愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

自己中心な神様から夜の神様として誕生する経緯!

今回の記事では、「本然世界に展開する真の父母様の本体論」入門編「3.自己中心な神様から夜の神様として誕生する経緯!」の内容を掲載します。


  **引用開始**


本然世界に展開する真の父母様本体論入門!(前半)
「絶対性と神様の血統」


第1章 神様の誕生
3.自己中心な神様から夜の神様として誕生する経緯!


神様は何ゆえに、自分とは全く異質な形状を持つ三次元の被造世界を創造しようと思い立ったのでしょうか。そこにこそ、自己中心であった神様が、他者の為に生きようとする真の愛への覚醒に至る秘密があったのです。


その尊い神様の覚醒の瞬間に触れる前に、私たちが理解しておかなければならないことがあります。


時空の存在しない次元での神様の存在様相を、時空間に創造された被造世界に存在している私たちからでは、思い図ることも容易ではありませんが、神様の心情を知る為に表現しなければなりません。


 神様は永遠普遍の絶対者であるがゆえに、喜びを求める心情が無限に溢れてきます。たった一人の神様として存在していた次元において、自体内での心情を中心とした本性相本形状それぞれの、陽陰の授受作用による一体化の喜びは、完全無欠に展開していました。本陽性本陰性は完全中和され、本性相本形状においては知情意の思考回路において、求めれば得られるという永遠普遍の喜びの境地にあり、私たちが理解できる表現で言えば「無我の境地」「悟りの境地」と言うべき状態です。


しかし、本性相と本形状の完全一体となった授受作用において、授けて受ける関係を無限に繰り返していると、無我の境地にある心情の奥深くから、本性相の知情意が本形状の前段階エネルギーに包容される感覚が湧き上がってくるのです。神様の知情意の記憶は完全無欠であり、「授けて受ける」または「求めて与えられる」という作用の繰り返しにより喜びの境地に入っています。


本性相の主体としての思考を、必ず実現する対象としての本形状の前段階エネルギーの作用によって、その無限の絶え間ない連続から喜びを得る心情において、自らが包み込まれる感覚を実感するのです。


全ての働きは主体である本性相の「授ける」及び「働きかける」心から始まり、対象の本形状が主体の働きに答えて受けて実らせる作用となって現象化するからです。神様には、その前の喜びを成就してくれた前段階エネルギーによって得た感動の大きさが残っていますから、さらに大きな喜びを求めて実現した感動がさらに優っていきます。すると、より大きな喜びを求める心情は、前の段階での記憶の残存痕跡の作用から、前段階エネルギーに包容される感覚を実感するのです。前段階エネルギーに過ぎなかった本形状の力の作用に、神様が包容されるという感覚を覚えた時点で、この無限で永遠普遍である前段階エネルギーの作用を内的愛だと自覚するのです。内的愛により神様が自存していたエネルギーですから、自存エネルギーとも呼べるでしょう。


永遠普遍の夜の神様を包み込んでくるものがあるなどと、全知全能の神様でさえ考えが及ばぬことでした。神様自身と完全一体となっているがゆえに、その存在様相を完全に消し去っていた前段階エネルギーが、神様の核心である心情を通して神様の知情意を刺激した瞬間、神様は前段階エネルギーから与えられた包容の感覚を、内的愛だと認識し自覚したのです。その愛は他のどんな作用にも増して、心情の中心点から湧き上がるとともに、神様自身を包み込んでくるのです。永遠普遍で無限の神様をも包み込んでくる偉大な感覚を、愛と呼んで神様が目覚め、『愛により生まれた』と実感することになるのです。


原理法則に則って必然的に喜びが成就する永遠の状態から、前段階エネルギー(自存エネルギー)に包み込んでくる内的愛を感覚したその瞬間こそ、神様の心情に爆発的な感動を与えたものとなったのです。


真の神様 第一章 神様の本体 五 法度の中での全知全能である2.愛のみが絶対基準である
神様自身を存在させる起源とは何ですか。何から生まれたのでしょうか。神様が存在するための起源とは何でしょうか。全知全能ですか。絶対的権限ですか。絶対的権限があれば何をするのですか。一人でいるのに、一人でいる両班(ヤンバン)が絶対的権限があって何をするのですか。誰もいないのに。一人で絶対者になっていれば知識があって何をするのですか。神様の本質が何かという問題が重要な問題です。それが愛です。「ため」になれという愛ではなく、「ため」になろうとする愛です。


