愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

これからブログに記述する蕩減と責任に関する内容は、全て夜の神様と真のお父様に捧げるものです!

先回記事末部より


それでは、神様も天使長も、どちらも原理を守った中で、人類始祖が未完成期間を成長すれば、どのような事が起きるのでしょうか?


私たちは真のお父様によって、人類始祖と天使長が堕落してしまった経路は知ることができました。ところが、人類始祖が「戒め」を守り、完成して三大祝福を完成していく過程で、天使長ルーシェルが体験する出来事や心情圏に対しては無知なままです。人類始祖が体験していく心情圏においても無知だと言えるでしょう。


それについて考えて行きたいと思っています。なぜならば、そこが分からないと私たちが蕩減復帰するべきものが何なのか見えてこないからです。


ともかくも、最も重要な本質的な記事に入ろうとすると、いつも、それまで金考南や郭ジョンファンなどの個人名を出した刺激的な批判の記事で集まって来た読者が、一気に引いていきます。


これから大事な内容に入ります。


  *****


私は、このブログを記述し公開するにあたっても、また著作「夜の神様と真のお父様が勝利された極秘戦略の全貌」第1巻においても、真のお父様が語られていない内容まで踏み込んで書いています。


統一教会や家庭連合では、真のお父様のみ言にないものや、統一原理に書かれていない内容は、徹底して否定されたり、受け入れられない風潮があり、そのような環境が出来上がっていました。家庭連合では現在でも変わりないでしょう。


しかし、再臨主には再臨主としての責任分担があり、真の子女様には真の子女様としての責任分担があり、祝福家庭にも堕落人間として生まれ原罪を贖われ祝福を受けたものとしての責任分担があるのです。


  **天聖経より引用開始**


第8巻 罪と蕩減復帰 第1章 蕩減・復帰原理の根拠 2) 人間に責任分担がある


 レバレンド・ムーンを神様が愛されますが、人間の責任分担を果たす過程で蕩減路程を行くときには、神様は協助できません。私自身がサタンに勝っていかなければならないのです。サタンとサタン世界に勝っていかなければならないのが本来のアダムに許された理想圏でしたが、その理想圏を凌駕し なければならないというのです。(124-304,1983.3.1)


 結局、責任分担があるから蕩減も生じるようになったという事実を知らなければなりません。もし責任分担がなかったならば、神様はいつでも主管することができるのです。堕落するとき、「おい、そうしたら駄目だ」と言うことはできますが、人間の責任分担があり、神様が干渉することができない立場にいたので、人間が堕落し、サタンが活動するのを防止することができなかったという事実を知らなければなりません。(87-120,1976.5.23)


  **引用終了**


真のお父様が再臨主としての責任分担を全うし、全てに勝利されていたとしても、サタンは祝福家庭の讒訴条件ゆえに真のお父様と真の家庭を攻撃できていた事は、周知の通りなのではないでしょうか。


だからこそ、祝福家庭のそれぞれが、自らの責任分担を理解できていたか?蕩減復帰において、何を蕩減しなければならないのか?を見つめ直さなければならないのではないでしょうか。


今まで学んできたことや、自分なりに理解して来た内容を、いったん白紙に戻して、み言と原理を学び直さなければならないのではないでしょうか。


  **原理講論より引用開始**


堕落論 第四節 人間堕落の結果(二) 人間世界に対する サタンの活動
地上天国を復帰するということは、全人類がサタンとの相対基準を完全に断ちきり、神との相対基準を復帰して、授受作用をすることにより、サタンが全く活動することのできない、そのような世界をつくることをいうのである。終末に至って、サタンを底なき所に閉じ込めると言われたみ言は、とりもなおさず、サタンの相対者がいなくなることによって、サタンが活動できなくなるということを意味する。人間がサタンとの相対基準を断ち、更に一歩進んでコリントⅠ六章3節のみ言のごとく、それらを審判するためには、サタンがサタンとなった罪状とその正体とを知り、神の前にサタンを訴えるようにならなければならないのである。ところが、神は天使と人間とを創造されるとき、彼らに自由を与えられたので、これを復帰するときにも、神は彼らに強制することはできない。それゆえに人間は、あくまでも自分の自由意志による責任分担としてみ言を探しだし、サタンを自然屈伏させてこそ、創造本然の人間に復帰することができるのである。神はこのような原則によって摂理されるので、復帰摂理歴史は、このように長い年月にわたって、延長に延長を重ねてきたのである。


  **引用終了**


「人間がサタンとの相対基準を断ち・・・」と書かれています。メシヤは生れた時からサタンとの相対基準を断ち切った無原罪で生まれてきますから、ここで書かれている「人間」とは、堕落人間のこと、つまり私たちの事ではないでしょうか。


原罪を持って堕落人間として生まれたにもかかわらず、再臨主との出会いに恵まれ、祝福までいただき、天一国主人となれるよう教育を受け愛された私たちです。だからこそ私たちは、あくまでも自分の自由意志による責任分担としてみ言を探しだし、サタンを自然屈伏させなければならないのではないでしょうか。


原罪無く聖誕された真のお父様や真の子息様が、どんなにサタンを自然屈服させ得る基準を立てても、私たち祝福家庭がサタンを自然屈服させる基準まで行かなければ、サタンは真のお父様と真の子息様を讒訴できる条件を握ることができます。


真のお父様は聖和を間近にして、初めて「夜の神様、昼の神様」のみ言を語れるようになりました。まだまだ、地上で語りたかった奥深いみ言があったはずです。しかし、「最後の祈祷」で「すべて成し遂げた。」と祈られたように、基本となり根本となるみ言は地上に残されたということです。


あとは私たち祝福家庭の責任分担において、お父様が語られたみ言の真意を見出し、夜の神様と真のお父様に喜んでいただけるように捧げなければならないのではないでしょうか。


これから記述する内容は、み言としては明らかにされていない内容も書かれて行きます。私自身の天一国主人としての自由と責任において書き進めます。



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