、また霊界と霊的な因縁を結ぶ道です。神様が町内を見下ろせば、みな地獄に行くしかない人間なので、涙を流さざるを得ないではないかと思って、神様の代わりに自分が涙を流すということを自ら感じるというのです。神様の心情で涙を流せる共鳴力が生じれば、霊界が総動員するのです。(96-282, 1978.2.13)


神様の心情で流す涙こそ、神様と私が共鳴し合い、固い紐帯で結ばれるのです。そして同じように、原理を学び原罪を贖われた霊人たちが、神様の心情で涙を流せば、神様との紐帯となり、同時に霊人と地上人を結ぶ紐帯ともなるのです。それは霊人の心情にも、地上人の心情にも「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」の火が燃え上がったということです。「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」の無私の心情で結ばれた関係こそ、お父様がみ言で語られた次の内容になるのではないでしょうか。「自分の物をもっていてはいけません。すべて与えてこそあちらが来て、また向こうからすべて与えてこそ、こちらがあちらへ行くのです。失った位置へ行くのです。」


そのような心情的紐帯で結ばれた霊人と地上人は、どのように結ばれ合うのでしょうか。


④ 霊界の協助と確信
 今までの宗教は、霊界と肉界を連結させることができなかったので、霊的な精誠を尽くして縦的な面に拍子と波動が合って初めて接触できましたが、今は、その放送局自体に入りました。振動盤のような位置に立ったというのです。波動ではなく、波動を起こす送信機自体だというのです。ここで何千周波数にしようと、何十周波数にしようと、短波にしようと、くっつければ波長、電波をすべて出せます。
 私が放送局をもったので、「霊界にいる私たちの先祖が来て、私に協助してください。善の先祖よ、来て協助してください。そのようなバイブレーションが必要です」と言えば、さーっと来て……。個人を呼んでも動かすことができ、家庭を呼んでも動かすことができ、氏族圏、民族圏、世界圏を中心として連結させ得る踏み台が地上にできてきたので、それが動いて降りてくるというのです。
このようになれば、今まで私の体はこのように行こうとしたのですが、我知らず回って、引っ張られていくのです。
 二人の霊人体が来て、私一人をつかんで引っ張れば、私はつかまれたことが分からないので、引っ張られていくしかないでしょう。はた目には、一人で走っていくように見えるのです。皆さん、それを信じますか。これは空論ではありません。理論的です。
(162-105, 1987.3.30)


真のお父様は、霊性が低い私たちにも分かりやすく語られています。「二人の霊人体が来て、私一人をつかんで引っ張れば、」と語られています。しかし、実際はどうなのでしょうか。協助する霊人が、地上人に神様が取ることのできる善なる条件を立てさせるために、手を引っ張ったり、背中を押したりして、果たして地上人の肉身から生力要素が流れてくるのでしょうか。


地上人の肉身と霊人体が一体となっているように、霊人の霊人体が、地上人の肉身と繋がらなければ流れてこないのではないでしょうか。お父様は私たちでも理解できるように、「つかんで引っ張れば」と表現されましたが、実際はどのような事が展開しているのでしょうか。地上人の肉身と繋がり共用していても、善なる霊は地上人の責任分担を侵してはならない事を知っています。完全な対象として立ちながら、心情的紐帯で繋がるために、持てる愛と心情の限りを尽くして訴えてきます。地上人と相対基準を作ろうとしてきます。地上人が自らの責任分担で相対基準を作るようになった時、強力な衝動力で引っ張られるようになるのです。


その時にこそ、神様と地上人が心情的紐帯で繋がり、地上人と霊人が心情的紐帯で繋がり、地上人と霊人の両者の霊人体に神様の生素が送られ、両者の霊人体に肉身から生力要素が送られるのです。生素と生力要素は授受作用し、地上人においても、霊人においても成長するようになるのです。しかし、地上人には、全て自分の意志と心情からの行動としか思えていないのです。ですから、何よりも神様への感謝と、善なる天使たち、善なる先祖たちへの感謝がなければなりません。さらに、善なる天使たちや善なる先祖たちを導いている聖霊への感謝が無ければなりません。


そのようにして、互いの生心に神様が臨在して下さるようになるまで成長するのです。


原理講論で表現されている神様は、夜の神様と昼の神様に分かれていない神様です。ですから次の原理講論の一節には、注釈が必要です。


「生心というのは、神が臨在される霊人体の中心部分をいうのである。」


この原理講論の一節により、人間は愛の人格を完成させれば、すべての人間の生心に神様が臨在して下さると理解していたでしょうか。夜の神様ならば臨在されると表現することが出来るでしょう。でも、昼の神様ならどうでしょうか。それは次回の記事で明らかにしましょう。原理教育を受け、原罪を贖われ、再臨協助に臨む霊人たちと、地上の食口たちの隔たりも、段々と見えてくるでしょう。



お父様の心情に迫りたい方はクリックを
↓ ↓ ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭平和協会へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する