宇宙の根本 第1章 宇宙の根本秩序 1) 神様の二性性相の大展開
神様は何のために、どのように生まれたのでしょうか。愛によって生まれました。宇宙の根本は、どのようになされたのでしょうか。愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。何を中心としてそのようになっているのでしょうか。愛を中心として形成されます。皆さんと同じです。父母の愛によって受けた皆さんの生命の種、一つの細胞が大きくなって今の皆さんが生まれてきたのと同じように、神様もそのように大きくなったというのです。神様も、目が生じ、鼻が生じてこのように生まれました。全く同じだというのです。(207-27,1990.10.21)


授受作用による正分合作用で存在していた神様は、この内的愛の働きに答えたいという衝動が湧きあがります。愛を包み返したいという衝動が生じましたが、返す対象は存在しませんでした。そこで初めて、神様は自分以外の対象を想定したのです。想定すると愛したくてたまらない衝動が突き上げて来たのです。


つまり、愛する対象を得たいという衝動が突き上げて来て、内的愛の無限の愛の包容から、神様は夜の神様として新たな生命を得る「愛の種」を得るのです。神様にとっては、この体験の瞬間が、自己中心な神様から対象を愛したいと願う新たな神様の誕生への、愛の種の受精の瞬間となります。


神様は内的愛が包容してくる胎の中に、愛の種として孕まれました。実際に内的愛(前段階エネルギー)が包みこんでくるわけではなく、神様の心情において実感された状態です。内的愛に包容されたという心情の衝動は、思考回路に反映し、私たちの感覚で言えば内的愛の形成する胎に孕まれたように感じられたのです。夜の神様がその体験を、被造世界に再現したからこそ、私たちは女性の胎なのだと理解できるのです。この内的愛に包み込まれた状態から、たった一人で存在していた自分自身を顧みると、無限に広がる自分自身は死んでいたに等しい無の暗闇の状態だと感じたのです。ここで永遠普遍の神様に、生死の概念が生じました。


愛する対象を得たい衝動が湧き上がれば上がるほどに、一人であった境遇が、無の暗闇として迫って来ます。愛の光を輝き返してくれる対象がいない状態は、まさに死んだも同然でした。無の暗闇は死の淵へと神様を吸い込んでいくのです。


この状態は、神様の心情の内で形成された実感の情念です。内的愛にすっぽりと包み込まれた中から、自らが存在していた永遠普遍の無限圏を見渡すと、底なしの暗闇が広がっているばかりなのです。


この「無の暗闇の状態」を見事に表現した、真のお父様のみ言があります。


「夜の中にいた神様の歴史が創造以前の歴史であることを分からなければならない。その夜の歴史の中にいた神様の歴史、創造の前の歴史・・・神様も大きくて出たという事実が分からなければならない。暗闇の中輝いた。7色光を合わせれば黒になる。その創造以前世界の神様が分からなければならない。元々の根本が分からなければならない。」(2010年4月1日 ワシントンシェラトンホテル訓読会)


赤・青・緑の光の三原色を、真のお父様は虹に象徴して七色と表現しました。地上界では、この光の三原色が万物に反射し輝き返すことによって、地上界に存在する全ての色が現れます。しかし、輝き返す対象となるものが無ければ、そこは真っ暗闇になるのです。つまり、創造前の夜の神様は「無の暗闇の状態」でおられ、夜の神様からは無限大の愛が放たれているのに、その愛の光に輝き答える対象が全く存在しないので「無の暗闇の状態」になっているということを意味しています。


真のお父様が七色光と表現したのは、神様の愛したくてたまらない心情が、光のように360度に向けて無限に放たれているのに、答えて輝き返す塵さえ一つも無い状態です。その愛のエナジーは陽性陰性が一体となっているエナジーであり、陽性陰性の質の変化の授受作用による正分合作用で、どんなものをも形成しうる機能と能力を備えています。しかし、愛の種となって、内的愛の胎内に孕まれたばかりの神様には、自らの対象という存在さえ未知のものなのです。


愛したくて矢も盾もたまらない衝動ばかりが、反響することもない無限の虚空に響いてはかき消されて行くのです。その段階の神様の状態こそ、夜の神様においての胎中期間であるのです。


