愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

家庭連合食口とサンクチュアリ食口の感じ方の違いが良く分かる記事「神様が真の愛に目覚める瞬間」!

先回記事末部より


ですから、アダムとエバへの神様の臨在は、同じ臨在と表現されても、臨在の仕方が違うのです。それを真のお父様は、「私は夜の神様の管理を受け、お前たちは昼の神様の管理を受けているのだ。」と表現されたのです。


真の母と、その他の人類への臨在の仕方は同様です。昼の神様の実体と成って、昼の神様の管理を受けます。真のお父様も昼の神様の実体として完成しますが、生心に夜の神様が臨在されるので夜の神様の実体と成るのです。


夜の神様は真のお父様に臨在され、真のお父様の心と体の感覚を共有されて、神様の妻である真のお母様を愛して完成し、天地人真の父母様となります。


「一人でも父母」という表現は、神様にも真のお父様にもできますが、神様一人を父母様と呼ぶことはできません。真のお父様お一人を、真の父母様と呼ばない事と同意義です。


韓鶴子氏が主張する「天の父母様」を真に受けて、それをそのまま「神様がアダムとエバの体に入るということです。」と受け止めているならば、神様は両性具有神であり、人類70億の男女の体を道具として使って、毎日毎日自慰行為にふけっている神様となるのです。日々の男女の授受作用全てが、神様の自己満足になります。


「真の愛の起源」としての「夜の神様、昼の神様」が理解できないと、あまりにもみだらな名称になっている事さえ気付かずに、偽りの信仰生活を送ることになります。


  *****


夜の神様が構想した「真の父母を中心とした四大心情圏三大王権天一国構想理想」が浮かび上がる切っ掛けとなった、男性と女性という性別の発想の起源に迫ろうとしています。


このことについては、2014年6月から9月にかけて、聖霊が私に教えてくれていた内容です。この期間、鳥や獣の生き物たちが、私の前に挨拶に現れパフォーマンスを繰り広げてくれました。アダムとエバが堕落する前の、自然界との関係を理解できる環境を造ってくれた期間でした。神様が聖霊の働きを用いて、そのような環境を造ってくれたと思っています。その体験をしてから、夜の神様と昼の神様の関係性が明確に飲み込めるようになったのです。たった一人でおられた夜の神様が、どのような観点から男性女性の性別を発想したかも、その時にイメージとして与えられていました。しかし、言葉として表現しようが無かったのです。


そのようにして、私が聖霊から教えられた内容が、でたらめだと訴えたいtomy4509さんは、神様が天の父母様と呼べる両性具有神だと証明したいがゆえに、真のお父様のみ言を提示してくれています。しかし、それらのみ言は真のお父様が伝えたい真意を読み取れば、すべて私が聖霊によっていただいた内容が真理であることを証しするみ言となるのです。


先々回記事に、もう一人の尊い協力者の方が質問を入れてくれました。ケイコさんです。私の返答が遅れたので、自分の質問を「よく分からないですね」と書き込んできました。それを読んだtomy4509さんが、また家庭連合の考えのレベルが分かる内容を書き込んでくれました。


いつになったら男性女性の発想の起源を書くんだと、待ちくたびれている方もいると思います。しかし、重要な内容であり、四大心情圏を自分のレベルでしか理解しなかった私たちには、真のお父様という位置からは語ることのできなかった内容です。一歩、一歩、その真実と真理に近づけて行けたらと思います。


それでは、先々回記事『韓鶴子氏のみ言への反逆を鵜呑みにした家庭連合は「真の愛の起源」「神様の成長」を削除した!』に対して、ケイコさんが投稿されたコメントと、tomy4509さんと私の回答を紹介します。


*ケイコさん*


>その自存する為の前エネルギーである内的な愛から


前エネルギーの愛とは、私達の思う、愛の概念とは違うと思うのですが、その愛と、神様が愛する対象を得たいという愛は違うような気がしました。


愛で充満していたとか、神様だからそうなんだと、深く考えてませんでしたが、自体内で喜んでいる状態(という状態が愛ならば、私にはしっくりくる言葉なのですが)でいるとき、ふと、思いついたのでしょうか。。。


もし、そうだとしたら、尊い一瞬だなと思いました。


*ケイコさん*


上のコメント、なんて書いてあるか良く分からない内容ですね。。。


すみませんm(_ _)m


*tomy4509さん*


>ケイコさんへ


ケイコさんの言われる通りです。創造前の無の状態の「夜の神様」からどうして「愛」というものが出てくるでしょうか!!
お一人しかおられなかった「(男性格だけの)夜の神様」だとすれば、未来永劫にそのままの状態で過ごされているでしょう。被造世界の創造などお考えもされずに……
原理講論に書かれている神様は性形、陽陰の二性性相の中和体としておられる神様です。


シムソン氏は間違った神観を書いています。多くの方々がそれに気づかれては、その疑問点を投げかけれたら良いでしょう。自画自賛のシムソン氏、そのことによって「夜の神様」の正体が実は「サタン」であったことが分かるでしょう。