内的愛の七色光(陽性陰性による愛の素材)が自分を光らせている時は、自分の心情自体が輝き存在の喜びを実感していました。


その愛から生まれ胎内に孕まれた状態で、愛する対象を想定すると、たった一人の悲しみを体感し無の暗闇の状態に落ちていくのです。


心情において死んでいるに等しい無の暗闇の境地に落ち、生死の概念が永遠普遍の神様に生じたのです。


夜の神様は無の暗闇の状態でも、内的愛に包み込まれ愛したい衝動に満たされていました。満たされてはいますが、それ以上に迫りくる暗闇に押しつぶされようとする孤独に交差して・・・・。愛したい衝動が募り「愛したい」と叫ぶほどに、無の暗闇の深淵(陽性陰性が完全中和した本形状)から愛を受ける対象の喜びが木霊のように返ってくるのです。輝き返す対象が無いのに、奇蹟の木霊として帰って来たのは、真っ暗闇を背景に、内的愛が神様を包み込んで来て、神様が胎のように感じ取って生じた包容してくる透明な膜が、鏡のような役割となって、自分の心情が映り込んだのです。私たち地上人の感覚に例えれば、このような比喩での表現になるのです。


私たちは女性の胎そのものを先に知っていますが、この時に内的愛が包みこんできて神様が感じ取った膜というイメージから、神様自身が女性の胎を構想したというのが真相なのです。全て神様御自身が体験した実感から被造世界の構想を練ったので、神様の形象そのものである人間の誕生から成長していく過程を追うことで、神様が誕生し成長した経緯を理解できることになるのです!


愛を受ける対象の喜びが木霊のように返って来たその時、夜の神様は主体としての自分の心情の根底に、真の愛に絶対服従して生きたい衝動が溢れていることを切実に実感したのです。孤独な夜の神様は「真の愛に絶対服従して生きる」ことこそ、至上の幸福なのだと気付かされるのです。


宇宙の根本 第一章 宇宙の根本秩序一、神様の二性性相の大展開 1.神様は二性性相の中和体
 何が統一的起源をもたらすのでしょうか。一人でいらっしゃる神様を、統一的位置で何が喜ばせてさしあげるのでしょうか。「原理」でいえば、神様は二性性相の中和的存在であり、格位においては男性格です。その男性格位というものが、どのようにして男性格位になるのかを知らなければなりません。男性格位ならば主体でありプラスですが、相対なくしてはプラスはありません。その概念の中で、なぜプラス格位にいらっしゃるのですか。愛ゆえにいらっしゃるのです。絶対的神様も絶対的に服従してみたいというのです。愛には絶対的に従順になりたい、絶対的に一つになりたいというそのような基台がなくなる時には、統一も融合も和合というものもありません。それは、根源がないために分散してしまいます。


 神様から造られたすべてのものはペア・システムです。鉱物世界もペア・システムであり、級は低いのですが陽イオンと陰イオンも愛を表示しながら絡み合っているのです。これは、レバレンド・ムーンがこの世に現れて、歴史始まって以来初めて発表するのです。神様御自身も真の愛を絶対視して、それに絶対服従して生きるというその起源を発表したのは、歴史上レバレンド・ムーンが初めてです。それは観念ではなく事実です。ですから、神様は、真の愛を探し出すために創造されたのです。


神様の本性相は絶対主体として、対象への愛したくてたまらないどうにもならないほどに湧き上がる「為に生きたい」心情に溢れています。しかし、その主体の心情の根底には、真の愛に絶対服従して生きたい対象としての心情も溢れていたのです。それは、夜の神様がこれまで意識することもなかった本形状を、愛の対象として心情を注ぎ込んだ結果として爆発した衝動でした。


永遠普遍の神様を包み込んできた内的愛を、さらに超える真の愛で包み込もうとする爆発的な衝動は、夜の神様に主体であると同時に、対象としても生きようとする新たな生命を与えることとなりました。その心情こそが親の愛の原点となるのです。夜の神様に親子の概念が生じるのです。私たちは神様が作ってくれた世界で、子供を産むことにより親の心情を実感していますが、愛する子供に喜んでほしいと絶対服従してしまう心情が、沸々と湧き上がるはずです。それは神様が体験した親の心情、つまり「真の愛に絶対服従して生きたい」心情が、湧き上がざるを得ない親子の生命システムによる被造世界として、神様自身の体験から構想されたからなのです。


その衝動力は愛と生命を繁殖する生命の種を、無限に生み出すことの出来る能力を持って生まれることになるのです。それだからこそ、夜の神様は内的愛の胎中を経て、愛により生まれたと言えるのです。それも、絶対主体の男性を形作ることになる本性相と、絶対対象の女性を形作ることになる本形状の双子で生まれたということになるのです。