*シムソン*


>ケイコさんへ


とても良い質問です。
ふと、思いついたのではありません。
神様は永遠普遍の絶対者であるがゆえに、喜びを求める心情が無限に溢れてきます。自体内での心情を中心とした本性相本形状それぞれの陰陽の授受作用による一体化の喜びは、完全無欠に展開していました。だからこそ、無限に最高の喜びを求める心情は、統一体としての完全性を超えようとします。
絶対者としての完全無欠な統一体であることの喜びが、それ以上の喜びを求める境地に達した時に、内的な愛である前エネルギーから、愛し合える対象を得たいという爆発的衝動が突き上げて来たのです。


  **以上先々回記事のコメント欄から**


tomy4509さんはケイコさんのコメントの、真意さえ読み取れずに、自分勝手に理解して返答しています。内的な愛から、愛し合える対象への真の愛に転換した瞬間が、どれほど尊いものであるかと、ケイコさんは感動しているのです。


しかし、私たちの肉的霊的五感からは、なかなかイメージする事が困難な次元の事なので、自分が感じたごとくの表現になっているか心配になって、二度目のコメントを入れてくれたのです。


家庭連合食口は、「天の父母様」と祈り続けているがゆえに、神様の心情世界への思考展開は、停止状態になっているようです。神様の創造の結果として現れた被造世界からの推定でしか、神様を推し量ることができないのです。


「天の父母様」という、存在しない、韓鶴子氏が創り上げた邪悪な両性具有神に対して、何の疑問も持たずに祈りを捧げている限り、聖霊は相対してくれません。


聖霊が相対してくれなければ、私たちは神様の意志を感じ取ることができません。それが「真のお父様以外の人間は、昼の神様の管理を受ける。」というみ言の真意です。聖霊と相対することによって、神様が生心に臨在していると感じ取ることが出来るのです。昼の神様の管理を受けるとは、昼の神様の働きとしての作用である聖霊と、相対基準を結んで生きる事を意味します。


霊人体の生心に神様が直接的に臨在されるのは、真のお父様だけです。真のお母様も、他の人間も、聖霊と相対基準を結ぶことによって、生心に神様が臨在していると感じ取ることができるようになるのです。


その様相でなければ、天一国の四大心情圏において、真の愛の世界を展開できません。


ですから天上天一国では、神様は真のお父様の姿で現れ、真のお母様は神様の妻として現れます。真のお母様は神様ではありません。神様の妻です。天地人真の父母様です。私たち人類の父母です。その様相でなければ、真の愛は成立しないのです。


コメント欄に書き込んだ神様の愛の転換点を、再度、掲載して加筆し、この記事を締めくくります。


神様は永遠普遍の絶対者であるがゆえに、喜びを求める心情が無限に溢れてきます。たった一人、夜の神様として存在していた次元において、自体内での心情を中心とした本性相本形状それぞれの陰陽の授受作用による一体化の喜びは、完全無欠に展開していました。


だからこそ、無限に最高の喜びを求める心情は、統一体としての完全性を超えようとします。


絶対者としての完全無欠な統一体であることの喜びが、それ以上の喜びを求める境地に達した時に、内的な愛である前エネルギーから、愛し合える対象を得たいという爆発的衝動が突き上げて来たのです。


内的な愛から、愛し合う対象の創造を願う真の愛が衝動として爆発した瞬間は、どれほど尊いものでしょうか。そのようにして夜の神様が得た心情の動機と、まったく同様の心情の動機を、神様の対象となる個性真理体に賦与する事が、どれほど困難な事だったでしょうか。最初から霊的な永遠の存在としては不可能だったのです。


そこに、夜の神様にとっての苦悩があり、「千辛万苦」と真のお父様が表現された構想理想を構築する苦しみがあったのです。永遠普遍の存在者が、男女の性別を発想するとともに、死という状況を通さずしては真の愛を実現できない事に直面した時、どれほどの悲しみ苦しみを味わったでしょうか。その構想過程を克服しながら、親子の生命システムを発想し、四大心情圏三大王権の成就による真の愛の体恤過程を構築したのです。


その死への恐怖は、神様も味わった事なのです。


内的な愛である前エネルギーから、愛し合える対象を得たいという爆発的衝動が突き上げて来ました。その愛する対象と築き上げる真の愛の世界という希望の光に、自らが照らし出された時に見えた、自分自身の永遠普遍の姿がどのように見えたでしょうか?自分だけの存在の世界には、その愛の光に対して輝きを返す存在が何も無く、「無の暗闇の状態」を体験したのです。


その体験があるからこそ、真の愛は輝きを増すのです。生命の生死の繰り返しによって築かれる、神様の血統にこそ、真の愛の伝統が築かれる四大心情圏三大王権の尊さがあるのです。四大心情圏によって築かれる真の愛が体恤できてこそ、死は、永遠の世界への誕生の喜びの境地へと昇華するのです。



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