夜の神様が愛したくてたまらない絶対主体の心情と、真の愛に絶対服従して生きたい絶対対象としての心情が完全一体となって、愛と生命の種を携えて誕生しました。その時自体は、神様に双子で誕生したという実感はありません。後に被造世界の構想を練り始め、男性女性の構想理想が浮かんで、初めて双子であったと認識するようになります。


四大心情圏と三大王権1993年12月21日16万人日本女性特別幹部修練会
 旦那さんは何かというと、神の無形実体圏にあった性相が男であり、形状が女だったのです。その男と女が愛でもって一つになっていた双子なのです。双子だから通じるようになっているし、一つになれるようになっているのです。男、女は別々に生まれても、会った場合には一つになれるようになっているのです。教えなくても一つになるような引力作用があるのです。
 その双子を展開したのがアダムとエバです。神の無形実体圏で性相と形状の一つになっていたものが分かれて生まれてきたのだから双子と同じなのです。旦那さんが元々、双子であったということを考えたことがありますか? そのことを今からは知らなければなりません。ずーっと昔、双子であったのです。夫婦という因縁は、アダム・エバの双子でもって、こういうふうにアダム・エバから始まったということは、これはもう否定できません。それから、その双子が兄妹になるのです。


『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』真の愛を中心にして成長された神様2004年4月19日
 無形の世界の中心は縦的なもので、一点しかないので繁殖できません。霊界に行けば、繁殖できません。ですから、実体圏を連結させるべき責任があるのです。「創造原理」を中心として、神様はどのような存在としていらっしゃるのでしょうか? 二性性相の中和的存在です。格位では、男性格を備えた存在であるのです。これは偉大な言葉です。神様が二性性相の中和的存在として、心と体が一つになり、神様を中心として胎内にいる双子と同じです。


  (略)


 それで、これを実体圏に移しておくためのアダムとエバの創造であったということです。分かりますか?
アダムとエバの創造は、神様が真の愛を中心として成長したご自身の歴史を、実体で見るのと同じです。そのような実体対象が子女の位置になるので、神様が成長してこられた姿を、再び実体で見ることができるのです。
 ですから、これは双子です。アダムとエバは双子と同じなのです。これが分かれていませんでした。初めから、神様からすべて一つになっていたのです。
 胎内にいる双子と同じ立場で生まれて、無形の実体も完全に大きくなったので、実体対象も、それと同じように大きくなることができる位置を中心として、見える愛の相対存在が息子、娘であったのです。それがアダムとエバの創造であったということを知らなければなりません。


他の何ものをも意識することなく存在していた神様は、本性相の知情意の思考に完全一体となっていた本形状のエナジーに、心情において包み込まれた感覚を実感することによって、自ら以外の対象の存在を意識するようになりました。


そのことを明らかにしてる真のお父様のみ言が、天聖経の「宇宙の根本」にあります。


宇宙の根本 第二章人間創造と愛の理想の完成一、愛の絶対価値1.人間の男性と女性
神様の愛と人間の愛がいつ一つになるのかということが問題です。これが歴史的な問題であり、宇宙創造以降の重大な問題です。これが解決されない限り、宇宙の根本が解決されない限り、絶対に結果が解けないのです。真の愛を中心としては、神様は核の位置に立たなければなりません。それでは、アダムとエバは何でしょうか。アダムとエバは、核を包み込む二つのかけらと同じです。皆さん、くりのようなものを見れば、二つのかけらになって胚芽を包んでいるでしょう? それと同じように、神様を核として、男性と女性が愛を中心として完全に一つになるのです。


 このみ言において、「宇宙の根本が解決されない限り、絶対に結果が解けないのです。」と語られています。その結果として語られているのが「アダムとエバは、核(神様)を包み込む二つのかけらと同じです。」というみ言です。アダムとエバは創造の結果として現れました。その原因としての、宇宙の根本は何かといえば、神様が本形状から包み込まれる感覚を覚え、それを本性相において心情で包み返そうとしたこととなります。真のお父様は「性相が男性であり、形状が女性であり、双子で生まれた」とも語られているので、宇宙の根本というべき創造の出発点、真の愛の起源は、無限大の神様をも包み込んで来た本形状(前段階エネルギー)から、心情で受け止めた包容感にあるということになります。



第6回み言で学ぶ本体論セミナー



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